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“現実”と“真実”の違い

昨日、恥ずかしながら二日酔いでダウンしてたら。

こんなイメージが降ってきた。

“いま”は常に、あらゆる可能性を生み出し続けていて。

そのときの私のエネルギー状態(“波動”って呼ぶ人もいる)、すなわち“気分”が、似たエネルギー状態の可能性を磁石みたいに引きつける。

だから、いい気分で過ごせていれば、いい気分でいられる現実が作られ。

気分悪い状態が続けば、そういう現実がどんどん作られていっちゃう。

でね、ここからが面白いんだけど。

いわゆる“集合意識”的なものがつくり出す、万人で共有している現実も、もちろんあって。

だけど前にも書いたとおり、万人に共通する“真実”なんてものは、存在しないわけ。

「どういうこと??」って思うだろうけど。

“現実=真実”じゃあ、ないんだよね。

人は誰も、自分なりのフィルターを持ってて、それを通して起きた現実を“解釈”するでしょ。

で、その人なりの解釈がほどこされたものが、その人に取っての“真実”になるわけ。

ところがその“解釈”って、ものすごく多様で。

ある人にとっての「いいこと」が、他の人にとって「最悪のこと」になる、なんてこともフツーに起こり得ちゃう。

だから当然、同じ現実が、実に多様な気分や次の現実をつくり出し得るわけ。

あと、もうひとつ重要な要素があって。

起きた出来事の、どこにフォーカスするのかってこと。

どういうことかというと、同じ現実を見たとしても、何に注目するかで当然、受け止めも変わるでしょ。

たとえば同じ人とすれ違ったとしても、顔を見てた人と足元を見てた人とでは、受ける印象はぜんぜん違うはず。

そういうことがいつもいつも、起こってるから。

万人に共通する“真実”なんて、存在し得ないわけです。

でね、私がいちばん言いたいのは…。

私たちには気分のいい次の現実をつくり出すために、いま起きている現実の解釈や受け止めを変える自由が与えられているってこと。

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