母親のこと
ここは、こういうことのために使う場所じゃないことは分ってるけど。
あえてしばらくのあいだ、自分のこころを公開していこうと思う。
自分を俯瞰するため、そして__。
SNS恐怖症を克服した記録として、いつか、誰かに役立ててもらえるように…。
カウンセラーから「あなたは、人はみな自分に対して、母親と同じように反応すると思い込んでいる」と、言われた。
自覚はないけど、そうなのかもしれない。
なので今日は少し、私の視点から見た、母親という存在について書いてみようと思う。
背景が複雑なので、ちょっと長くなるかもしれない。
私は、両親と父方のおばあちゃん、そして十歳年上の兄という構成の五人家族の中に生まれた。
これはカウンセリングの最中に分ったことだけれど、そもそも母は、私の誕生を喜ばなかった。
それは中学の教員として後に校長にまでなった父親との、夫婦関係に多くの原因があったのだけれど、説明すると長くなるので割愛する。
けれど私が生まれた当時、両親の夫婦関係は「憎み合うみたいに愛し合う」ような、極めて不健康な状態だった。
そしておばあちゃんとは、私が生まれるのを機に、長男である父親が家族共々おばあちゃんの家に引っ越すという形で同居し始めたのだけれど。
おばあちゃんは両親の結婚に最後まで反対していたそうで、そこから考えても、母とおばあちゃんとの嫁姑関係は決して良好とは言えなかったのだろうと思う。
なのに私は、仕事で家にいないことの多い母親よりも、おばあちゃんになついてしまった。
おばあちゃんが亡くなったのは私が四歳のときだから、それ以前の、まだものごころがつく前の話だ。
覚えてすらいないのに、その後この世を去るまで、母は私を憎み続けることになる。
いや、もしかしたら父との関係により、私が生まれたときには、母は「憎むように愛する」ことしかできない人になっていたのかもしれない。
いずれにせよ母は「愛すること、すなわち、マウンティングを取ること」というマイルールを、生涯にわたり、私に対し実践し続けた。
亡くなる数ヶ月前ですら「私が仕事で疲れて家に帰っても、あんたはおばあちゃんにベッタリで、見向きもしなかった」と、あからさまに憎しみをぶつけてきたほどだ。
それでも私は、母に認められようとした。
そして、いまでも無意識に、認められようとしてしまっている。
人に認められようとするからたぶん、母と同じ反応、すなわち拒絶が帰ってくると身構えてしまうのだろう。
私は人から、拒絶と憎悪が返ってくるものだと、いまでもどこかで信じている。
SNSが恐いのは、そのせいだ。
苦しいのは、そうなることを予期してしまっているから、なのだろう。