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黄昏の古書店(短編小説)


劇団ロオル 短編小説・短編戯曲 作・本山由乃

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黄昏の古書店


いつだっただろうか。
ずっと昔のような気もするし、ついこの間だったような気もする。記憶が曖昧なのです。

どういうわけか、
あの日の事は夢のような、そう、白昼夢のような。思い出そうとすると、ふと、消えてしまう、霞のような記憶なのです。
その日はたまたま、私は早く仕事が終わり、家に帰る途中でした。
いつもの通り、いつもの道を歩く。日が傾いて、西日が眩しくて、少し、うっとおしくて。ふと思い立って、道を反れて一本奥の路地に入ったのでした。
見慣れない建物の並びに、緊張しながら歩いていると、ぽつん、と古本屋があるのを見つけました。
こんなところに、とぼんやりと思い、立ち寄ってみる事にしたのです。でも、店内には明かりが入っておらず、人の姿も無い。ガラス戸は鍵が閉められていて、どうやら営業は終わってしまったようでした。
でも、・・・、店の軒先にはダンボール箱に乱雑に詰められた、日焼けで茶色くなった本たちが取り残されていたのです。
店主が仕舞い忘れたのか、はたまた、捨てる本なのか。
もしめぼしい本があったら持って帰ってしまおうか、と、段ボールの中をかき分けてみると、あれ、紙とは違う、異質に、指先が当たったのでした。
なんだろう・・・、


拾い上げてみると、ちいさなルーペでした。


誰かの落とし物だろうか、
誰かの忘れものだろうか、
埃で濁ったレンズの向こう側を覗いてみると、


・・・驚いた・・・、


まあるい輪っかの向こう側は、真っ赤な夕日が目を焼くように、じりじりと、身をよじって地平線の向こう側へ滑り込んでいくところでした。

でも、そこはやはりすたれた古本屋の軒先であって、夕日は私の背後、路地の向こう側にあるのです。
どうなっているんだろう、私はもう一度、ルーペを覗いてみました。
ああ、夕焼けの残響が薄紫に滲んでいる、もうすく夜がやってくる。
思えば少し肌寒くなったろうか。
私は、向こう側と、後ろの夕日との区別がつかなくなっていました。
いえ、あれは同じものだったのでしょう、だって、こうして私がのぞいている間にも、背中の夕日は陰っているのですから。


・・あれ、
ふと、輪っかの中に人影を見つけました。小さな人影は、私に背を向けて、ゆっくりと歩いています。
子供だ、女の子だ。母親に頼まれた買い物を終えてか、大きな袋を抱えて、辺りをきょろきょろと見回しながら。
不安げな足取り、迷子だろうか。
どうしたの?
私はつい、声をかけていました。
迷ってしまったの?
でも、女の子は私の方を振り返りもせず、黙ったまま、黙々と歩き続けるのです。
迷子になってしまったら、むやみに歩いちゃいけないよ。
それでも、彼女は歩き続けます。
まるで立ち止まってしまったら、この夕暮れの隙間に、落っこちてしまうかのように。


「お客さん?」
「ああ、」
「すいませんね、もう終わっちゃったもので、少し出てたんですよ」
「いえ……」
「何か、お探しの本ありましたか、よろしければどうぞ」
「ああ、大丈夫です、」
「そうですか、ああ、この中はいかがでした?もしよかったらもらってください」
「え、ああ……これ……と、私は動揺して、一冊の本を手にとってしまったのでした。
「はい、まいど。」

そういうと、店主はガチャガチャと錆びついた鍵を開けて、店内に消えて行ったのでした。手元に残されたルーペ、そしてこの本。
もう一度、ルーペを覗いてみると、そこには古本屋の濁ったガラス戸と、店主が奥座敷に入っていく、そして無人になった薄暗い本棚の列。歪んだおもちゃのルーペのレンズ。それしか見えませんでした。
私は、あの女の子が、無事にたどり着いただろうかと、とても心配になっていました。
でも、一体どこへ?
女の子は、と私は、ふと、思ったのです。
一体どこに、帰るのだろう。
路地はもう黄昏を過ぎて、夜が浸食していました。それを見て、心臓が熱くなったのを覚えています。


手元に残ったルーペとこの本。


ルーペはもう、あの夕暮れを私に見せてくれる事はありません。もしかして、夢だったのかもしれない、と思うのはそのせいです。私の白昼夢、夕日の蜃気楼。
それでも、私はあの女の子が心配でたまらないのです。


きっと、あの子は、私なのですから。

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