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アラウカニア・パタゴニア王国

王様になりたいなら名乗ればいいだけのことです。それがたとえ承認されなくても、王を自称し王家と名乗れば誰でも王になれます。資格は不要で、唯一あったほうがいいのは正統性です。そこは血統や所有している土地云々で正統性の論理を組み立ててください。それゆえ弁護士は王に向いているように思います。

フランス人弁護士オルリ・アントワーヌ(1825~78年)は世界地図を眺めていてひらめきました。現在のアルゼンチンの南部であるパタゴニア地域は、誰も、そしてどの国家も領有権を主張していないことに。そこをフランスの植民地にしたらいいのではと気が付き、彼はある計画に移ります。

この地域は近代国家にとって未確定地域だった

資金を貯め、スペイン語も勉強したオルリは1860年にパタゴニア地方にやってきます。そして現地の部族であるマプチェ族らに、「この辺、立憲君主制にしない?」と交渉したらあっさりオーケーが出てしまい。アラウカニア・パタゴニア王国が爆誕します。植民地としてではなく、彼はオルリ=アントワーヌ1世として即位することになりました。

オルリ=アントワーヌ1世肖像
ナポレオンのマネをしている

オルリは”隣国”であるチリやアルゼンチンに「独立したんでよろしく」と送り、適当にその辺の人やフランスから来た移民を大臣に指定し、自らは国旗や国歌の制定に勤しんでいました。

国旗

チリの当局や本国フランスは「こいつはあたまがおかしい。承認しない」と通告されます。1862年にチリがアラウカニア・パタゴニア王国に攻めてきますが、いろいろややこしくなるのを恐れてチリ当局はオルリを拉致します。そして王はフランスに強制送還されてしまいました。

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