ちょっとディープな自己紹介
noteをはじめてから昨日までに5つの記事書くことができました。続けて行けそうな気がしたので、第一回の投稿で書いた簡単なプロフィールに続いて、ちょっとディープな自己紹介をさせていただきます。
あらためまして、堀内芳昌と申します。
広島で夫婦二人の自営業で紅茶関連ビジネスをやっています。2020年で20年が経ちました。
紅茶関連ビジネスと言ったのは、紅茶を軸にしていますが、一般的なショップスタイルのティーショップ(紅茶専門店・販売店)やティールーム(喫茶店・カフェ)ではない仕事のスタイルだからです。
事務所ビルの1室を借り、一般の個人客向けの「通信販売」、カフェやレストラン、ケーキ屋などへの「業務卸」を主として、紅茶教室や講師業・ワークショップ・イベントなどを行っております。
また、専門学校のカフェビジネス科での講師、通信教育のコーヒー紅茶カフェマスター講座の講師も共に10年以上続けています。
前置きが長くなりましたが、私は、東京で生まれ、埼玉と神奈川で育ちました。そんな私が、「なぜ広島で紅茶の仕事をやっているのか?」「紅茶関連の仕事をして20年経った今、どんなことを考えているのか?」を含めて自己紹介としてお話しします。
ちょっと、いや随分と長くなりますが、最後までお付きいただければ嬉しいです。
商売人の家に生まれ育った幼少期
私は、1964年東京都板橋区で3兄弟の長男として生まれました。
青森と長野出身の両親は、上京先の上野などで食品の販売などをしたようです。曖昧な記憶しかありませんが、食っていくために商売をしていたようです。時代も時代ですからね。間違いないのは、一般的なサラリーマンなどではなく、商売人の家に生まれ育ったということです。
その後、埼玉県の上尾市に引っ越しました。小学生くらいの頃から母が小料理屋というか飲み屋さんですかね小さな飲食店を始めました。自宅兼店舗だったので、小さい頃から母が料理を作り働く姿を見ていました。
父はいくつか転職をしていましたが、上尾市にある大きな工場の食堂などで働いていました。食材を袋から出したりする程度ですが手伝いをした記憶があります。
このような環境で育ったせいか、小学生くらいから週末の昼ごはんを自分で作ったりするくらい料理に興味がありました。また、お茶をよく飲む家で、コーヒーよりも紅茶を飲む家庭でした。当時はティーバッグですが、子供の頃から紅茶を飲んでいました。
Rock’n’rollに夢中だった学生時代
実は、この話初公開。隠していました(笑)。他の話は少なからずどこかで話しています。
高校時代は音楽が好きでロックンロールに夢中になっていました。今ではCDなどを買ったり聞いたりするのは少なくなり、ライブは年に1~3回くらいしか行きませんが、今でも音楽が大好きです。
私の骨を作っているはrock’n’roll!8ビートの鼓動をしています!
今でも付き合いのある友達はみんな当時の音楽仲間なんですよね。
高校を卒業した後、東京・池袋の武蔵野調理師専門学校に進みました。
強い目的意識があったわけでないのですが、実家が飲食店だったこともあり「将来は飲食店をやるのだろう」という気持ちがどこかにあったのだと思います。ただ、専門学校を卒業するまでに、何料理に進みたいとか○○ホテルで働きたいなどの目標が見つかりませんでした。
卒業後は飲食店に勤めたものの、一年足らずで辞めてしまいました。その後は、何気なく見つけた家の近所のジーンズショップでアルバイトをしました。
実は、この頃までは、音楽でプロになりたかったんですよね。楽曲もオリジナルソングをやっていたので、プロになりたい・なれるんじゃないかと思っていたんです。
けれども、簡単なもんじゃないですよね。当たり前ですが…。
今思えば本気度が全然足りなかったと思います。私の弱点は、一つのことにのめり込んでバカみたいに夢中になれないことだと思っています。好きなんだけど、そこそこ夢中になるですけど、どこか冷めているというか、とことん没頭しきれないんですよね。
この頃にカッコ良く言えば夢破れて、普通に考えれば音楽の才能がないことに気が付き、食えなくてもやっていく根性もなく、音楽のプロは諦めました。
ジーンズショップの仕事で洋服やファッションの面白さを知ったので、ファッションの道に進みました。
花田裕之氏(左)とわたし(右)2019/0406
メンズショップに就職する
20代前半~中半の頃に約4年ほどメンズショップに努めました。トラッド系のセレクトショップで、原宿、東京駅八重洲、横浜で働きました。
仕事を覚え、ファッションを知り、売ることを覚え、この頃は売ることに必死でしたね。自分が接客して売る売上げ、お店の売上げ。とにかく「売れる」ことが一番の喜びでした。
時代性もあって、この頃はただただ楽しかったです。仕事もプライベートもいろいろと…。
若かったというのもあると思いますし、イケイケな時代だったのもあるでしょうが、正直な話、お客様のことはあまり考えていなかったなと思います。お客様のためという名の自分の押し付けをしていましたね。
一方で部下に対しては傲慢だったと思います。仲良くやっていた面と傲慢な面があって、今になって考えると、申し訳ないことをしたこともあるなと反省します。今でいえば〇〇ハラですよね。そんなことも許される時代だったのかなとも思います。
レディースショップに転職する
レディースウエア(婦人服)の会社から、良い待遇での転職の誘いを受けました。取引先の服飾メーカーの人が紹介してくれたことがきっかけになりました。
レディースショップに移って半年で店長になりました。メンズショップ時代に学んだことを活かして販売促進を行うと、お店の売上げは好転、社内の中間に位置していた店の売り上げが一位、二位を争うまでに成長しました。
女性ばかりのレディースショップでは、メンズショップで学んだことが活きたんですね。男性と女性では結構考え方が違うからです。もちろん別の意味での難しさもありましたが、前職での経験が悪い方向に出なくて、良い面が出たのはよかったと思いましたね。
小さな悩み
店舗の売り上げは良く、仕事は楽しかったのですが、個人的には女性客の接客に関して“小さな悩み”がありました。
メンズショップの時は、商品の話やファッションの話を中心すればよかったので、接客が苦手だと感じたことはありませんでした。商品知識などに関しては、それなりに詳しいと思っていましたし、それで問題を感じたこともありませんでした。
しかし、女性客は商品説明だけでは相手にされないことも多く、声をかけるタイミングや話の内容などに悩みながら仕事していました。女性と話をするのが苦手とか言うことではなくて、話の内容や話し方が難しいと感じていたんですよね。
しかし、お客様と話をしていると「話がうまい人だと乗せられて、買わされちゃう」とか「口がうまい人は信用できない」などと言う声を聞くようになりました。
また「真剣に選んでくれから助かった」とか「ハッキリ意見を言ってくれるから良い」という人もいて、ただ単に話がうまいことが接客のメリットではないのだなと思いました。
そして、「この前すすめてもらった服が会社で好評だった」とか、「自分では選ばないタイプの服をすすめられたけど、着てみたら良かった」などと言われるようになり顧客も増えていきました。
そうはいっても洋服は二の次でおしゃべりを楽しみながら買い物をする人もいるので、そういう人は話上手なスタッフに任せることにしました。相性があるので全員を相手にしたくても大丈夫なのだと思ったら、気が楽になりました。
大切な気づき
この時期に接客で大切なことは、商品知識や流行、ましてや話術などではなく、お客様のことを考えることだと気が付きました。
同時に、お客様に媚びることや相手に合わせるだけでなく、お客様が心の奥底で必要としているものや本当に似合うもの見つけ出し、すすめることなのだと気が付きました。
メンズショップの時はお客様に適正な洋服をすすめて売れれば満足。売上が上がることが喜びに感じることが多かったのですが、この頃からお客様に喜んでもらうことが嬉しいと感じるようになりました。
この時の変化は大きな成長であり、この時に感じた「お客様の役に立つのは気持ちいい」「お客様に喜んでもらうのは嬉しい」という気持ちは、今も私の仕事に対する考え方のベースになっています。
また、メンズの洋服は自分の好みが入ってしまいますが、レディースは一歩引いてみることができます。「好きなんだけど一歩引ける、俯瞰で見られるくらいの距離感が仕事として向いているのではないか」と思うようになったんですよね。
その後のレディースショップの仕事は、とても楽しくやりがいのある仕事だと感じるようになりました。人生の中で一番といってもいいくらいに充実を感じる時期でした。
レディースファッションの仕事を続けていたらどうだったんだろう?と思うことが、たまーにですがあります。
カフェ開業にチャレンジ
ファッションの仕事をして10年ほど経った頃(1995年)に転機がきました。
働いていたレディースウエアの会社がカフェ部門を立ち上げ、社内での移動希望が取られたので、私は思い切って名乗りをあげました。
その時の私は、店長になって数年が経ち、店の売り上げも良く、数店舗を管理する立場になっていました。仕事自体は、とても充実していました。
その状態でなぜ、カフェに移動を希望したのかというと?
もともと飲食業を目指しながら、途中でファッション業界に移りましたが、心のどこかには40~50代くらいになったらカフェ(喫茶店)をやりたいという気持ちがあったからです。
カフェ開業の話があった時は、スターバックス日本1号店ができる前の年。ファッションメーカーがカフェをポツポツと出店し始めた頃だったのです。
おそらく、2年前でも2年後でもやっていなかったと思いますし、レストランでも、ケーキ屋でも、本屋でもやっていなかったでしょう。このタイミングでカフェだったのがチャレンジしようと思った理由にもなっています。
洋服の仕事が嫌になって移動を希望したのではないので、ポジティブな気持で新しい仕事にチャレンジしようと思っていました。
カフェ開業
カフェを任された当初は、洋服の仕事の引き継ぎをしながら、約1年後のオープンに向けてスタート。いろいろな手続きや届け出はもちろんのこと、コンセプト作りやメニュー決め、仕入れ先探しや機材の調達なども一人でやりました。
カフェオープンの半年前くらいから、開業準備に専念し、コーヒーの研修を受けたり、料理の練習をしたりしてスキルアップをしました。
一年という準備期間はあっという間でした。オープン1か月前くらいまでは期待のほうが圧倒的に強かったのですが、オープンが近づくにつれ不安ばかりが大きくなりました。
オープン数日前に「プレオープン」をしました。社内の人にお客さまになってもらい本番を想定しての練習です。私もスタッフも思ったように動けず、オーダーミスをしたり時間がかかり過ぎたりと惨憺たる状態…。泣きそうになった。
「無理!」「オープン日を伸ばして欲しい」と正直思いました。
もちろん、そんなことはできるはずはありません。数日間でできる限りの修正と練習をしました。喜びよりも心配のほうが断然多くて、「お客様をこなせるのか?」という不安の中、オープン初日を迎えました。
オープン初日が終わった感想は「意外と大丈夫だった(苦笑)」というか、思ったほどお客様が来なかったというのが正しい表現でしょうね。
暇ではなかったのですが、見込みよりも来客数が少なかった。でも、本音を言えば無難に終わって良かったという感じでした。売上目標を下回ったのですから、もちろん、悪いことなのですが…。
カフェ運営
カフェ運営は難しかったです。
洋服の売上げを上げたことは自分の力としてある程度は自信を持っていましたが、カフェの売上げは私の力は少なかったですね。カフェの売上げは上げていったのですが、洋服の時と違い自分ではできないことがたくさんありました。スタッフに助けられましたね。
洋服を売るのと飲食店は全く違いました。接客も全く別もの。自分の能力の低さを痛感したのに、うまくいかないのを部下のせいにしたりもいていました。ブラック上司か〇〇ハラ上司ですね。
洋服の仕事の時は「楽しさ」が一番にありましたが、カフェの仕事は「苦しさ」が一番でした。楽しくもありましたが、自分自身に対して、スタッフに対して、お客さまに対して、カフェの内容に対して…悩みと苦しみが大きかったです。
コーヒーが好き、紅茶が好き
料理も好き、ケーキも好き、パンも好き
メニュー開発が好き、店作りが好き、接客が好き
けれども、飲食業は向いていなかったのかなぁと思ったりもします。
退社する
しばらくすると、気持ちが前向きにならなくなってきたので、「自分のやりたい方向と違うので辞めたい」という話をしました。
今思えば、会社員が「自分のやりたいことができない」なんて、堂々と言っている時点で間違っていますね。会社の要望をくみ取った上で、自分の力を発揮しけなければいけない立場ですから。この時は、完全に自分中心にものごとを考えていました。
傲慢になっていたのだと思います。もし、「新規事業を任せたのに無責任だ」とか「おまえの考えは間違っているぞ」のような話があれば、少し頭を冷やしたかもしれません。
社長の言葉
最終日に本社に挨拶に行った時に、社長と話をしました。その時に「自営業のほうが好きなことができないんじゃないか」と言われました。その言葉は、今でも思い出すことがあります。
当時は「好きなことやらなくちゃ自営業の意味ないだろう」と思いましたが、今となれば分かります。「自分が好きなことを、自分のためにやるのは、ビジネスではない」という意味だったのでしょうね。
社長に対して不信感すら持っていたのですが、やはり何億もの売上げを上げる会社の社長は違いますね。私の考えの方が遥かに小さく、浅はかでした。
英国で妻と出会う
妻とは、なんと英国で出会いました!rock’n’roll!カフェで働いている時に参加した旅行でのこと。人生何が起こるか分かりませんね。紅茶メーカーの企画で紅茶文化の本場イギリスをめぐる旅行。マンチェスターに入りコッツオルズなど数か所をめぐりロンドンに至るまでの紅茶にまつわる名所を訪れる旅でした。
その旅行に広島から参加している一人の女性がいました。私も彼女も一人で参加していたので、旅行中に時々話をしました。たまたま帰りの飛行機の席が隣になった縁もあり、旅行後も連絡を取り合うようになりました。
話をしてみると彼女も元々ファッション関係の仕事をしていたり、紅茶やイギリスが好きだったりと共通点があり、その後、付き合うようになりました。
カフェ(仕事)を辞めたことと彼女の存在は関係ありませんが、私はカフェを辞めた後、就職をせずにいたので、彼女の住んでいた広島に引っ越しました。
広島に引っ越す
当時、私は神奈川県横浜市に住んでいました。私が住んでいた横浜に彼女を呼ぶか、私が広島に行くかの選択を考えた時、私が広島に行ったというだけです。彼女は口がうまかった?誘導された?というか、私には横浜に呼ぶ交渉力がなかった(笑)。正直、そんな感じで、深い理由や大きなきっかけはありません。しいて言うならば、その時私は仕事をしていなかったから移動しやすかったということでしょうか。
紅茶関連ビジネス
紅茶関連の仕事は、私が起業したのではなく妻がはじめたものです。彼女は私が広島に引っ越す数年前から(紅茶の仕事だけをしていたのではありませんが)、紅茶を原料として仕入れ、オリジナルブランドの商品にして小売りや業務卸をしていました。
私は広島に引っ越し、結婚を機に参画しました。その後、紅茶の仕事のウエイトが大きくなっていきました。
ちなみに、「TeaClub/ティークラブ」で商標登録もしています。本気ですよ。今や家業ですからね。
産地をブレンドしないピュアな紅茶
販売している紅茶は、以前勤めていたレディースショップがカフェを開業する時に探したものと同じ茶葉です。
いくつかの紅茶専門店や輸入代理店などを訪ねた時に、現在の仕入れ先の輸入元で飲ませてもらった「ダージリンの新茶」の味は衝撃的でしたね。「こんなに美味しい紅茶があるのか!」と思ったことを20年以上経った今でも覚えています。
前から紅茶はよく飲んでいましたし、ある程度の知識はありましたが、そんなものをふっ飛ばす、今までに飲んだことのない味や香りがありました。私の認識する紅茶よりも明らかに、ワンランクもツーランクも上のものでした。
カフェ開業時にこの紅茶に出会って以降もいろいろな紅茶を飲みました。しかし、同等レベルだと思う紅茶に出会うことはあっても、これには負けたという紅茶に出会ったことはありませんでした。もちろん、紅茶は嗜好品なので好みは人それぞれですが、個人的には一番美味しいと思っていました。
私が美味しいと思う理由は、茶葉の個性があり味わいが豊かだからです。
紅茶にはとても多くの種類がありますが、その多くはブレンドティーかフレーバーティーです。
ブレンドティーやフレーバーティーは安価な茶葉や古い茶葉を混ぜているものが多いんですよね。多くのブレンドティーの香りや味が平坦で個性が弱いのはこのためです。フレーバーティーの多くのものが着香した香りしかしないのも似たような感じです。一部、良質なブレンドティーやフレーバーティーもありますが、少ないのが現状です。
このような紅茶とは別に、産地や生産する農園などをブレンドしない茶葉(紅茶)や収穫から時間経過が短い鮮度の良い茶葉(紅茶)があります。産地をブレンドしない茶葉、鮮度の良い茶葉は、茶葉の個性があり味わいがとても豊か。
本来紅茶は、日本茶やコーヒー、ワインや日本酒などと同じように産地や農園(作り手)、鮮度などによって素晴らしい味や香りを堪能できる飲み物なのです。
残念ながら一般的に流通している紅茶の多くは、ブレンドティーやフレーバーティー。この理由は長くなるので割愛しますが、一つだけ話すと、ブレンドしない茶葉や鮮度の良い茶葉は「個性が豊か」=「好き嫌いがハッキリする」からです。
つまり、個性が豊かな紅茶は、好き嫌いがハッキリする。もっと言えば嫌われやすい。さらに言うと売れにくい…。
だから、多くの紅茶業者は、「嫌われない」「無難」という傾向が強いブレンドティーやフレーバーティー販売しているのです。業者の内情をすべて知っているわけではないので個人的な考えですが…。
また、「紅茶が苦手な人でも飲みやすい」「紅茶を好きじゃない人にも好まれる」タイプの紅茶が日本には増えて、その傾向は近年ますます強くなっているようです。
いろいろな紅茶を飲んだ結果、ブレンドティーやフレーバーティーが好きならそれで良いのです。好き嫌いは自由ですから。
けれども、ブレンドしない茶葉や鮮度の良い茶葉の紅茶があることを知らない・飲んだことがないのは、「もったいない」と思います。
日頃紅茶を飲む人にこそ、もっといろんな紅茶の世界を知って欲しいと強く思います。
チョット熱く語ってしまいましたが、このような経緯で「産地をブレンドしない鮮度の良い紅茶を多くの人に知って欲しい」「シンプルでナチュラルな紅茶の味わいを楽しんで欲しい」という想い強くなったことが、紅茶の仕事をしようと思った大きな理由です。
また、カフェで働いた時に紅茶のいれ方やアレンジなどの方法は習得していたので、それを活かして「いろいろな紅茶の楽しみ方を広めたい」という気持ちもありました。
「紅茶を手にしたお客さまが美味しく飲んでHappyになる」までが仕事
紅茶の仕事をはじめた頃には、「美味しい紅茶を広めたい」と同時に「紅茶のいろいろな楽しみ方を広めたい」と思っていました。
ところが、数年経った頃からは「美味しい紅茶を探している人に、美味しい紅茶を売れば良い」と考えるようになっていました。
なぜかというと、「近くに紅茶専門店がないから通販で買えて良かった」などの声を聞くことが増えたからです。このようなニーズがあるのだから、そのニーズに応えれば良いと考えていました。
また、常連さんは楽しみ方の情報をそれほど求めていないと気が付いたことも大きかったですね。
それらの影響によって、数年前までは、「良質の茶葉を仕入れ、キチンと販売する」ことが仕事だと考えていました。商品に紅茶のいれ方を添えていたので、それを参考にして、飲む人が自由に飲めば良いと思っていたのです。
しかし、それは間違いだったと気が付きました。
「高い茶葉や良さそうな茶葉を買っても、美味しくいれられない」
「気になる紅茶に出会っても、買いたい茶葉があっても、いれ方が心配で躊躇してしまう」
「紅茶は好きだけどティーバッグしかいれたことがないから、茶葉だといれ方が分からない」etc...
このような声を聞くことが増えたからです。
私は紅茶の仕事をする前から、自分で紅茶を買って飲んでいましたが「いれ方が心配で紅茶が買えない」なんて思ったことはありませんでした。
ですから、紅茶を買おうとする人、ましてや通販で紅茶を買おうとする人にいれ方が心配という不安があるとは思いもしませんでした。自分が紅茶好きなのが仇になったのかもしれませんね。
お客様の声を聞くように心掛けてから、いれ方に関して思ってみなかった不安や思っていた以上に不安を持っている人が多いことに気が付きました。この点を解消しないと「良質な紅茶を届ける」ことが難しいのだと思いました。
そして、アレンジや楽しみ方を伝えるのではなく、ベーシックな情報をもっと伝えないといけないと気が付きました。
このことをきっかけとして、「紅茶を売ること」だけが仕事なのではなく、質の良い紅茶を仕入れるのはもちろんのこと、『 “紅茶を買う前の情報をキチンと伝える” から “紅茶を手にしたお客さまが美味しく飲んでHappyになる” までが仕事なのだ。』と考えるようになりました。
おしまいに…。
私の紅茶歴は、かれこれ40年くらい、仕事で紅茶に関わってから20年近くが経ちます。そんな私が、今、想っていることがあります。
それは、『日々の暮らしの中で美味しい紅茶を気軽に楽しんで欲しい』ということです。
紅茶の飲み方や楽しみ方は、いろいろあります。
「ハレの日の紅茶」や「非日常を楽しむ紅茶」、「水分補給のために飲む紅茶」なども良いのですが、私は日々の暮らしの中、忙しい日常の中で“美味しい紅茶”を“気軽に”楽しんで欲しいと思っています。
美味しい紅茶は人それぞれなので、お気に入りの紅茶といったほうがよいのかもしれませんね。
そのために、真摯に紅茶に向き合い、質の良い紅茶を提供します。
自分好みの茶葉を見つけやすいような情報を紹介します。
正しい紅茶のいれ方と暮らしの中で紅茶を楽しむヒントをお教えします。
お気に入りの紅茶や美味しい紅茶は、癒しを与えてくれたり、Happyな気持にさせてくれたりしませんか?
私は日々の暮らしの中で良質な紅茶を気軽に楽しんで欲しいと思っています。
忙しい日々の暮らしの中で「一杯の紅茶に癒され」「一杯の紅茶でHappyになる」こんな人が増えることを願っています。
そのお役に立てれば嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
こんなに長い文章に最後までお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます。
堀内芳昌
それでは
また書かせてください。rock'n'roll