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ゲームの「面白さ」とは「意識」と同じなのか?

CEDEC2018の次の講演がなかなか面白かった。

意識の統合情報理論 | CEDEC2018
https://2018.cedec.cesa.or.jp/session/detail/s5ae163a207655

このセッションを聞いて思いついたゲームの「面白さ」に関する仮説を提示してみる。大まかには以下のツイートで綴った内容となる。


「意識」とは何か

「意識とは何か?」「脳と意識の関係は?」「AIに意識はあるのか?」

という哲学的な問いがあるわけだが、そういう話じゃなくて

「人間は意識を持つ」

を出発点として、

「意識の性質とは何か?」

を探り出し、その性質から脳の意識やAIの意識について統一的に語れるような基盤を作ろう、というのがこの「意識の統合情報理論」であるらしい。

それが「数学的に定義されている」という事が最も興味を惹かれた部分だ。

自分はこれでも数学科を卒業しているので、その価値には深く共感できる。ただし、意識については専門家ではないので、ここはあくまで、自分が講演を聞いて認識したざっくりとした概要、として聞いてほしい(間違っていたら教えてほしい)。

数学的に意識を定義

意識の統合情報理論によると、意識とは、

情報を

1,生み出し

2,結合し

3,排他されており

4,構造化されている

ネットワークのことである。

ここで、その「意識の量」というものを、

「ネットワークが切断されたときに損失される情報量」

として数学的に定義すると、我々が普段考えるような「意識」に近い性質のものを表せるのではないか、とのことだ。

ネットワーク内部の情報の統合を定量化 | 理化学研究所 http://www.riken.jp/pr/press/2016/20161207_1


例:デジタルカメラに意識はあるのか?

例としてカメラが写す映像と、人間の目が知覚する映像による、情報量の差について言及された。

カメラと人間の目には(だいたい)同じ情報がインプットされる。

人間には意識がある。すなわち、このインプット情報を結合し、構造化する仕組みがあるので、その景色から「山が見える」とか「ここは外だ」とか「友人の●●だ」とか「●●はXXを持っている」とか、非常に多くの付加的な情報を脳内で生み出している。

しかし、カメラの場合、そこには画像データしかない。そのデータの中身に何が写っているか、という情報はなく、どこまで行ってもそれはピクセルデータの集まりでしかない。

人間の脳はネットワークがバラバラにされて、インプットがピクセルごとに分解されたら、認識できていた多くの情報が失われる。一方、カメラはピクセルごとに情報ネットワークが切断されても、元からピクセルの集合であった情報から見て損失は無い。

この差が「意識」の差である、と表現されているわけだ。


意識が高い時=楽しんでいる時?

人間には意識がある、といっても、例えば寝ている時は意識がないわけだし、眠い時は意識が低いと言える。

これは単純に、インプットされている情報を受け付けていなければゼロだし、インプットされている情報を結びつけて高度な思考ができていないのは意識が低い、というように統合情報理論を使って定量的に評価できる。

つまり、意識が高い人間というのを数学的に判定出来るわけだ!

……いや、そういう事を言いたかったわけじゃない。

ここで思ったのは、ゲームを楽しんでいる時って、かなり意識レベルが高いのではないか?という直感だ。

意識レベルの高いネコ

もう一度「統合情報量」の定義を考えてみてほしい。

「インプットされる情報を結合し、統合し、構造化された情報を生み出す」

これはまさに、

インプットされたインク状態を結合し、自陣と敵陣を認識し、危険地帯と安全地帯を推察し、ブキ構成や人数有利などの状態からどこを塗るべきかという情報を生み出す

とか、

「インプットされた素材の組み合わせから可能な範囲で最適な合成方法を編み出し、次のダンジョンで役に立つような装備をどのように作り出すかという戦略に関する情報を生み出す」

とか、

まぁ皆さんが好きな任意のゲーム(とくにシステムが面白いものについて)を遊んでいるときの脳内状態を鑑みると、ただのピクセルだったりリストだったりするインプットから、非常に多くの情報を生み出している、という事が言えるのではないだろうか。


ゲームの「目標」も、「統合度」が重要指標

この直感を補強する、一つのゲームデザイン理論を私は知っている。日本デジタルゲーム学会でたびたび発表されていた、井戸里志氏によるゲームデザイン理論だ。

この理論によると、ゲームシステムが与える大目標が、様々な中間目標や、それらの子目標と相互に関連しており、それが「統合」されている事により、将棋のように創発性の強い、深みのあるゲームを作ることができるというわけだ。

ちなみに、井戸氏はこの理論に続けて、創発的な要素以外の広範囲なゲームの面白さを説明するモデルとして「構造化IRFモデル」という理論を後継として発表している。こちらも合わせてご覧いただきたい。
https://www.slideshare.net/satoshiido9/irf-56845767


ゲームの「面白さ」を定量化できる可能性

「意識」の定義と、「ゲームの面白さ」の定義。その2つから、相似する「統合」というキーワードが共通して現れたのは、偶然ではないだろう。

逆にゲームが「つまらない」時は、「眠い」「何をしていいかわからない」という状態がイメージされ、これは「意識レベルが低い」状態と合致する。

意識がフル稼働するようなゲームが面白い!というのは、一種のトートロジーに聞こえるかもしれない。しかし、意識のほうに数学的な定量化の式が現れたことにより、ゲームの面白さも同様に定量的に評価することができる可能性がある。

面白いゲームを遊んでいる時、意識によってどんな情報が生まれているのか?それを考えてみるのも面白いのではないだろうか。


本記事が含まれる、ゲームデザインについての連載はこちら。

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