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帰国子女の奮闘~小学校編入~

帰国後の学校

我家にとってドイツの生活はかけがえのない時間でした。そんな時間もついに終わりを迎え、日本に帰国することになって、子供たちはいくら残りたくても親の都合で帰国しなくてはならないので、相当葛藤があったようです。
長男にNicoは、11月に一時帰国で受験をして、中学からは私立に通う事になったものの、ドイツにできるだけ長くいるために、本帰国したのは6年生の1月というとんでもなく中途半端な時期でした。卒業までの3か月間、地元の小学校に編入することになったNico。編入手続きで学校を訪問し、新しいクラスについて最初に聞いた言葉はこうでした。

「暴力の多いクラスです。」

・・・・私とNicoは思わず固まってしまいました。本人が同席してる席で言う事なのかな?この時はこう考えて、担当の先生の人柄を疑ってしまったのですが、これは悪気なく言った本当のことだったんだということが、クラスに合流してからわかりました。
しかし、編入前にものすごい先入観を持ってしまい、新しい生活への期待感が見事にぶち壊されてしまった感は否めませんでした。帰り道にNicoにどう思ったかを聞いてみたら、

「あの暴力の話?ゾッとしたよ。僕が思うに、これから転校してくる子に言う話じゃないよね。本当にそういうのがあるかもしれないよ?でもまずそれを言うって、この先生どうなの?って思った。」

全くおっしゃる通りです、ハイ。
まぁでも皆悪い先生ということはないし、行ってみたら友達になれそうな子が必ずいるはずだよ、とポジティブに考えてみようっ励ましたものの、心中は穏やかではなく、不安な幕開けとなったのでした。

新生活

翌週から早速転校して、学校生活が始まりました。
学校へ通うようになってから、まずNicoが言うことには、兎に角みんな口が悪い、との事。

死ね、カス、ゴミ、クソ、バカが!、ガキが!、知的障害、…etc...

そういったことをNicoだけじゃなく、日常的に友達に向かってみんなが言うのだそう。そういう日常の中では、こんな時期の転校生への風当たりが強いのは仕方のない事なのかもしれません。

本人のメンタル面を心配して聞いてみると、「これらの事は全く刺さらない。」との事で、不快だけど傷ついたりはしないらしいのです。

クラスメートに早速、

「死ネっ!!」

といわれた、Nico。

「なんで?」

と返したそう。

この話を聞いて、思わず私は吹き出してしまいました。
ドイツで某R女史から耳にした話を思い出したからです。

ドイツ的な疑問

R女史はドイツのお年を召した奥様に「ねぇ、日本人は品の良い人達だけど、日本にもあの下品な言葉はあるの?」と言われたそうです。これは「○の穴」という下品な言葉の事をさしており、英語と同様にドイツ語にもある単語です。
確かに日本語には人を罵る時にはそういう単語は使わないので、どういう言葉があるかなというので、『死ね』はどうだろうか、日本でよく使う罵り言葉として浮かんだ言葉を伝えてみました。それを奥様に言ってみると、奥様は、キョトンとした顔で「なぜ?」と聞いてきたそうです。

Nicoの「なんで?」と同じく、「なぜ?」と尋ねたドイツの奥様。

ドイツの人たちには、「死ね!」という言葉はとても不思議に取られてしまうのはなぜなのでしょう?
Nicoに聞いてみると、純粋に疑問だったから、なんでか聞いてみた、という事でした。


子供のもつ権利とは・・・

Nicoのこの答えから、私は自分なりに考えた結果、以下のような結論に辿り着きました。

ドイツでは、第二次世界大戦でナチスドイツのやった事を非常に反省している国ですので、国内にナチスドイツに関する博物館等の施設がたくさんあり、ナチスの非道さを人々に広く伝えており、そういったことが2度と起こらないように、人権について小さい頃から学んでいます。子供の人権についてもしっかりとした授業があり、その内容は非常に具体的です。

子どもの権利条約のポイントは下記です。
(引用元:unisef 子どもの権利条約よりhttps://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html

・生きる権利(住む場所や食べ物があり、 医療を受けられるなど、命が守られること

・育つ権利(勉強したり遊んだりして、もって生まれた能力を十分に伸ばしながら成長できること

・守られる権利(紛争に巻きこまれず、難民になったら保護され、暴力や搾取、有害な労働などから守られること

・参加する権利(自由に意見を表したり、団体を作ったりできること

かなり小さいうちから、自らがどのような権利を有しているのか学習し、実際の社会もそれを当然のものとして受け止め、順守しているので、子供を連れて街を歩いていると街の人がとても優しいのは誰もが感じる事だと思います。たとえば家で子供と大喧嘩をしていると、近所の人に警察を呼ばれやしないかひやひやするのもこういった事のためで、ドイツ社会では法律にあることは絶対で、それ相応の罰則があります。

そういった教育や社会のもとでは、他人が「死ね」と誰かに命令する事は絶対にありえないし、そのような権利も、従う義務も当然ありません。たとえ何か脅し文句を言いたい側だったとしても、意味をなさないので「死ね!」をチョイスすることはないのです。
また、「殺すぞ!」というような脅しの言葉とは違って、自らが死を選ぶという「死ぬ」という自動詞をなぜか他人から投げつけられるという、文法的にもとてもあべこべな状況になっているという事もあるのでしょう。

ドイツと日本の考え方の違い

日本の子供たちが口にする「死ね!」は、本来対等な関係の子供達の中で、自然と生じた上下関係の上から下への命令であり、命すらも自由にできる人権無視の発言です。
ドイツでは誰しもが明確な生きる権利を有していることは、当たり前のことであるため、Nicoにとっては、クラスメートが「死ね!」と言ってきたとしても、もちろん不快だとは思いますが、必要以上にクヨクヨしたり傷ついたりはしないのだと、そういうことなんだと思います。

「ドイツに帰れ!」

に対しても、「なんで?」と聞いたというNico。

当然、「黙れ!」に対しても、「なんで?」です。

彼にとって、クラスメイトがそのような発言をする権利を有してないという事はとてもはっきりしているのでしょう。彼には日本でもドイツでも存在する自由があり、何人たりともその権利を侵害する事はできないという事を、明確に心の中に持っているのです。

どちらが根負けするのか分かりませんが、これが俗にいう「うざいやつ」なのかもしれません。
Nicoの強さの源は、こういった人権に対するドイツの教育のおかげなのではないかと考えている今日この頃です。


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