パリ・オペラ座の日々1993~1994:6月10日 パリ・オペラ座「ジゼル(マッツ・エック版)」①
6月10日(木)
静かな一日。英国行きがあって、フランス語勉強が中断していたので再開。日中はほとんど勉強。夕方ラベイリーさんとおしゃべり。
夜はオペラ座へ。「ジゼル」がスタート。まずはマッツ・エック版から。ニコラ・ル・リッシュ、ピエトラガラともに素晴らしいが、ジゼルという素材自体を再度焼き直す意味があるのかどうかちょっと疑問。。
オペラ座プログラム 50F
ペリエ 15F
さくらんぼ 10F
いよいよ「ジゼル」のプログラムがスタートです。少し前の日記にも書きましたが、この時のジゼル公演は古典的な「ジャン・コラーリ&ジュール・ペロー版」と、新しい「マッツ・エック版」という二つのバージョンを交互に上演するという意欲的な試みでした。
プログラム自体は6月1日からスタートしていたのですが、6月第一週は英国旅行でしたので10日から観始めました。オペラ座としてマッツ・エック版に取り組むのはこれが初めてで、僕らが観た10日は5回目の上演でした。
ジゼル :ピエトラガラ
ヒラリオン :マルチネ
アルブレヒト :リッシュ というキャスト。
マッツ・エック版は、ジゼルが縄で拘束され、すでに精神的に病んでいることを示唆するような情景からスタートします。古典版で登場する村人や、アルブレヒトの属する貴族階級の人々といった対立的な要素が同じように登場してきますが、それらはみな抽象化されていてはっきりしたキャラクターを纏ってはいません。その中でアルブレヒトとの接近、ヒラリオンの介入などが展開し、やがてジゼルの精神は崩壊して…。二幕の舞台は精神病院で、そのツルンとした質感の背景は、愛に悩む登場人物達の無垢な精神性を際立たせるような効果を生み出しているように感じました。
日本にいる頃から、このマッツ・エックによるジゼルの再解釈については知っていて、センセーショナルな舞台設定がバレエ雑誌などでも話題になっていました。古典の大胆な再解釈は、ベジャールやピナ・バウシュの「春の祭典」、プティの「眠れる森の美女」、ノイマイヤーの「くるみ割り人形」など枚挙にいとまがないわけですが、当時の僕の認識としては、古典版の立派な振り付けが定番作品として存在しているのに、なぜ焼き直しをしたがるのか?と思っていました。もっと新しい音楽にあわせて、新しい振り付けを作りだせばよいのにと。
この日の日記にもその懐疑の気持ちがはっきりと書いてあります。ピエトラガラの主役で見た初めてのマッツ・エックの振り付けは、その特殊な動き、切り刻まれた音楽などが気になって、あまり素直に楽しめなかったのです。ジゼルってもっとしんみりした雰囲気だよなぁ。。とか思っていました。
ところが2日後の12日に、再度ルディエール、ベラルビ、デュポンというキャストで見た同じ舞台は、天地がグルンとひっくり返るくらいの大感動でした(笑) これは本当に恥ずかしい話なんですけど、初日はぜんぜん理解できていなかったんです。モニク・ルディエールの素晴らしさもあるんだけど、妙な先入観が邪魔して素直に作品を鑑賞できていなかったんだと思います。二度目に観たマッツ・エックの振り付けは、音楽と振りの共振が素晴らしくどの場面も輝いていました。なによりもモニク・ルディエール演じるジゼルのその愛おしさ! マッツ・エックの素晴らしさ、オペラ座バレエの素晴らしさというのもありますが、よく分からないと思っていたものが突然ど~んと心に響いてくる喜びってありますね。まさにそんな感じでした。
(写真は公式プログラムから)
12日の2回目を観た後にあまりにこの振り付けが好きになってしまい、急遽予定になかった15日も当日券で観ました。それくらいマッツ・エックの振り付けは衝撃的に良かったのです。
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