これまでの私
ここ数日、とても大事なことを学んでいて。
少し、あいだが空いてしまって、スイマセン。
ちょっといま、なんだろうなぁ、目が点になっているというか。
気が抜けてしまってて、何書いていいのかよく分らないのですが…。
とりあえず、書き始めてみようと思います。
私たぶん、生まれる前から「支配」ってものが大嫌いで。
上下関係とか、先輩・後輩とか、そういった「区別」みたいな概念が受け入れられず。
だから本来の私はおそらくたいへんな礼儀知らずで、傍若無人と取られてもおかしくないような人間なのだろうと思います。
ところが残念ながら育つ過程で、完膚無きまでに自分という存在を否定され続けてきたため…。
気が付いたときにはすでに、本来の私とは180度違うキャラクターを演じていました。
とにかくどんなに熟考し、工夫をこらしてもくまなく否定され続けてきたので、「真逆」のほうが本当の自分だと、堅く信じるようになっていたんだと思います。
つまり、支配に甘んじ、区別を重要視し、常にマジョリティ側に属していることを自分に課すようになってたんですよねぇ。
もちろん、その自分を維持するため、感情は封殺してました。
だから「苦しい」状態にあることにすら、気付けなかった。
常に苦しかったので、それが人間のデフォルト状態だと、頭っから信じ込んでいたんです。
そして耐えられない苦しさを意識の外側に追いやるため、仕事に逃げ、お酒に逃げていました。
これぞ、由緒正しき「依存状態」ですよねぇ。
いま振り返ると、いろんな意味で「ビョーキ寸前」以外の、何ものでもないですけど。
当時はそれが「社会人たるもののまっとうな姿だ」くらいに思ってました。
そうですねぇ「右へならえ」の教育を受け、ビョーキと紙一重の状態を維持していくことが、職業人としてのあるべき生きかただと本気で信じてたんでしょうかねぇ。
ついでに言えば、少しでも休んでしまうと、ここでもかと苦しさが主張してくるので、しらふでは休むことも寝ることもできませんでした。
意識をキンキンに稼働させて仕事してるか、お酒に酔って正体をなくしてるかしか、自分を保つ術がなかったんです。
いまだから、言えます。
苦しかった、とんでもなく苦しかった。
直径数ミリのワイヤーの上を、休まずに歩き続けてるみたいだった。
でもそんなの、長続きするはずないですよねぇ…。
当時のことを思い出すと改めて、私、守られてたんだなぁと思います。
だって、あんな状態で、病気にならずにすんだんですから。
やっぱり、守護してくれていた存在がいたんだと思います。
だから私、決心できたんですよね、きっと。
「生きてみよう」って。
とにかく子どものころは、まともに記憶すら残っていないほど、辛いことしかなかったので…。
たぶん私、ものごころついてからこっち「生きること」よりむしろ、その対局にあるもののほうがずっと身近に感じてて。
だけど会社辞めて、すぐに電話番号もメールアドレスも変えて、それまでの人間関係をすべて切って。
会社にいたころとは180度真逆の、本当の自分に戻って、生きてみようと思えた__。
それはねぇ、私を守護してくれる存在が少しずつ少しずつ「これは本当の自分じゃない」って気付かせてくれたおかげだと思います。
だからいま私、こうして存在できてる。
マジで、感謝しかありません。
だからねぇ、そういう経験があるからこそ、切に思うんですよ。
「決めること」って、本当に大事。
しかもいま、まさに大逆転の寸前のタイミングまで来てるのは、みなさん感じ取られてるのではないでしょうか。
とうとう「支配」の世の中が終了し、まったく新しい世界が始まろうとしているんです。
この、またとないタイミングに、ぜひ考えてみてください。
「あなたはこれから、どんなふうに生きていきたいですか?」
ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
お気軽に、コメントもお願いします!
では、最後まで読んでいただきありがとうございました。