パリ・オペラ座の日々1993~1994:5月18日 パリ・オペラ座「ローラン・プティ」3回目 S女史のこと
5月18日
(雪)は午前中はバレエお休み。足がいたいとのこと。Kさんから手紙。K藤氏が8月に夏休みを利用してパリに遊びに来てくれることになった。
夕方はオペラ座へ。アニエス・ルテステュが素晴らしい。ニコラ・ル・リッシュのLes Forainsも素晴らしい。モーランのLe Loupはとても良いが相手の男性がいまひとつ。ピエトラガラとベラルビの若者と死は最高。でもリッシュのも同じくらい良かった。
オペラ座カフェ 15F
チケットの”5”が欠落してボールペンで書いてある(笑) 当時の発券システムはまだまだ不安定で、こういうこと多々ありました。チケット買いに行ったらシステム全体がダウンしてて一切販売できないとかも。。
さて、同じ演目の三回目ですのであまり書くこともありません。
ということで今日は「S女史」のお話を。
Sさんはパリに行ってから最初にお友達になった日本人です。そして滞在期間を通して一番親しくしていただいた友人。帰国後も東京で食事したり、ずっと年賀状のやり取りが続きました。そのSさんとの衝撃の出会いのお話。
パリ・オペラ座のバレエをたくさん観るんだ!と息巻いてフランスへ渡ったわけですが、最初の4月の頃はチケットの買い方もよく分かりません。何度かガルニエ宮に出かけてパンフレットなどを調達して調べて、ようやく公演の2週間前にチケットの発売が開始されることなどを理解しました。
良い席、値段は安いけどまずまず観易い席などは争奪戦です。インターネットがまだ未発達の時代でしたから、当然発売開始日に窓口に並ぶわけです。朝10時くらいだったでしょうか…ガルニエ宮の正面脇の辺りのチケット窓口には長蛇の列ができています。みんな1時間とか30分前には並んでいて発券窓口の開始を今か今かと待ちわびています。
その列に加わって並び始めた頃、どこかから威勢の良い呼び声が聞こえてきました…
「にゅめろお~~んず!?」
「にゅめろどぅ~~~ず!?」
窓口に向かって並ぶ列を整理しつつ番号の呼び出しを行っています。
これはどこかで見たことのある光景!そうだ、昔東京でロックバンドのチケットを求めてプレイガイドに並んでいたときと同じだ。何時間も前から長蛇の列で並んでいるお客さんを、その中の誰かがオーガナイズして番号チケットを配布して、窓口オープンの15分前とかまではどこか他の場所に居てもいいよという紳士協定。これは寒い朝などには本当に有難い仕組みでした。とりあえず早朝5時くらいに列に加わって、番号チケットさえゲットすればその後は暖かい早朝営業の喫茶店などで時間をつぶすことができました。朝10時の窓口オープンが近づいたらまた戻ればよいのです。
国は違っても考えることはみな同じだなぁ。パリのオペラ座でも誰かお世話役をやってくれている人がいるんだ。その呼び声がだんだん近づいてきて、声の主とふと目が合いました。
「番号札持ってる?」
まさかの日本語!?(笑) そうなんです、その声の主はどこから見ても日本人(笑)
「まず番号札順に整列してるから、持ってないなら後ろに付いてね」とサラッと言って去っていきました。これがSさん。正確に言うと、この時はもうひとりフランス人の女の子と一緒に二人でこのお世話役をやっていました。
この出会いの日は自分もチケットを購入するのに四苦八苦だったりして、それ以上お喋りするタイミングがなかったのですが、その後チケット購入に行くたびに顔を合わせるのですぐに仲良くなりました。
パリは、NY、ロンドンと並んで日本人がたくさん滞在している町です。旅行の人もいるし、仕事、勉学での長期滞在の人もそこかしこで出会います。パリ・オペラ座だったら観客に日本人が含まれていない日の方が珍しいでしょう。ただ、毎晩のようにパリ・オペラ座に通ってくる日本人というのはやはり珍しい存在です。チケット売り出し日のたびに列に加わる日本人のカップルというのは余程目立ったのでしょう。
チケット列の整理役をするくらいですから、Sさんはフランス語は文字通りペラペラ。当然のようにバレエ全般について詳しく、同じくマニアの僕の妻とはすぐに意気投合しました。その当時ですでに滞欧11年目と語っていました。仕事をした時期もあったようですが、ほぼバレエを観るためだけに欧州に11年住んでいると…。どうやって暮らしてるの?どういう身分なの?と不思議に思いますよね(後々、おうちに遊びに行ったときにちゃんと説明してくれました)。彼女はとにかく楽しい人で、劇場で出会うとその日の舞台についてあれこれ話し合ったものです。ダンサーに対しても歯に衣着せぬ物言いで、良いと感じたものは褒めちぎり、ダメな時はボコボコに言っていました。その評論のスタンスもすごく納得できるもので、お互いに「あんたバレエ分かってるねぇ~~」的なリスペクトがありました。
彼女は車も自由に乗り回していて、風邪で寝込んでどうしても行けなくなったチケットがあると伝えると、ササッと車で乗り付けて引き取ってくれた時もありました。
僕らは夫婦で渡仏したということもあり、フランス人含めて交友関係はそれほど広がりませんでした。秋以降に語学学校に通ったので、そこで韓国人、コロンビア人、日本人などとたくさん友達になりましたが、やはり滞在期間中の一番大切な友人はSさんだったように思います。フランス語が堪能で、フランス社会の様々な事情についても精通している日本人の知り合いがいてくれるというのは心強く感じる部分がありました。
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