抵抗するクセ
私が生きているここは、おもしろいとこだなぁ。
ようやく全体像が見えてきて。
私にコントロールできるものは、何ひとつないんだぁ、と分って。
なるほど、これまで私は勝手に起こってくる現実に対して、つまり“全体”への導きに対して、必死になって抵抗してきただけなのかぁ、と理解した。
川にはそもそも流れがあって、身を任せてさえいれば、行きたい場所に連れてってもらえるのに。
それに対して、必死になって抵抗して。
ツルツルすべる岩に、必死になってつかまって。
どうにかその流れから、自由になろうとしていた。
実はいまでも、私をゴールへと導いてくれる流れに乗ることに対して、手のひらで踊らされているような一抹の不快感を感じていたりする。
でも、この流れをデザインしたのは、他ならぬ私自身なんだよね。
つまり、自分が自分に対して抵抗しているわけで。
だとしたらそこにはアイデンティティの問題だの、様々な葛藤が起こるのが、当たりまえだ。
なのに「苦しい、苦しい」って言いながら、それでも抵抗し続けてきたわけよね、私…。
だけど、このメカニズムを理解できても。
それでも、身体が勝手に抵抗してしまう。
だから私はいま“どんなときに”、“どんなふうに”抵抗が起こるのかを、ひとつひとつ洗い出していて。
それがねぇ、どれもつまらないこだわりではあるんだけど。
直視するのが、苦しかったりするんだなぁ。
自分のダメなところを、無理やり見せられてるみたいで。
でも、そこをクリアできないとまた、抵抗するのが当たりまえの状態に戻っちゃうから。
仕方ないよなぁ…。
実は私、気付きさえすれば、勝手に軌道修正されていくもんだと思ってたんだけど。
そうじゃないのねぇ。
やっぱり、問題点を洗い出して、プログラムを書き換えてゆく必要があるんだ。
そのためには。
とにかく、抵抗しないことに慣れなくちゃ、話にならないよねぇ。
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