林復斎 vs ペリー
黒船に蹂躙され、ペリーに結ばされたと言う「日米和親条約」、しかし、この条約には米国の当初の予定にあった「通商」が入っていません。それはペリーが林復斎にフルボッコで論破され、半泣きで『和親』のみで条約を締結せざるを得なかったためです。
では、墨夷応接録に記録されていた内容から、そのやり取りを見てみましょう。
ペリー「ニホンのみなさーん、わが国は人命が第一です。日本はアメリカ人遭難者の救助を協力するために、開国してくださいよー」
林「日本も同様でっせ。過去にも何人も遭難者を助けてるやん?」
ペリー「お、おう・・・」と、カウンターパンチで一撃
ペリー「それはさておき、交易しようぜ!交易すれば儲かるし」
林「交易て、自分とこで十分足りてるから、外国の商品なんていらんし。
それに、さっき自分【アメリカは人命が第一】って言うたやん。
日本もそれで合意したし、もぉええやん。any other questions?」
ペリ「いやその…あのその…」
そして
ペリー「じゃ、じゃぁ、じゃぁさ、他に港を開けてよ、不便じゃん」
林「長崎を開けてますやん」
ペリー「だから、長崎だけじゃ不便だからさー」
林「じゃぁ考えとくわ」
ペリー「考えとくって、林サーン、アナタ全権委任されたんでしょ?」
林「だったら去年の親書に、そう書けや!港を増してーって」
ペリー撃沈
しかしペリーも負けず
ペリー「じゃぁさ3日待つから教えてちょ」
林「7日後な」
ペリー「・・・」
ーー7日後ーー
ペリー「ドコ開けてくれるの?決めましたか?」
林「下田と函館を追加な」
ペリー「え?他は? 5、6箇所にしてよぉ」
林「 (゚Д゚)ハァ? 」
ペリー「・・・」
そして移動範囲も7里で充分と、丸め込まれる。
ーー数日後ーー
ペリー「函館がどんな所か見学させてくださいよー」
林「オマエそういや、こないだ函館うろついてたらしいの」
ペリー「え?」
林「なんや林の許可もろたゆーて、燃料代もろてたそうじゃん」
ペリー「え?え? そんな事ないヨ…」
林「役人の書面があるんじゃボケー!」
ペリー「なんで函館の話を知ってるん?
あっこから10日くらいかかるって言うじゃん」
林「飛脚なめんなコラ!」
ペリー「・・・サーセン」
そして日米和親条約を締結。
その後、ペリーは病気を理由に締結式典を欠席。
二度と日本に来る事は無かったそうな。
お し ま い
こんな流れは日本史では教わって無いですよね・・・