あごう

20周年特別インタビュー(2)あごうさとし×ファックジャパン

6月某日 アトリエ劇研にて

「野蛮というかプリミティブなところから立ち上げようとしている」

あごう:あごうさとし(※1)です。えー、劇作家、演出家、ときおり俳優をしております。アトリエ劇研という劇場のディレクターを2014年の9月からつとめております。

FJ :衛星のプロデューサーであった時代も・・。

あごう:ありますね。2008年ぐらいかな。

FJ :あれですね、衛星が1番・・。

あごう:1番しんどかった時代やね(笑)。つらすぎてあんま覚えてない。

FJ :ハッハッハ。

あごう:・・ハハハ。

FJ :そんなあごうさんが初めて劇団衛星に出会ったのは・・?

あごう:直接関わったのは『大実験劇場』(※2)ですよ。ぼくが学生の時、第三劇場(に所属していた時)でした。

FJ :ああ、大実験劇場。聞いたことあります。

あごう:まだファックさんは衛星にいないよね。衛星の過去のレパートリー10本を一挙再演するっていう企画で、それに客演して、その10本の内、2本に出たんです。

FJ :どんな感じでしたか、蓮行さんは?

あごう:あー、カリスマ的存在でしたよ。

FJ :カリスマやったんですか!

あごう:そうそうそう(淡々と)。

FJ :ど、どういうところで。

あごう:例えば、わかりやすいところでいくと、『総理・保科仙吉』っていう作品があるんですけど・・ぼくは初演はみてないんですよ。みてないですけどものすごい話題になったんですよ。みんなが岡嶋さん(※3)がすごい、衛星が面白い、蓮行さんはヤバイ人だって言ってて・・。ある種・・なんていったらいいかな、京都の街がゆれたんですよ。

FJ :はぁー。

あごう:毎月新作公演をするとかね、10本を同時に再演するとか・・。何か突拍子もなかったな。強烈な印象でした。蓮行さんは当時、若い人のある何かをつかんだ人だったと思います。

FJ :当時の稽古はどんな感じだったんですか?

あごう:稽古の進行スピードは、恐ろしく速かったですね。例えば、稽古に行って台本が全部なくても、『口立て(※演出家が稽古場で台詞を言い、それを役者が同じように繰り返す)』でパッパッてやって。で、それを1回やったらもう次に進むみたいな感じ。そのタイミングでもう岡嶋さんはできちゃってるんだよね(笑)。

FJ :ええーー。

あごう:『え、今・・さっき15分ぐらい前にちょっと言われただけなのに』って。なんかもうそのシーンのセリフも頭に入っちゃてるしね。

FJ :なんか伊東四朗さんで同じようなエピソードは聞いたことありますけど・・。

あごう:だから動きも、『君は火消しだから』って蓮行さんが言って、火消しの動きを独特の動きでこうやってみせて・・。そんなのぼくらの感覚だったら、そういう風に演出家に言われたら、何日間か『こうかな、ああかな』とか言って、で、ようやくどっかのタイミングで『こんな風な形でしょうか』ってみせるのが普通だと思ってたから、さっき言われてもうできるんだと思ってビックリした。・・そんなのできないわと思って。

FJ :なるほどー。

あごう:だから、大実験劇場の時なんかもう・・稽古初日は台本の読み合わせをして解散。で、『次の稽古は通し稽古をします』とか言ってて、『・・え?』みたいな。

FJ :・・・。

あごう:・・・。

FJ :・・・ハッハッハ。

あごう:ハッハッハ。何かそういう怖さみたいなのはあったよね。

<↑「大実験劇場」チラシ>


FJ :当時の蓮行さんはやっぱりとんがってたんですか。

あごう:とんがってましたよ。何かギラギラしてたし、すごい攻撃的な姿勢とか言動で、それゆえに人から反感をかう事も多々あったと思いますね。

FJ :あーー。

あごう:でも何か、個人的にはよくしてもらいました(笑)。

FJ :へーーー。

あごう:演劇を生産するスピードとかサイズ感とか、異常なエネルギーで回ってたんじゃないかな。だからそういう影響は、色んな僕たちの世代の劇団は受けてる。衛星があんだけやってるんだからっていうのは、それを感じなかった劇団はいなかったんじゃないかな。好き嫌いはあると思いますけど。何か一つのモノサシになってたのは間違いないです。蓮行には負けないとか、蓮行がそうするなら俺はこうするとか(笑)。

FJ :ハッハッハ。

あごう:それで大実験劇場が終わって、劇団衛星の『水龍の纏(まとい)』(※4)ていう作品のプロデューサーを、学生の時にやってるんです。

FJ :あ、そうなんですか!学生の時にも。

あごう:そう。それ、野外劇だったんだけど。百万遍の知恩寺で。だからまず電力をどう確保するかっていうのが、仕事の1発目の着手だったんだよね。境内で仮設の電柱を建てる段取りから始めた。

FJ :えええ?

あごう:必ず撤去するからって言ってお寺さんを説得して、工事を発注するところから始めたんだよね。

FJ :すごいですね。

あごう:やりながら、こんなところからせなあかんねやって思ったね。

FJ :それは何か、電柱を建ててほしいって蓮行さんに言われたんですか?

あごう:いや、具体的な指示は無いです。まぁ電源何とかしてって事です。どう何とかするかっていうのは、考えろってことです。

FJ :何とかしたんですね。

あごう:何とかなったんですねー、うん。何か、大実験劇場の時からそうだったんだけど、照明にしても、缶カンくりぬいて電球つっこんでるだけみたいな(笑)。知的なところもあったけども、そういう本当に野蛮というかプリミティブなところから立ち上げようとしているっていうのに、ショックを受けました。

FJ :はーー。

あごう:そんなところからやって・・『水龍の纏』にお客さんが850人とか来たんですよ。寺の門が開く前に、百万遍に人がグワーーーッて並んでたのを今でも覚えてる。

FJ :すごい!

あごう:そうそう。蓮行さんがその仕込みの初日にみんなを集めて、『君たちは英雄だ』とか言ってあおるわけ。

FJ :ハッハッハ。

あごう:だから要するに『すごい公演にしてくれ』みたいなメッセージを強烈に出すんだよね。

FJ :ハッハッハ。

あごう:そしたら、(水龍の纏の出演者の1人だった)T中Yさん(※S直者の会)が、当時はギラギラしてたから、『こいつらのどこが英雄なんだ』とか言ったりして、蓮行さんがシュンとするみたいな。

FJ :ワッハッハッハ!

あごう:それで蓮行さんがシュンとして、『あごうくん、コーヒーでも飲みに行こうか』って。

FJ :ハッハッハ。

あごう:『え、稽古はいいんですか?』って言ったら、『うん、とりあえずコーヒー飲みに行こう』って。そんな事もあったな。

FJ :ハーーー、良いエピソードですね。

<↑ 「水龍の纏」チラシ>


FJ :今の劇団衛星の俳優をみてどう思いますか?

あごう:みんな良い俳優さんだよね。

FJ :おお・・。それはやっぱり蓮行さんの影響によってっていうところですかね。

あごう:うん、そうだね。

FJ :それは具体的にどういうところだと思います?セリフ回しとかリズムとかはきっと蓮行さんの影響を受けてるとは思うんですけど。

あごう:(蓮行さんは)指示がさ、わりと具体的じゃん。『ここに立て』とか。具体的というか少ないというか。

FJ :最近はもう、『あるべきところに自分のセンスで立て』って言います。

あごう:ハッハッハ、すごいねそれは。いや何か・・情報量が多いとか少ないとか一概に言いにくいけど・・。多分、余計なこと言ってないのかなー。アレ、なんでかなー。

FJ :ん?

あごう:衛星の俳優さんって変なことしないじゃん。それすごいなって思うんだよね。雑味がないっていうか。だから蓮行さんのところにいるとそういう風に鍛えられるんだなって思うよね。

FJ :雑味っていうと?

あごう:えーっと、ぼく的にはノイズだと思うことがあるんだけど、俳優の自意識的なものが。それがみんな良い感じで抑制されていて。例えば表現としておちゃらけたシーンだとしても雑味がないというか。

FJ :あー。それはユニット美人の時にもですか。

あごう:あ、ユニット美人は違う。

FJ :ユニット美人は違うんですね。

あごう:ユニット美人は良い意味で雑味が出てる。それが面白いんだけどね。


【註釈】

※1:あごうさとし

本名:吾郷賢。蓮行さんは「タキオン」と呼ぶ(あごうさんのことをタキオンと呼ぶのは蓮行さんだけ)。(植村補足の註:吾郷くんは、劇団衛星出演時「吾郷超高速(タキオン)」という芸名で出演していました。)

劇作家・演出家・俳優・アトリエ劇研ディレクター。

2001年、WANDERING PARTY の旗揚げに参加。第3回公演以降、全ての作品の作・演出をつとめる。2011年劇団解散。

2014年9月よりアトリエ劇研ディレクター就任。

2014-2015年、文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として、パリに3ヶ月滞在し、演出・芸術監督研修を受ける。

2010年度、京都市芸術文化特別制度奨励者。

2013-2014年度、公益財団セゾン文化財団のジュニアフェロー対象者。

神戸芸術工科大学非常勤講師 /心斎橋大学講師


※2:『大実験劇場』

1997年11月、今まで上演した作品のうち、直前の「福音の廻廊」を除く10作品を4日間で全て上演するという、壮絶企画『劇団衛星大実験劇場』を上演予定だったが、会場であった京大の大学当局と折り合いがつかず、急きょ中止になり、別企画に差し替えになった。

「凄惨!旧作一挙上演会再び」(1998年1月 会場:京大吉田寮旧食堂)

11月のリベンジ公演。「大実験劇場」と銘打ち、休憩20分で一日5ステージの上演。これまでの演目10作品を2ステージずつ、4日で合計20ステージ。参加したキャスト・スタッフも総勢約40人という、当時では考えられない規模の公演だった。


※3:岡嶋秀昭

旗揚げ〜2005年まで劇団衛星に所属した俳優。

1993年、龍谷大学入学と同時に学内サークル「劇団未踏座」に入団、役者として活動を始める。1995年、「劇団衛星」の旗揚げに参加、以後ほぼ全ての公演に出演。2005年、「劇団衛星」退団。リコモーション、京都役者落語の会所属。


※4「水龍の纏(まとい)」

1998年6月上演。 会場:大本山百万遍知恩寺境内特設ステージ

作/演出:蓮行

出演:岡嶋秀昭 チャック・O・ディーン 駒田大輔 田中遊 吾郷超高速(後のあごうさん) モジャリーノひげ麿 瀬戸中基良 蓮行

洛中洛外図にも登場する名門中の名門・百万遍知恩寺境内での野外劇。江戸の火消しが戦国時代にタイムスリップするという、歴史ミステリーSF悲喜劇。

幅広い年齢層のお客さんにご来場いただき、連日満員御礼。ほとんど雨も降らなかった。

劇団衛星の活動継続と公演の実現に向けて、みなさんのサポートを、ありがたく受け取っております。応援ありがとうございます。