パリ・オペラ座の日々1993~1994:4月2日 勉強スタート
4月2日(金)
今日は少し肌寒い。朝、フランス語の勉強を始めた。
AM11時ころフレデリックから電話あり、銀行口座の手続きはあと8日ほどかかるとのこと(解放されてほっとする)。
お昼から美味しいものを食べにMouftard通りへ出掛けギリシャ料理の店へ。パリに来てからロクなものを食べてなかったので涙がでるほど美味しくて…。
その後、アラブ研究所→サン・ルイ島→ノートルダム→パリ市庁舎→ポンピドゥー→BHVと練り歩く。観光客っぽく行動した一日であった。時差ボケだんだん消えて快調。
ギリシャ料理店 158F
アラブ研究所絵葉書 10F
魚の干物 15F
グレープフルーツ 12F
肉屋(ワイン含む) 50F
水 4F
ジュース 2F
紅茶 40F
到着して5日くらい過ぎて、時差ボケも消え、煩わしい銀行口座の手続きからも解放されて、ようやくパリ滞在がスタートした感じです。
自称「プータロー」と言いつつ、ただひたすらダラダラ過ごすのも気が引けたので、滞在中はフランス語の勉強もある程度がんばりました。といっても元のレベルが低すぎるので、まずは基礎の基礎から自学でスタート。二人で話し合って、朝はちゃんと起きて午前中は勉強時間に充てようということになりました。毎朝4時間くらいは机に向かっていたと思います。
僕は日本で買っておいた「フリーウェイ フランス語」というテキストにまず取り組みました。これはおそらくNHK教育テレビのフランス語会話と同等くらいのとても基礎的な内容です。「出る単」「出る熟」世代なのでとにかく丸暗記!(笑)スキットも全部丸暗記で最終的に隅から隅まで覚えちゃいました。
(当時たくさん作ったパタパタ短冊形の単語帳。ノートのページをどんどんつなぎ合わせて作りました。ケースは段ボールで。捨てられなくてまだ何冊も残ってます)
結果的にこれはかなり成果があって、この一冊をガリガリ暗記し終えた頃には、町での買い物などの場面ではずいぶん気軽に言葉を交わせるようになりました。
言語の習得というのはなかなか進歩が見えづらいもので、この時も一生懸命努力していたんだけど、テレビのアナウンサーのお喋りはチンプンカンプンだし、新聞なんて見出しを読むだけでハードル高かったです。意外と救われたのがラジオのトーク。早口で難しそうに感じるんだけど、映像が無い分だけ言葉で丁寧に伝えようという気持ちが強いのかもしれない。深夜の人生相談みたいな番組が面白かった。視聴者が電話をかけてきて、パーソナリティが人生指南するような内容なんだけど、話題がソフトな分だけ理解できる部分も多かったように思います。逆に政治とか経済のトークはもうサッパリでした(笑)
(ムフタール通りの様子。写真はWikimedia Commonsから)
お昼ご飯を食べに行ったムフタール通りはパリ5区のこんな界隈。セーヌ左岸で狭い路地に飲食店がたくさん軒を連ねています。ガイドブックを見てなんとなく出掛けたんだと思う。そんなに風情があるという印象ではなくて、どちらかというとツーリスティックな界隈かもしれない。住まいが右岸だったので、左岸の探索はなんとなく失敗が多かったような気がします。
日記の中のBHVは、Bazar de l'Hotel de Villeの略。パリ市庁舎の真向かいにある百貨店で、ほぼ「東急ハンズ」。「アキバデパート」と「ハンズ」が合体したようなお店です。もちろん品揃えは圧倒的に東京に軍配が上がります。
ドアノーの有名な写真はここの隣のカフェで撮影されたもの。少し路地を入るとマレ地区と呼ばれる歴史地区があります。マレは大好き。住まいがメトロ1番線沿線だったので、マレ~バスチーユ~ナシオンというエリアはよくお散歩しました。
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