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お正月の呪文

年が明けて2021年になった。

既に何回「明けましておめでとうございます」と言っただろうか。

最近やっとすんなり年始の挨拶が出来るようになった。

それまでは、子どもの頃から「明けましておめでとう」という言葉が苦手だった。

小学生の頃はおばあちゃんも同居していたため、親戚がたくさんうちにやってきてその度にそんな挨拶をしなければいけないのが苦痛だった。

その分お年玉は沢山もらえたがそれを差し引いてもお正月なんかなくなれと思っていた。

子どもの頃は漠然と嫌だなと思っていただけで何故嫌なのかまでは考えもしなかった。

大人になってもその嫌悪感は抜けず、ある時自分自身の中に原因を探ってみた。

その結果、おそらく「明けましておめでとう」と言う言葉に納得いっていなかったのだ。

むしろ今でも納得はいっていない。

飲み込めるようになっただけだ。

この歳になって「明けましておめでとう」という音をタイミングに合わせて口から発することが出来ないのはダサいなと思うから良きタイミングで声帯を鳴らしているだけで心から年が明けてめでたいと思ったことはない。

年を跨いでめでたいなら日を跨いでもめでたいはずである。

夜が終わって朝になることが一区切りなのは納得がいく。

目に見える場面が明らかに変わっているからだ。

しかし年を跨ぐことに何が終わって何が始まるかの区切りを見つけることができない。

変わらない毎日の中でそこを区切られることが納得いかないのだ。

そんなひねくれた感情を持ちながらも年明けの雰囲気は好きだ。

元旦の晴れた空に初詣の行列、脇に並ぶ屋台。

朝から爆笑ヒットパレードで漫才を見るのもたまらなく好きだ。

そんな空気を味わうために、来年以降も「明けましておめでとう」という呪文を唱えようと思う。

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