パリ・オペラ座の日々1993~1994: 序文 ①遠い太鼓が聞こえてきた
遠い太鼓に誘われて
私は長い旅に出た
古い外套に身を包み
すべてを後にのこして
(トルコの古い唄)
これは1990年に出版された村上春樹さんの紀行文集「遠い太鼓」の扉の一節。当時すでに人気作家として押しも押されぬ存在になっていた村上さんは、日本での喧噪を避けるように1986年秋から1989年まで海外に移住して、イタリア、ギリシアを転々としながら執筆活動をしていました。その間に書き溜めたエッセイ的な文章を集めたのがこの本。
全てはこの本から始まったんだと思う。
他にも複雑に絡まった色々なことがあったんだけど、やはりこの本から受けた影響が決定的でした。僕らも旅に出る必要があると思ったんです(と思い込んだ)。
大学を卒業して社会人になったばかりの僕は、出版されてすぐにこの本を読んですっかり魅了されました。ちょうどバブル経済が絶頂期で、誰も彼もがフワフワとした雲の上を歩いてるような気持ちだった時代。すでに学生たちが「卒業旅行」と称して数週間海外を旅するのが、それほど珍しいことではなくなっていました。
僕も大学3年の時に一か月ほどヨーロッパを旅しました(初めての海外体験)。それでもインターネットは全く存在せず、まだまだ海外の国々に関する情報は少なく、「地球の歩き方」に全てを依存するような時代です。オーストリア・ドイツから英国へと旅したものの、拙い語学力と予備知識の少なさもあって、ひたすら移動することにエネルギーを費やしてしまった記憶があります。初めて目にする異国の文化に驚き、感動することもたくさんあった反面、なにか消化不良のような気持ちにもなりました。
(1988年2月、初めての海外旅行で訪れた英国ロンドンのアビー・ロードスタジオで…お上りさん丸出しです…笑)
会社への就職からほどなくして結婚した僕たちの新婚旅行はフランス→英国。初めて訪れるパリにすっかり魅了され、ブルターニュの港町サン・マロを経て高速船で英国へと渡るコース。ずいぶん入念に下調べをして、少しだけフランス語が分かる妻を伴っての旅路でしたので、なかなかの満足感でした。でも。
でもやはり心の奥で小さな炎がくすぶるような感じでした。入社半年くらいの新入社員としては、10日以上のお休みをいただいて本当に申し訳なかったのですが、それでもヨーロッパを旅するにはあまりにも短い。これからずっと会社員として働き続ける限りは、そういった制約の中でレジャーを楽しむしかないのかと少し暗い気持ちになったりもしました。
(フランス西部ブルターニュ地方の港町サン・マロ 美しい旧市街、極端な干満差、タラソテラピーなどで有名。大観光地モン・サン・ミッシェルの隣町です)
社会人になってからの日々は充実したもので、夫婦共に目の前の職場で精一杯働く日々が3年ほど続きました。僕の仕事が金融機関のシステム開発だったこともあり、とにかく仕事に忙殺される日々でした。夜は23時くらいに退社が当たり前。地方の金融機関担当の時期は土日もどっぷり仕事漬けです。最も過激だったころは残業時間が160時間/月オーバー! でも不思議とひどい環境に居るとはあまり感じていなかったんです。複雑で巨大なシステムを構築している実感があったので、ギリギリまで努力することに疑問はなかったし、なによりこれらの時間外労働については全て正当な給料が支払われていました。基本給が低いこともあって、残業代が基本給を上回ることもしばしば(笑)遊ぶ時間が全然無いので、どんどん貯金が貯まる、貯まる。
(「神曲」のダンテをテーマにしたオリベッティ社の広告)
ところが1993年頃には少しづつ状況が変わり始めました。世にいうバブルというのは、株価を見れば一目瞭然ですが1989年末にピークアウトしました。でも何もかもがすぐに下降線に入ったわけではなくて、90年以降も熱に浮かされたような状況は続いていました。それが92年末頃には停滞ムードが誰の目にも明らかになり、僕が勤めていた会社でもはっきりした形で見えるようになりました。会社全体の売上が減少し、ボーナスの支給水準が低下。残業についても抑制の指示が出るようになりました。ハードワークはそのままで、徐々に給与水準が低下するような状況に業を煮やして、同僚の何人かは転職していきました。3年間ひたすら努力し、それなりのスキルを身に着けつつあったシステム開発の仕事でしたが、今後30年以上こういった場所に身を置くべきかどうか逡巡するようになりました。
そんな時にふと聞こえて来たんです。「遠い太鼓」が。
僕の実家は石膏像を作る工房でした。二つ上の兄がいるのですが、彼は学業優秀で、すでに一流企業での地歩を固めつつありました。後継者のいない工房を継いでみるのも悪くないかもしれないなと思ってしまったのです(悪魔のささやき)。
会社を辞めて実家を継ごうかな・・と将来について妻と話し合う中でふと出てきたアイデアが「長期旅行」でした。何年か前に読んだ村上春樹の本のイメージがお互いに残っていたんだと思います。次の仕事が決まった状況で会社を辞めるのなら、数か月モラトリアムの期間があったって良いだろう。そういう論理です。二人ともそれまでに経験した海外旅行での不完全燃焼感がありました。こんどこそはヨーロッパを長期間にわたって旅して、その魅力の神髄に触れるんだという意気込みでした。
つづく