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【公演ブログ#3】カフカの『変身』を読んだ[公演まであと49日]
劇団サクラのふじいです。
今日はズバリ、カフカの『変身』を読んだ話です。
いやブログ3日目にしてもう完全に公演と関係ない話をしてるぞ。まぁそんなもんだ。
なんでまた急に『変身』を読んだかというと、最近文学作品をあんまり読んでなくて、久々に何か文学を読みたくなったからです。ほんと読むのが新書ばかりになってたんです。そこで冬休みに色々文学作品を買ったのもあり、溜まってた積読を解消しようと思い立ったのです。
一体何年間あの本は積まれてたのでしょうか。
初めてあの本を買ったのは高校1年生か2年生の時です。ちょうど中島敦の『山月記』を授業で扱った時ですね。国語の担当だったK先生が、『山月記』をやる前に『変身』を読んでおきなさいと課題を出されたので買ったのでした。ただ当時の勤勉ではない私は結局『変身』を読まずじまいで、ずっとこの本は本棚の片隅にあり続けたのでした。
それからもう8年ぐらいは経ちましたか。
本当につい前日、一念発起してこの本を読み始めたわけです。といっても『変身』はそんなに長い作品でもないので、3日あれば十分読み終わりました。
『変身』に関してはあまりに有名なので、考察本とかはもう山ほどあると思いますし、学者でもない私が考察なんてしたって大した論にはなりませんから、とりあえず読んで印象的だったことだけを記しておきます。
以下、『変身』を読んだことのある人に向けて書いてあります。あらすじとかは割愛します!
印象的だったのは、妹のグレーゴルに対する態度です。妹のグレーテは虫になったグレーゴルを一番親身に、甲斐甲斐しく世話をする訳ですが、それがグレーテの自尊心を満たす行為となっていることをグレーゴルは指摘します。
例えば、グレーゴルの部屋の家財道具を片付けまいとする母親にグレーテが反抗した場面。少し長いですが引っ張ってきます。
妹にそういう要求を持ちださせたのは、むろん子供らしい反抗心と、このころの期間に不意に、辛い思いをして獲得された自負心とばかりではなかった。(中略) しかしおそらくはまたこの年ごろの娘にありがちの狂熱心も一役買っていたのであろう。そういう狂熱心はどんな機会にも自分を満足させようとし、またそういう狂熱心がいまグレーテを誘惑して、グレーゴルの境遇をいっそう悲惨なものにしよう、しかしそうすることによっていままでよりもさらにいっそうグレーゴルのためにつくしてやろうという気を起させたのであろう。
グレーゴルのために尽くすという意思はあるものの、それはどちらかというとこんな悲惨な目に遭ったグレーゴル兄さんを甲斐甲斐しく世話をする自分に対するグレーテの自尊心が相当に感じられる場面です。
ところがしばらく経ってから、グレーゴルが自分の部屋から這い出て下宿人を解約させてしまった場面。グレーテはこのように態度を変化させます。
「もう潮時だわ。あなたがたがおわかりにならなくたって、あたしにはわかるわ。あたし、このけだものの前でお兄さんの名なんか口にしたくないの。ですからただこう言うの、あたしたちはこれを振り離す算段をつけなくっちゃだめです。(略)」
さらにグレーテは続けます。
「もしこれがグレーゴルだったら、人間がこんなけだものといっしょに住んではいられないということくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出ていってしまったわ、きっと。そうすればお兄さんはいなくなっても、あたしたちはどうにか生きのびて、お兄さんの思い出はたいせつに心にしまっておいたでしょうに。それなのにこのけだものときたらあたしたちを追いまわす、下宿のかたがたを追いはらう、きっとこの家全体を占領して、あたしたちを表の道の上に野宿させるつもりなのよ。」
あれほどまでにグレーゴルの世話に執心していたグレーテの心変わりは読んでいる側としてはなかなか衝撃でした。
グレーテは初め、この"けだもの"をグレーゴルとして扱おうと努めていました。だからこそ彼女は甲斐甲斐しく世話をできたわけです。
ただ下宿人を追い払い、母親を気絶させたそよ"けだもの"をグレーゴルとして扱うことに限界を感じ、ついにグレーゴルを"これ"とモノ扱いするに至るのでした。
無論グレーテが悪いとは思いません。グレーテはあくまでも、一番最後までグレーゴルをグレーゴルとして認めた人物でした。
父親は早々に"けだもの"と成り果てたグレーゴルを厳しく痛めつけますし、母親は"けだもの"となったグレーゴルを見ると恐ろしさのあまりすぐ気を失ってしまいます。
そんな中、グレーテは努めて"けだもの"をグレーゴルとして扱い続けたのです。そのグレーテがそんなことを言い出したからこそ、父親はグレーゴルを見捨てようと決意を固めたのでした。
グレーゴルは妹の告白を聞いていたはずです。
これを聞いてグレーゴルはどう考えたのか。
グレーゴルの中にその思考がない訳はなく、グレーゴル自身を出ていくことを考えたでしょう。ただグレーゴルはその行動には至らなかった。その理由は色々あるはずで、一つにはザムザ家の生活はかなりグレーゴルの稼ぎによって成り立っていたこともあるでしょう。そこにグレーゴルは自尊心があるから、おいそれと自分から出ていくというのはプライド的に許されない。
こう思うと自尊心というのは非常に厄介で、グレーゴルの世話をするのも自尊心だし、グレーゴルが出ていかないのも自尊心…。
結局のところグレーゴルはいない方がいい人になってしまったのです。最後のシーン、家族はグレーゴルが死んだ後、家を引き払って引っ越します。その途上の電車の中、グレーテにいい夫をそろそろ見つけたいというあまりにも明るすぎるラストを迎えます。
彼らはまるでグレーゴルのことを忘れてしまったかのように、新たな生活への期待感に胸を膨らませている。誰が悪いわけでもなく、突然虫になってしまったグレーゴルは、いない方が良い人に成り果てたのでした。この虚無感たるや、読み終わった瞬間、私もいない方がいいのかなとか思って病んで、その日は大学に行きませんでした。まるで虫になることを望んでいたかの如く。
そんなことを『変身』を読んで思いました。
公演には本当に関係ない話でしたね。
ではまた次回…!!
…公演まで残り49日