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花咲く等持院の影に

龍安寺の石庭が苦手だ。もっと直接的に言うなら良さが分からない。

どうも枯山水が好きになれない私は、石に仏の世界を観る想像力に欠けるのだと思う。そもそも精神に宗教的次元が備わっていないのかもしれない。
茶人を気取っておきながらわび茶も実のところよく分からない。地味で殺風景だから嫌いというわけではなく、感性や本能といったどうしようもないところから苦手なのだろう。知識を専門家並に積んだところで、それが解消されることはなかった。

龍安寺の石庭が何の感興も引き起こさなかった時、自分に問題があるように責めるのは自然なことだと思う。誰もが「最高傑作」「日本美の粋」と褒め称えているからだ。
修学旅行で観た時は知識も経験も乏しいために判断ができないため、よく分からないのだろうと保留していたが、日本の枯山水の代表作相手にも何も響くところがなかった。一時間座ったところで答えは出なかった。

多くの人が褒め称える至高のものがわからないという点で、巨大な権威と化した龍安寺石庭のつまらなさについて告白すると、「見る目が未熟な馬鹿」と思われるのではないかと恐れていたことがある。
自分の目を持とう、と無責任に人は言うが、あらゆる芸術分野に権威の問題が関わってくる。決して自由にものは観られない。

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