フランク・アウエルバッハ追悼
フランク・アウエルバッハ(Frank Auerbach 1931~2024)が今月亡くなりました。ナチスの迫害で両親を失い、英国・ロンドンに移住という第二次大戦の惨禍を体現したような画家です。英国を筆頭にヨーロッパでは知られた存在なのに、日本ではほとんど知られておらず、日本語の追悼記事は見当たりませんでした。
英語読みのオーベルバックの方がいいのかもしれませんがアウエルバッハでいきます。1947年からロンドンに住み美術の道へ。1948年からセント・マーティン美術学校、1952〜55年はロイヤル・カレッジ・オブ・アートで絵画を学んでいます。キャリアの初期からルシアン・フロイドやフランシス・ベーコンらに評価されていました。
1986年のヴェネツィア・ビエンナーレで英国代表として出品して金獅子賞を受賞しています。1980年代の絵画復興のムーブメントの中でアメリカなど国際的にも、英国現代絵画の雄として知られるようになります。その後ダミアン・ハーストらYBAの勢いに埋もれてしまった感はありますが、60年以上のキャリアがある画家として敬意を集めてきました。
初期作品
私が好きなのはかなり極端に、1950後半〜60年代前半にかけて描かれた木炭画の肖像表現に集中しています。とてもヘヴィな質感と戦後という時代が溶け合って迫ってくるようです。例えるなら境遇的にも近いパウル・ツェランの詩のような重たさがあります。
沈痛な意識が眼窩に響いてくるのは、どうしてもナチスの迫害で両親を亡くした孤児としての来歴を投影して鑑賞しているせいかもしれませんが、この黒のマットな使い方と削るように白の光を作り出す、嵐の中にいる肖像は独特のものです。
木炭で描いた黒を削りとって肌を浮かび上がらせるため、削りに削って画紙が破れており、2枚重ねのところがあります。傷を仄めかす瘡蓋のような、ボロボロと崇高のせめぎ合いの暴風が絵の中で吹き荒れています。
アウエルバッハは自分、共に生き延びた従兄弟や画家仲間といった親しい人のみを描いており、親密だからこそ見えてくる哀しさを捉えて抽出しているモノクロームの世界は、観る人の心を揺さぶります。
2024年の前半にロンドンのコートールド美術館で、これらだけを合わせた展覧会があり、行きたかったのですがまあ行けず、カタログを買って読んでいます。私にとってのアウエルバッハへの興味はこの時期のこのような絵に集中しています。
彩色表現
1960年頃からずっと彩色の絵は描いています。脂が乗っているのは1970年代のいくつかです。抽象画に接近しつつも具象画からは離れませんでした。
現代絵画と言っても、やはり20世紀前半のドイツ系絵画の系譜に位置付けられそうではあります。ドイツ表現主義の延長にアウエルバッハの油彩を置くとしっくりくるなと思います。
色使いはドイツ表現主義の延長で、特徴があるとすれば筆のスクロールをそのまま具象に当てはめて活かしているといったものです。この方面に関して言えばアウエルバッハの独創というよりは系譜のようなものが見て取れます。
本人としては自分を追い出したドイツの絵画的伝統と結び付けられることを、よくは思わないかもしれませんが。
1938年生まれでほぼ同期といえるドイツの画家ゲオルク・バゼリッツも有名ですが、濃厚な色彩と激しく攻撃的な描き方は近しいものがあります。この世代の表現の強さでしょうか。他にも現代絵画にはバスキアら激しい筆使いの画家はいくらでもいるため、アウエルバッハ独特の個性を見出すのは比較の上で吟味してやっと分かるくらいのものになります。それが英国絵画のフィールドを越えず、日本ではほとんど無名な理由かもしれません。
とはいえ木炭画で見せた人間への深い眼差しは油彩でも活かされており、輪郭の分厚いうねりから彫り出される対象の深奥というべきものの哀しさ、鋼のような暗さを峻厳に描き出しています。
風景画や静物画などは、同世代の画家および先輩格のドイツ表現主義の面々の方が印象に残ることもありますが、肖像表現と自画像に関して言えばモノクロームでも色彩でも、卓越したものを見ることができます。
まとめ
人間存在の象徴は頭部です。特定の誰それというより、その「人間の頭部」自体の存在感を強烈にぶつけた絵画群は、今後も高く評価されるのではないでしょうか。「人間を描くこと」を高く評価してきたヨーロッパの伝統的な基準を踏まえると、アウエルバッハはその悲劇的な出自も絡めて扱われてきました。
いわゆるコンセプチュアルな絵画ではありませんし、政治的な解釈を許す要素は画中にほとんど見当たりません。ゲルハルト・リヒターは高く評価されて日本でも有名で多くの追従者を生み出していますが、リヒターよりリヒターの表現する主題を体現した存在であるアウエルバッハはほぼ無名、というのは概念に頼れる軽みがなく、20世紀半ばの重みがそのままのっかていることにあるように思います。非ヨーロッパ人には深刻すぎるところがあるのは否定できません。
ヨーロッパでは英国だけでなく、ポンピドゥセンター等、だいたいの現代美術館には収蔵されている巨匠です。
そして、ご冥福をお祈りいたします。