蓮行プロフィール2

劇団員インタビュー(7)蓮行×中谷和代

9月某日 プチジャポネにて

インタビュアー:中谷和代(ソノノチ)

中谷:宜しくお願いします。まず最初に、蓮行さんご自身のことや、劇団の20年間のことを、少し振り返るようなところから始めたいと思います。

蓮行:はい。まあ、話したいことというより、聞きたいことを聞いてもらったらいいです。20年でいろんな記憶が希薄化してるから、覚えてないことの方が多いけど。良い言い方をすれば、今と未来を生きてる感じなので。

中谷:わかりました。


旗揚げを振り返る

中谷:改めて、劇団旗揚げ時のことをお聞かせ下さい。

蓮行:19歳(大学1回生)の時に学生劇団「潔癖(青年文化団)」(※現在の「劇団ケッペキ」の前身)というのを旗揚げしたけど、僕自身はすぐに辞めてしまって、衛星を旗揚げしたのは4回生の時だったかな。初期メンバーとして植村さん、夏目くん、木村くんとかそのへんを3〜4人誘って。最初の公演は吉田寮食堂でだった。そういえば、劇団旗揚げのミーティングをその公演の数ヶ月前にしたんだけど、全然人が集まらなかったなあ。

中谷:え、連絡をしていなかったんですか?

蓮行:いや、したと思うんだけどな。今みたいにメールやSNSで連絡、というわけにもいかないから、ひとところに集まるだけでも大変だったね。(※植村注:夏目くんインタビューを参照ください。)

中谷:劇団衛星は、旗揚げ当初からプロの劇団にすると決めていたんですよね?

蓮行:そうです。学生劇団ではプロ化できないというのが、ケッペキを辞めた理由でもあったので。プロの劇団というのは当時まだ誰もしていないことだったから、非常に夢を感じてたね。大学が卒業できる見込みも、就職できる見込みもなかったから。(笑)


アーティストとしての日々

中谷:蓮行さんは経済学部でしたよね。大学の専攻って、どうやって決めたんですか?

蓮行:もともとはマルクス経済を学んで、世界同時多発労働者革命を起こすのだというつもりで京都大学の経済学部に入ったんだけどね。どうせ大学も卒業できないから、専攻の選択のときに、もうお父さんと一緒の学科でいいやと思った。

中谷:え、最初から卒業しないつもりだったんですか?

蓮行:アーティストといえば、大学を中退するもんだという意識もあったしね。でも僕らの世代を境に、ちゃんと卒業する人も出てきてたけど。

中谷:ちなみに、ご自身がアーティストとして活動を始められたのはいつですか?

蓮行:中学からギターをやり始めて、高校では軽音部に入って、将来はミュージシャンになって女の子にモテるんだって思ってた。大学に入って演劇とバンド活動(バンド名は「心」)も継続して。98年の紅白歌合戦に出られなかったら解散…と公約を決めて活動してた。結局NHKから連絡は来なかったけど……。

中谷:(笑)でも、結局大学を8年かけて卒業されたんですよね?アーティストたるもの大学は中退するものという決意があったのに、何か事情があったんですか?

蓮行:当時は、小規模な会社を立ち上げるにも資本金が300万円必要で、その資金集めにお手上げになってた折に、実家に呼び出されて「将来どうすんねん」という話し合いになって。卒業証書を持って帰ってくることが生きているうちにできる最後の親孝行と思え、とまで言われて、八徳(仁義礼智忠信孝悌)を重んじる私としてはぐうの音も出ず、なんとか卒業証書を持って参ります、という流れだよ。そしたら、卒業証書を担保に、資本金を貸してやってもいいと言ってもらえた。そのおかげで、7回生のときに会社(※有限会社如意プロデュース)を設立できたわけ。

中谷:4回生での衛星旗揚げから会社設立まで、少し間がありましたね。生活はどんな感じだったんですか?厳しかったですか?

蓮行:そうだね。6〜7回生のときには仕送りも止まって、宅急便、塾の先生のバイトとかをしながら食いつないだ。僕は学生時代から会社を立ち上げてそれで生活しているから、フリーターを経験したことはないエリートコース組だと吹聴してまわってはいるけど、よく考えると、事実上フリーターだった期間が2年くらいあるね。大学8年生の1年間は、本当に卒業できるのかを心配した親から、仕送りまでもらってたしね。(笑)

中谷:蓮行さんを知ってる人の中には、きっとこのエピソードを知らなかった!っていう人も多いでしょうね。この話、(インタビュー記事に)載せていいんですか?

蓮行:いいよいいよ。ずっこけエピソードとしてね。多分殆どの人が知らないんじゃないかな。


劇団の転機と存続について

中谷:以前、黒木さんにインタビューさせて頂いて、劇団の転機はいつでしたかと聞いた時に、「岡嶋秀昭さんが辞めたときじゃないか」と仰っていたんです。そこから作品づくりの原点が覆って、蓮行さんの作家性が強く出だしたんだと。岡嶋さんが退団したあと、上演された『バンドやりたいぜ!』で黒木さんは、これでこの劇団はもう大丈夫、私はこの作品をつくるために劇団衛星に入ったんだと、そこまで思われたそうですよ。

蓮行:はは。変な人。へえ。

中谷:蓮行さんはこれまでの劇団の在り方や作品性の変化について、どのように感じておられますか?

蓮行:要は、僕らってやりたいことを仕事にしたのではないんだよね。

中谷:え?

蓮行:他の選択肢(就職等)がもはや無くなって、もう演劇するしかなくなったの。だって、2回生と3回生の2年間で、取った合計の単位が経営学の2単位しかなかったもん(笑)。卒業する気もなかったしね。で、プロ化するとどうなるかって、自分がやりたいことを軸にするより、どうやって集団の経営を存続させて行くかという、「生存」について一番考えるようになるわけ。実際、人に訴えたいこととか、作品で表現したいことが最初にあるのではなくて、例えば「毎月公演をする」というところから決めちゃう。(※植村注:旗揚げ当初は、「月極発表会」と称して毎月公演していた。すぐに断念して「実験劇場」と改名になったけど。)結局プロは生存のために、あるものでなんとかする、ということなんだよ。

中谷:なるほど、そういうことでしたか。黒木さんは、岡嶋さんが辞めた当時は、蓮行さんが随分悩まれたのではないかと仰っていましたが。

蓮行:いなくなったからって、組織をどう変えていこうというよりは、今あるものを全部使って何ができるかを考える。それ以上でもそれ以下でもない。いない人のことを考えても仕方がないという面もあるしね。その姿勢は今も変わらないですね。

中谷:その辺りが、会社経営の肝になっているわけですね。

蓮行:そもそも会社というのは、その年の決算をいかに乗り切るのかが最大のミッションなんです。劇団員は劇団と私に人生をかけてる訳だから、彼らの社会的生存をどのように達成するかということが大事です。


プロ化、ということ

中谷:そうして劇団衛星は長い道のりの末、10年目に公約であった劇団員全員のプロ化を達成されたわけですが。それまでには随分、試行錯誤があったのではないですか?

蓮行:そりゃ、そうですね。全員がプロ化するための人件費を銀行から借りるっていう、大きなトリガー(引き金)を引いた訳だから。

中谷:プロ化達成の瞬間は、やはり感慨深い気持ちがありましたか?

蓮行:いや、全然。だって事実上の借金だもん。「やばい、これで何本目のルビコン川を渡った(注:ある重大な決断、行動をするたとえ)んだ?」って。そう、これまでのルビコン川は大したルビコン川じゃなかった、とさえ思って。

中谷:そうしてそこから11年、経ったんですね。法人に、最初の仕事の依頼が来た時のことは覚えていますか?

蓮行:覚えてないな。あ、Windows95で遊べるエロゲーのシナリオの仕事が初になるか。いやー、あれは助かったな。確か立命館大学の劇団西一風にいた人から紹介してもらったんだ。割がいいこともさることながら、何より書く仕事で「お金がもらえる」ってことが本当にありがたかった。当時からみんなさ、基本お金を出して公演したり、自分たちでお金を出し合って劇団の活動したりするんだよね。もらってするんじゃなくてさ。今、演劇の一番の問題点は、最大のお客さんが「演劇をやっている本人」であることだと思うよ。

中谷:本当に。私もそう思います。


結婚と子育てと演劇

中谷:話は変わるのですが、結婚・子育てをしながら演劇を続ける、ということを劇団内で唯一されているのが蓮行さんなので、その辺の、演劇と子育てというようなテーマでお話を伺いたいのですが。

蓮行:僕が結婚したのは2003年ですね。詳しいことは奥さんのプライバシーにも関わるから控えるけど。当時社長だった僕の給料は、ほかの社員よりも安かったんだけど、奥さんが自分でしっかりと生活基盤をつくれる安定した仕事をして自立的にやってくれていて、僕に対して家にお金を入れてくれ、といったことも全く言わなかった。だから僕は余計な心配をすることなく、社業に没頭できたと思うね。今の日本はご承知のとおり、子育てを非常にしにくい社会になっているし、非常にシビアな社会だと思う。これぐらいの収入が要るってことが、数字ではっきりと分かるんだからね。僕の考えでは、子育てをするには世帯年収400万円がだいたいの目安になるかと。

中谷:演劇の業界では、そのレベルの収入を得ることは今はまだ、かなり高いハードルかと思いますが…。

蓮行:例えばどちらかの実家に二世帯同居して家賃を圧縮するとか、年収は少ないけど山を持っていてそこで年中季節折々の山の幸がとれて食費が随分浮いたりとかって、必要なお金を圧縮する方法もある。様々な工夫があれば、演劇のようなまだ不安定な仕事でもプロとして続けていくことはできると思う。まあ、今の若い演劇人に言わせてもらうとすれば、資本主義社会においては、子育ても劇団運営も同じってことかな。単純にリアルな、ドライなお金の話。いつかなんとなく収入が入って、劇団がいつか大きくなるだろう、みたいな、ふわっとした話じゃないんです。

中谷:ずばり、いくらやねん。っていう。

蓮行:そうそう。あとは自分の優先順位次第だね。創作が大切な人もいれば、恋愛が大切な人もいるわけだから。

中谷:そうですね。これからも衛星は生存ということをテーマに活動されていくとは思いますが、蓮行さんご自身は、定年といったものをイメージしますか?

蓮行:一応55歳から60歳くらいかなとは思っているけど。今はまだいろんなスイッチが入るんです。そろそろ新作一本やらなあかんな、とか、助成金の申請しないとな、みたいな。そうやって湧いてくるものがいよいよ湧いてこなくなったら、年齢には関係なくそこまでかなあと。ちなみに今回の20周年公演『義経千本松原』も、やってみたら「ああ、まだひねり出したら出るんだな」という実感があった。

中谷:ちょっと突っ込んでお聞きするのですが、ご自身が辞める時は、劇団の解散の時だとお考えですか?

蓮行:どうでしょうね。死んだら後のことは劇団員に任せたいと思うけど。先輩方の例も参考にしながら、というところでしょうか。基本的にはどっちでもいいかな。自分なしでも続いたのなら続いたで、草場の影から有難く覗かせてもらうし。

中谷:蓮行さんが立ち上げたケッペキもまだありますしね。では最後に、蓮行さんの夢というか、この先楽しみにしていることはありますか?劇団のことや、お子さんのこととかでもいいのですが。

蓮行:あんまりないなあ。でも、子どもたちは破綻しない程度に、それなりに愉快に、好きに生きていってほしいと思います。もちろん本人にやりたいことができれば出来る限りバックアップはするし。自立だね。自立さえしていれば、南極の探査員とかになって遠くへ行ってしまっても、仕方ないと思う。

中谷:そうか、なんだか、楽しみだな。娘さんが結婚相手に演劇人を連れてきたら…どうしますか。

蓮行:うーん。(苦い顔)あんまり、お勧めはしないかな。

劇団衛星の活動継続と公演の実現に向けて、みなさんのサポートを、ありがたく受け取っております。応援ありがとうございます。