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やりたいこと
私には、やりたいことがたくさんある。
デザインしてみたいもの、つくってみたいものはたくさんあるし。
ギターもだいぶうまくなってきて、次に弾いてみたい曲がたくさんある。
ジムに行って走るのも、欠かせない楽しみだし。
できれば死ぬまでずっと、楽しく物語を書き続けていきたいと思っている。
実は昨夜、帰りがけに寄ったイタリアンバルで、店員さんと話に花が咲き「やりたいことがいっぱいあっていいですね」と言われたのだけれど。
「そうかな?」と思って、改めて思い返してみたところ。
若いころの私はただのワーカホリックで、仕事以外には、寝ることくらいしか頭にないような人間だった。
にも関わらず、なぜいまはこんなに、やりたいことがあるのか?
端的に言えば、「これが本来の私だから」ということになる。
とはいえ、それだけでは理解されないと思うので、もう少し詳しく説明すると…。
私は物語にせよデザインにせよ、ゼロから何かを“つくり出す”能力を持って、この世界に生まれてきたのだろうと思うのだけれど。
残念ながら大人になる過程で、その能力が使えなくなってしまい。
ここまでの人生は、なんとか本来の自分へと戻り、生まれ持った能力を使えるようになるためのステージだった。
そのために長らく勤めた会社を辞め、自分と向き合い、目に見えない存在にも少しずつこころを開き。
その途上で、メンタル維持に欠かせない運動や、執着が入り込む余地のない全く新しいアイテムであるギターなどを手に入れて。
様々な気付きを経ていま、ようやく少しだけ、“つくる”ことを楽しめるようになってきたのだと思う。
そうなれば、子供みたいに素直な「あれをやってみたい」「これも試してみたい」といった欲求がわいてきて当然。
つまり、いまの私が手にしている“やりたいこと”は、ここまでのステージの戦利品であり、本来の私のありようでもあるわけだ。
ここまで来るのは大変だったし、時間もたくさん掛かったけれど。
まだまだ終わったわけではなく、これから先も大変なことは、少なからず出てくるものと思う。
けれどそれに伴い、持って生まれた能力もどんどん使いこなせるようになってゆくと思うと、楽しみでならない。