30代からの語学12 理想的な語学教師とは?
語学を長期間続けるようになると、独学が徐々にしんどくなってくる。内容が難しくなってきたり表現の幅が増えてくるにつれて「〇〇構文に必ず付いてくるこの語は一体何だろう?」とか「習った構文を応用してこういう文は作れるのだろうか?」などテキストや文法書には出てこないことも知りたくなるからだ。Google翻訳などを使えば少しは理解できる時もあるけれど、語学レッスンなどで詳しい人に教えてもらえれば一気に解決するだろうし、ついでに関連表現も紹介してもらえるかもしれない。ということで、独学で始めたとしても半年も経てば「どこか近場に良いレッスンないかな〜」としきりに検索するようになる。
語学レッスンを成功させる上で重要なのは「たゆまぬ努力」と「先生との相性」の二つである。でも、「良い先生」ってどうやって判断すればいいのだろうか。今日はこの問題について考えてみたい。
理想的な語学教師=理想的な調査インフォーマント?
いきなり専門分野の話に入ってしまい恐縮なのだが、言語学の界隈で「言語を教えてくれる人」というと語学レッスンの講師よりも「言語調査のインフォーマント」を先に思い浮かべる人も多いだろう。インフォーマント(またはコンサルタント)というのはフィールド言語学でよく使う用語で、フィールド調査に協力して自分たちの言語を教えてくれる人たちのことだ。世界各地にはまだ記録もほとんど無いような言語がたくさんあるのだが、フィールド言語学者と呼ばれる人たちが各地をはるばる調査に行って様々な言語を記述している。フィールド言語学者について興味がある人は、吉岡乾さんの『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語き。』がとても楽しいのでぜひ読んでみてほしい。
言語学者にとっては「優秀な語学教師と優秀なインフォーマントは共通している」と考えるのはかなり自然だし、私も以前はそう考えていた。吉岡さんの本には「インフォーマントとして優秀な特徴」がちょうど話題になっているので少し引用させてもらおう。
①気長に相手をしてくれる。
②言語調査に関心を持ってくれる。
③頭の回転が悪くない。
④それなりに暇がある。
(吉岡乾『現地嫌いのフィールド言語学者、かく語りき。』p. 52)
上の四つの特徴は確かに語学レッスンの先生には全て満たしてほしいものばかりだ。①気長に相手をしてくれずに②言語学習にも関心を持たず、③頭の回転が悪くて④教えている暇もない語学の先生は根本的に失格だし、仕事として全く向いていない。
しかし上記四つの特徴は語学教師にとっては「最低基準」な気がする。つまり、プロとしての語学教師に求められる水準は、アマチュアのインフォーマントよりも明らかに高い。では、何が加われば「最低基準」から「理想的」に変身するのだろうか?
自分の経験から「理想的な語学教師」を考える。
正直に言ってしまうと、「どんな語学教師が理想的か?」という問いの答えは人によって異なる。なので、ここからは自分の経験にもとづきながら私にとっての「理想的な語学教師」を考えていきたい。私はベトナム語のマンツーマンレッスンを現在進行形で四年以上利用しているが、この間ただ一人の先生にずっと教わっている。私にとっては、この先生こそが「理想の語学教師」に一番近い。
日本ではベトナム語は間違いなくマイナー語学だと思うが、マイナー語学の鉄則として「良い先生を見つけたら絶対に手放すな」というのがある。マイナー語学ではそもそも教えてくれる先生も少ないし、地域によっては一人もいないこともある。元々の母数が少ないので相性の良い先生に会える確率はもっと少ない。そのため、「良いな」と思える先生と出会えたら、なんとか信頼関係を築いて長く続けられるように努めないといけない。うっかり逃してしまうと次のチャンスは全く期待できない。
私が今ベトナム語を教わっているのもまさに「安易に手放せない優秀な先生」だ。この先生がいなかったらベトナム語の学習自体が成功しなかったと断言できる。教科書的なハノイ音とは少し異なる音体系だが、それも全く気にならないくらい教え方がうまい。
何がすごいのかというと、まず「私の語学レベルよりも常に少し上のレベルのベトナム語で対応できる」のが素晴らしい。話す時のスピードや使う語彙の種類などを常に少し上のレベルに調節してくれるので、毎回のレッスンでも気が抜けないし雰囲気がゆるくならない。私も中国語を教えているが、学生のレベルを見ながら自分の使う語彙や話すスピードを常に調節するなんて到底真似できない。非常に細やかで驚異的な工夫が必要だ。
その他にもう一つ特筆したいのは、「レベルが上がっても発音の修正には手を抜かない」という点だ。これは本当にありがたい。発音の練習は初級ではもちろん最重要の学習項目だが、レベルが上がるにつれて他にも色々とやることが増えるため優先度がつい下がってしまう。しかし、どんなにレベルが上がっても発音への注意が抜けてしまうと、適当な発音になってしまうことはよくある。私も教える側で経験しているのでよく分かるのだが、こういう時に即座に発音の問題を指摘して修正させるのは想像以上に難しい。レベルが高いクラスでは発音以外のことも同時に進めていることもあり、変な発音を耳にしてもつい不問にしてしまうことが多いのだ。だからこそ、話の流れをぶった切ってでも発音練習に立ち戻れる先生は間違いなく良い先生である。
こうやって色々と考えてみると「理想の語学教師」というのは、優秀なインフォーマントの条件を最低基準とした上で「教えている生徒の状態をよく観察できる人」なのではないかと思う。「今はどのぐらいのレベルなのか」や「何が上達したのか」「何が苦手なのか」などをよく観察して、教え方をいつでも調節できる先生のレッスンは常に緊張感を持って臨むことになる。そこまで綿密に対応してくれるような調査インフォーマントはさすがに稀有だと思うので、「理想的な語学教師」は要求される水準がやはり高いのだと思う。
…ただ、観察眼のある先生は「怠け」や「手抜き」も漏れなく見抜くので、その点はくれぐれもご注意を。学ぶ側が教師を評価するのと同時に教師も学ぶ側を評価する目を持っているので、良い先生と出会ったら自分も努力しないときっと長くは続けさせてもらえないだろう。