門脇1

20周年特別インタビュー(9)門脇俊輔×中田光昭

7月某日 AKIKANにて

実際僕は、門脇さんと近くで働いていたのに、あまりお話をした事がありませんでした。緊張があり何を話そうかと考え・・。5月末に門脇さんが客演をされていた劇団しようよ『あゆみ』の話から始まりました。

中田:『あゆみ』を友達と観に行ったのですが、その友達と話をしていて、お父さん役を門脇さん一人がやっていたのが良かったね、という話になりました。(※他の役はいろいろ入れ替わっていた。)柴さん演出の上演はその友達が観た事があって、女性がお父さん役を演じていたその時はそれほど印象に残らなかったお父さんの存在が、門脇さんが演じることによって、一番心に残りました。

門脇:あそこは、大原君の演出の肝だからね。男性でやるという事が。

中田:ヴァージンロードのシーンはぐっと来ました!ここが一番いい!!と。

門脇:いえいえ・・。

<門脇俊輔プロフィール>

1999年から2年間、京都アカペラサークル Crazy Clefに在籍。

2001年から、ニットキャップシアター(knitcap.jp)に所属。

2002年から、ベビー・ピー(baby-pee.jimdo.com)にも所属。

俳優・制作者・カホン奏者として活動し、ニットキャップシアターでは劇団プロデューサーも務める。

2007年頃から2014年3月まで、NPO法人フリンジシアタープロジェクト(www.fringe-tp.net/)職員。

2011年から、KYOTO EXPERIMENT(kyoto-ex.jp)事務局員。


衛星と関わり始めたきっかけは?

門脇:記憶違いだったらあれだけど、たぶん2008年か9年ぐらいからかなぁ?

中田:2008年というと・・『ブレヒトだよ!』(初演)をやってた時ですよね。

門脇:あー。『ブレヒトだよ!』やってた時はもういた。

中田:東山(青少年活動センター)で劇団衛星が『ブレヒトだよ!』やっていたのを覚えています。僕が学生時代で、観に行ったのです。劇団衛星を観たのはそれが初めてで、2008年だと覚えてます。

門脇:ここ(KAIKA)でもやってなかったけ?

中田:やってました!2010年??(※植村注:KAIKAオープン記念公演で再演をしました。)

門脇:うん・・それ(東山の)は、ブレヒトじゃないんじゃない??(苦笑い)

中田:いや!ブレヒトでした!ブレヒト。


・・記憶が曖昧な二人。


門脇:ここで『ブレヒト』をやった時は、もうここにKAIKAがあって。僕が劇団衛星に関わり始めたのは・・。この(KAIKAに事務所が来る)前に、一乗寺に事務所があって・・。一乗寺でも二ヶ所あって、"前期一乗寺"、"後期一乗寺"。僕が入ったのは、"前期一乗寺"よりももう一個前の事務所だった頃。

中田:あー。元田中の「スーパーなかむら」の前ですか?(僕も以前その付近に住んでいた。)

門脇:「なかむら」かな?いや、うん?あ!それは、"前期一乗寺"かな?・・まぁ、"前期一乗寺"、"後期一乗寺"って、俺が言ってるだけやけど(笑)。

中田:「夢を語れ」(京都で有名な次郎系ラーメンのお店)とかが近くにあったのが、"後期一乗寺"?

門脇:そう。(一乗寺に来る)その前に、元田中の近くの・・、高原通りってわかる?

中田:はい、ありますね。「大登龍」(焼肉と中華の美味しいお店)「白河」(オシャレなバー)があるところですよね。

門脇:で、造形大に行く道があって。

中田:セブンイレブンのある・・。

門脇:ローソンがあって、京大まで行かないぐらいのところに(その当時の事務所は)あって。アパートの一室みたいなところが事務所で、その頃に『珠光(の庵)』とかを始めていたんだと思う。

中田:10年ぐらい前ですよね。2005年くらい。

門脇:2005年・・。あ。じゃあ、僕が関わり出したのはもっと後なのかなぁ?

・・終始曖昧な二人


門脇:(劇団衛星が)忙しくなって、みんな(が事務所を)不在にしちゃう時期があって、でも事務所を構えているから対応する人が要るわけですよね。衛星の人いないし、衛星じゃない人にその対応を任せる事になったんですよ。(※植村注:劇団衛星とNPO法人フリンジシアタープロジェクトで事務所をシェアし、交代で事務所番をしていました。)

中田:福原さん(※フリンジシアタープロジェクトの現理事長)とか?

門脇:そうそう、何人かに任せるようになっていて。(僕も)手伝ってくれないかって声がかかって。

中田:そうなんですね。僕は(門脇さんが参加されたのは)こっち(KAIKA)に来てからかと思っていました。

門脇:結構前からやね。だから、そこ(アパートの一室だった事務所)でいて、"前期一乗寺”事務所に移って。その頃にはもうレギュラー、今で言う年間契約で仕事してましたね。(※フリンジシアタープロジェクトに所属した。)週三回シフトに入るみたいな感じで、電話とったり、助成金の事調べたりして。

中田:結構長いんですよね。

門脇:でも、レギュラーで入りだしたのは、2008年ぐらいやね。僕の前に、現在劇研のディレクターをしてる吾郷さんがいて、吾郷さんから(業務を)引き継ぐような部分は一部あった。

中田:歴史がありますね。最初に関わり始めたのは、『東京駒場のコックピット』からですか?

門脇:衛星って意味では、僕も京大出身だから、ケッペキ(※蓮行が所属していた京大の学生劇団)から知っていた。1999年に入学して、「クレイジークレフ」っていう、アカペラサークルに入って。そのサークルは、今もあるんだけど。その頃、蓮行さんも・・ガリバー・・?なんだったっけかな?なんとか警察?

中田:宇宙警察。(※植村注:『宇宙巡査部長ガリバン』です。二人とも正しくない!)

門脇:あー、そうそう。その頃に、アカペラバンドを組んで劇中歌を歌う、みたいな事をやっていて。京大の学祭で、アカペラバンドが歌っているとこに蓮行さんが登場して来て、「あのー、演劇をやっている者ですが、歌います!」みたいな感じで歌っていて。体のキレよく、(思い出し笑いをしながら)熱い歌をサークルの人達と一緒に歌っていて、すごいなぁ〜って思った。だから衛星の芝居は観た事があって。

中田:『東京駒場のコックピット』に、ベビー・ピーで出てましたよね。あれは・・?

門脇:あれはもっと結構、あと。2005年ぐらい。年表作ると・・結構ややこしいね。(衛星のことは)知ってはいたけど、ガッツリ絡んだって言うのは、在学中。2000年に『アカペラ衛星』っていうイベントを、今『ギア』をやっている「アートコンプレックス1928」でやっていて。それは、色んな出し物を、10分とか20分とかの枠でやるみたいなイベントだった。ファックさんもそれで最初に参加したんじゃないかなと思うんだけど・・。アカペラバンドが何曲か歌う、次にダンスのパフォーマンスする人がパフォーマンスする。アカペラのバンドがまた歌う。ファックさんが出て来て竹刀で炊飯器を叩く。

中田:そのときから!(笑)

門脇:その時にファックさんを初めて観たし、衛星とも初めて会ったんじゃないかな。俺らが歌い終わって休んでいる時に、バンドメンバーが「なんか竹刀で叩いてるぞ」って言って、観に行ったら・・。(思い出し笑い)

中田:学生の時ですよね。

門脇:僕が2回生やから、ファックさんが4回生ぐらい。

中田:学生の頃から叩いてるんですね。あの先輩(笑)

門脇:創り手側でっていうと大げさだけど、衛星と絡んだのは、ベビー・ピー(として参加した時)よりも『アカペラ衛星』が先かな。


門脇さんとニットキャップシアターそしてベビー・ピー

中田:門脇さんがニットキャップシアターに入られたのはいつなんですか?

門脇:ニットキャップに入ったのは、大学の4回生やから・・2002年かな、その時に団員募集していて、入団した。そこから演劇を始めるようになった。

中田:根本(コースケ)さんは、ニットキャップと衛星両方入ってはりましたよね?

門脇:その時は(根本は)劇団衛星とニットキャップ両方やっていて。学年は1個下だけど、大学入ってすぐに衛星の二部組織「星衛」に入って、僕が入った時は、もう(ニットキャップに)いましたね。(※根本くんのインタビューを参照ください。)

中田:ベビー・ピーも一緒にやってますよね。・・あっ、首藤さんとの出会いって、どこからなんですか?ペビー・ピーができたのは、ニットキャップでの麻雀仲間のつながりだと聞いた事あるんですが。(※ベビー・ピーは最初、ニットキャップシアターの団内ユニットとして始動。その後独立。)

門脇:ははは・・。確かに若手の同世代達でやろうってなった。首藤くんは学年が1個下で根本と同じで。2003年にニットキャップシアターで『愛のテール』っていうお芝居をしたんだけど、その時の出演者で、ラグビー部員という役で10人ぐらいの男性陣がいた、その中の一人で・・(首藤くんも)いた気がする。あれ?いなかったかな?(笑)何で首藤くんがいたのか分からない(笑)

中田:そこで知り合って、ベビー・ピーに?

門脇:そこで僕は知り合って、根本もいて。首藤くんも客演みたいな感じでいて。でも、ベピー・ピーになったのは、もうちょっと後だったかな。

中田:・・あれ??ぬ、ぬるりさん(柳原良平さん)はどこから出て来たんです?

門脇:ぬるりさんは、もっと後から。2005年にやったお芝居に出てくれて、知り合ったけど、どういう経緯でベビー・ピーに入ったかは・・あまり覚えてない(笑)。ベビー・ピーでいっぱい人を集めてやるお芝居をしたから、その時に繋がりができて・・。

中田:ぬるりさんはいつの間にかいたと・・。

門脇:(笑)

中田:こういう風に聞いていくと、京都の中堅どころの方々と衛星って、繋がりがありますね。20年、活動しているだけに・・

門脇:育てて頂いてますよね。衛星と、その界隈に。


劇団員との思い出

中田:恒例で聞いているのですが、劇団員との印象に残っている思い出を一つ聞かせて頂きたいのです。

門脇:思い出・・。

中田:これはすごかった、と記憶に残っているようなものがあれば・・。

門脇:・・・。(考える。)

中田:・・・。

門脇:麒麟飯店・・。

中田:ああ(笑)名古屋の!!

門脇:名古屋の(笑)。うりんこ劇場(※名古屋にある劇場。劇団うりんこのアトリエ)でワークショップしていた時(※フリンジシアタープロジェクト主催のワークショップで、劇団衛星の俳優も講師として参加していた。)、それは、子供向けの劇場(※うりんこは、児童劇を主に上演する劇団です。)で子供向けのワークショップをしていたんだけど、それが終わって、その帰り道にたまたま入った中華料理屋「麒麟飯店」がとても美味しく、(その後も名古屋方面へ行くたびに)たびたび行っていて。

中田:この話は、ファックさんも言ってましたね。

門脇:衛星だと年上の人が多いのもあって、(僕は)"食いしん坊キャラ"的なね。ニットキャップでは、最初は年上の人が多かったけど、今はごまさんの次が僕・・とかになってるから。衛星では、そういう扱いをしてもらえていて。(※植村注:門脇くんは旅先でおいしいお店を見つける才能にあふれていて、彼が見繕ったお店なら間違いないだろうという期待を持つようになりました。)

中田:へえ。そのイメージは無かったですね。

門脇:外(遠征)とかに行くと、皆からそんなキャラで言われて。美味しいものを楽しく食べて「食いしん坊やな」って言ってもらう事がありましたね。


同じ食いしん坊キャラとしてシンパシーを感じました。ちなみに、「食いしん坊」というお好み焼き屋さんが元田中の事務所があった近くにあります。美味しくて量の多い、学生のためのお好み焼き屋さんを思い出し、インタビューを終えました。

劇団衛星の活動継続と公演の実現に向けて、みなさんのサポートを、ありがたく受け取っております。応援ありがとうございます。