【月光ソナタ】 6 プチフルート 2022年7月13日 17:55 何年ぶりだろうか、知り合いにピアノ調律の依頼を受けた。若い頃、僕はピアノ調律の仕事に携わっていたのだが、一体何年ぶりの仕事になろうか・・・依頼を受けたピアノは〈YAMAHA U―1イチ〉というアップライト型ピアノで、若い当時のYAMAHAの主力商品だった。〈U―1イチ〉〈U―2ニ〉〈U―3サン〉という〈Uシリーズ〉の中では一番小さいピアノになるのだが、小さいとはいえ、高品質を誇るYAMAHAピアノである。完成度が高くてシッカリと鳴り響くその音色は美しい。しかし本当に久しぶりの調律である。腕が鈍ってはいないだろうかと少しばかりの不安を感じながら作業に取り掛かったのだが、身体で覚えた技術は忘れるものではなかった。直ぐに当時の感覚が甦ってきたのである。歳を取ると高い音が聴こえ辛くなるというが、高音部もなんとか聴き取ることが出来た。1時間30分程で調律が終った。88鍵の鍵盤に平均律の音階が調律されたのである。ところで、ピアノ調律をやる人はさぞや演奏も出来るんだろうな、と思う人がいるかもしれないが、実は調律と演奏は別物なのだ。だからピアノ調律師はピアノ演奏の専門家ではないし、ピアニストだからといって調律が出来る訳でもないのである。僕はピアノは弾けないのだが、中にはピアノ演奏を得意とする調律師もいるにはいる。しかしそれは極少数に過ぎない。若い頃からフルートを齧っていたので、僕が演奏出来る楽器と言えばフルートくらいだ。ところがピアノ調律の世界に入ってからというもの、ピアノ演奏に憧れたし、調律の仕事が終ったあとに簡単なデモ演奏くらいはやりたいなぁと思ったので、クラシック音楽の中でも超有名な、あるピアノソナタを本気で練習したのである。その曲とは〈ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品27―2「月光」の第1楽章〉である。〈月光〉の第1楽章はテンポがスローリーなので挑戦してみることにしたのである。完全に暗譜したその曲を数ヶ月間掛けて磨きあげていったのだが、その出来は中々のもので、当時楽器店に勤務していた音楽教室のピアノの先生達から〈月光の第1楽章〉に限って一目を置かれるようになったのだ。何かの時には「〇〇さん〈月光〉弾いてぇ」とリクエストを貰うようにもなった。そして、ピアノの先生達が、僕の目の前で〈月光〉を弾くことは決して無かったのである。自分で言うのもなんだが、先生達が僕より上手に〈月光〉を弾く自信がなかったかもしれない。馬鹿のひとつ覚えだった僕の〈月光〉は、それくらい完成度が高かったのだと思う。あの頃は楽器店の皆んなで毎晩のようにスナックに飲みに通っていたものだが、グランドピアノが置いてあるそのスナックでも〈月光〉をリクエストされてはよく弾いていた。調子に乗った僕は、それから以降、同じくベートーヴェンの〈悲愴ソナタ〉の演奏に挑戦したのだが、第1楽章の導入部分を弾くのがやっとのことで、結局は挫折してしまった。・・・・・・・さて、久しぶりに調律を終えた僕は、ピアノの前に座って、そんな楽器屋時代のことを思い出していた。〈懐かしいなぁ・・・〉そう思った僕は、チョッとだけ〈月光〉を弾いてみようかなぁと思ったのだった・・・ゆっくりと低音のオクターブを鳴らすと同時に右手の3連譜を弾き始める・・・ダンパーから解放されたピアノ弦は、あらゆる倍音を誘って響き渡る・・美しい和音が続いたあとに、右手小指がG♯の黒鍵を叩いて主題を奏でる・・・「ポンポ ポ~~ン~」・・・となるハズだったのだが、如何せん久しぶりの〈月光〉だ。暗譜した音を忘れてしまっているし指も動きはしないのだ。暫く格闘したのだけれども 5・6小節を思い出すのが精一杯なのだった。それでも綺麗に調律された美しいピアノの音色を聴きながら、もう一度〈月光〉を練習してみようかなぁ、なんて思ったりする僕なのであった。 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #エッセイ #毎日note #イラスト #短編小説 #ピアノ #ラーメン #演奏 #面白い話 #ベートーヴェン #YAMAHA #ピアノ調律 #月光ソナタ 6