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シュチェチン独行🇵🇱
ベルリンがなぜか肌に合わなくなって、心は東方へ向かい、いつしかポーランドへ行こうという意志が芽生えてきました。
とはいえ、あまりに突発的な考え故にワルシャワまでは行く余裕がなかったので、ドイツの国境沿いでそれなりに大きそうなシュチェチンという街に行こうということになりました。それまでシュチェチンという名前すら知らなかったのですが。
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市内中心にある14世紀に建てられた城館へ。シュチェチンは中世から17世紀前半まで存在したポメラニア公国という国の首都でした。
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西はプロイセンで東はポーランド
城は1573〜82年の間に今のように改修されましたが、見たことがない模様の屋根破風と、イタリア・ルネサンスの基礎およびゴシック様式のニュアンス、そしてポメラニア的?土着の模様や装飾が施されており、旅全体でもとりわけ印象に残りました。
中はシュチェチンの歴史を知ることができる博物館ですが、なんじゃこりゃという印象の外観によって、記憶が飛んでしまっています。
建築史的に調べると18世紀にはプロイセン領になりドイツ・ロココ様式に全面改修されました。ただ第二次大戦によって破壊されてしまいます。
その時にどう復興させるかということですが、支配者のドイツ色を残さないようにあえて16世紀の独特な模様と装飾で再建されたので、このような異彩を放っているようです。
↑第二次世界大戦後に、民族ドイツ人をポーランドから強制的に追い出す事件がありました。東欧中からドイツへ強制移住が行われ、その数は1200万人とも言われています。知られざる歴史の悲劇です。
シュチェチンは歴史的にもドイツとの関係が深いのですが、彼らとの訣別ということで、公爵城はドイツになる前のポメラニア的な意匠が復興案として採用されたということになります。
建築は復興や再建という形で大きく形を変えるものですが、これほど歴史によって揺らぐものなのかと思いました。建築の自律性など建築家の頭の中以外ではありえないようです。
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