国際母語デーに寄せて:母語を尊重する学術世界へ

2月21日は国際母語デーということで、まつーらさんの企画に乗らせていただいた記事になります。

自分自身の母語の意識

私自身は静岡人を一応名乗っているのですが、転勤族の家庭だったため静岡に住んでいた期間が短く、主に関東地方を転々としていました。そのため自分の母方言のようなものが育つことはなく、静岡にいても静岡方言が流暢に話せないし静岡時代の同級生たちからも「静岡人」ではなく「関東からの転校生」と思われていました。ホームタウンが無い人生はどうしても「根無草」な意識が付きまとうため、自分の娘には「神戸人」としてのアイデンティティーを持って育ってほしいと思って去年神戸で不動産を買いました。

ただ、学問に関しては「自分の母語で自由に思考をしたり十分に説明したい」という意識を持っています。一般的な言語学の世界では「英語が独占的に使われること」が多いのですが、なんで英語以外の言語研究をやっている私たちまで英語を強いられているのかが疑問に思うことがあります。以前、とある国際学会で日本ではよく知られているアメリカで学位取得した日本人研究者が私に英語で質問して、意思の疎通がうまくいかなかった時に非常に見下した態度を取ったことがずっと心に残っています。

一方、中国人が主催する国際学会では「中国語でも英語でも自分が話したい言語で話すスタイル」が徹底しているのでとても心地よく感じています。聴衆の顔色など気にせずに自分が伝えたいアイデアを好きな言語で伝えるというのは素晴らしい習慣だと思います。

母語を尊重した大学院の授業

このように「母語を用いた学術活動」へのこだわりは人一倍強いので、留学生がたくさん集まる大学院の授業では「母語での理解と発信」を実現できるように努力しています。
例えば、今年度の音声学の授業では参加者の言語スキルを踏まえた上で、日本語とベトナム語を併記した資料を作り、講義中は英語や中国語で補足説明をしました。

2024年度前期のIPA授業のスライド:日本語とベトナム語を併記しました。

また、試験やレポートは日本語に加えて、中国語・英語・ベトナム語での作成を許可しています。母語で書いてもらったレポートを読んでいますと、普段の授業では日本語を組み立てて発言するのに精一杯だった院生が様々な視点を反映させた丁寧な考察をしてくれますし、なんといっても自分の考えを伸び伸びと書いてくれることに嬉しさを感じます。

逆に疑問に思うのは、なんで言語研究では「言語の多様性」を強調するくせにあんなに英語で囲い込んだ閉鎖的な世界を形成するのでしょうか?
私自身は言語学者として、他者の母語を理解できないことは「自分の勉強不足や怠慢」だと感じるようにしています。英語で書かれたものしか読めない界隈に対するアンチテーゼとして、中国語やベトナム語で書かれた優れた研究書の紹介をしていくのも自分のライフワークとして続けていきたいです。