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【14基の墓石】
〈ツアーバス〉で旅行するのが流行っていた頃の話である。
東京を発ったその〈ツアーバス〉は広島に向かっていた。
10数時間を走行して広島市内に入ったバスは、目的地のライブハウスを目指していたのだが、急にコースから外れてクニャクニャとした峠道を走り始めたのだという。
辺りは暗くなってくるし、不安になった同乗者のひとりが運転手に声を掛けた。
「おい、こんな道を走って大丈夫なのか❓️ チャンと目的地に着くんだろうな」
しかしその問いに応えることはなく、運転手は無言でバスを走らせるばかりなのだ。そして段々と山奥に入って行くのである。
「おい、こんなとこにライブハウスなんかある訳ないだろう・・しっかりしてくれよぉ」
やがて、運転手は無言のままバスを停車させたのだが、バスの正面にはヘッドライトに照らし出された、14基の墓石が現れたのだった。
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時は遡る・・・1991年3月14日に当時建設中であった広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)の工事現場で、橋桁が落下し、一般人と作業員の14人が死亡、9人が重軽傷を負うという事故が発生した。
道路と平行して作られたモノレールの、その橋脚の上から、長い橋桁が落下して、真下に縦列に停車して信号待ちをしていた沢山の車を直撃したという凄惨な事故である。下敷きになった車は厚さが50cm程までにペシャンコになったという。
実は、この工事現場の近くには14基の墓があって、工事を行うに当たってそれを山の中へ移動・移設したのだということが、後になってから明らかになるのである。
ツアーバスが辿り着いたところが、その移設された墓の前だったのだ。
「おれ、墓石に呼ばれたのかなぁ❓️・・・」
我に返った運転手が、そう呟いたそうである。
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当時、僕は事故のあった安佐南区内に住んでいたので、その時のことはハッキリと覚えている。
それにしても〈14〉という数字は偶然だったのだろうか・・・
事故から程なくして、現場の道路脇には慰霊碑が建てられたが、今でも献花やお供え物が絶えることはない。
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(YouTube【重鎮 山口敏太郎】短めの怪談/都市伝説をバンバン話してくれました!怪談界の重鎮 敏太郎さん登場!!!『島田秀平のお怪談巡り』より引用)