パリ・オペラ座の日々1993~1994: 序文 ③具体的な準備作業
前回の記事はこちら↓
1993年1月初旬には、3月末に出発してパリに1年間滞在することが本決まりになりました。会社にも退社の意向を伝え、計画は具体的に動き始めました。
やるべきことは山のようにありました。次から次へと課題が湧き出て来て、あっという間にてんてこ舞いの状態になりました。その頃の状況をひとつひとつ詳細に説明するのはとても難しいように思うので列挙してみます。
A:国内向けの対応
①会社を辞める
2月末の退社意向を伝えたところ、山積した有給休暇の消化のために出社は2月初旬までとなった。退職金に加えて3月いっぱい働いたくらいの給与が入金されて助かった。全力で引継ぎしたが、たぶんみんなに恨まれた…(笑)
②アパートの退去・家財道具の処分
3月末で契約終了。日本には住まいが無い状態になる。可能な限り家財道具を処分し、残った物はお互いの実家に収容してもらった。トランクルームなども検討したが節約して使わなかった。電気・ガス・水道・電話・新聞など全部契約解除。
③保険・年金・公的な手続き
健康保険は退社時に一時的に脱退。国民健康保険に加入が順当だが、海外転出の旨を伝えて一時的に休止。国民年金は一年分前払いした。住民登録も「フランスへ転出」という扱い。
B:パリでの生活に向けて
①アパートを探す
以前から、都内のフランス関連のレストラン・パン屋などに置かれていた「OVNI」(オブニ)という日仏交流情報誌をチェックしていて、そこにフランスの不動産情報が掲載されているのを知っていた。場所、広さ、価格、賃借期間など比較検討しつつ複数の家主に国際電話で連絡をとってみた。(アパートについては後述します)
②引っ越し荷物の発送
何もかも現地購入というわけにもいかず、最低限の必要不可欠なものだけに絞り込んでパリへと発送。何日で届くのか?費用はどれくらいなのか?手探りすぎて、よく分からないまま怒涛のように日々が過ぎてゆく(ちなみに当時の資料によると、クロネコヤマトの国際便だと6kgで¥22,400、EMSだと5kgで¥11,000)。
③航空券、旅行保険、ユーレイルパス
・航空券は一年オープンという形で購入。
・旅行保険もAIUで一年間分加入。
・ヨーロッパ域内鉄道フリーのユーレイルパスを旅行2回分(フレックス15×2)、フランスヴァカンスパスという国内限定パスを1回分手配。大きな旅を最低3回はするだろうという想定。それ以外に必要な場合は適宜チケット手配。
④滞在許可証(カルト・ドゥ・セジュール)
90年代初頭のフランスは失業率が12%オーバーの状況で、移民の不法就労に神経質な状況でした。観光目的の場合は最長3か月の滞在までとなっており、それを超えて居住したい場合はビザが必要。でもこれが難題で、渡仏前に長期間通う学校や、正式な就職先を大使館に提示しないとビザは発給されません。各方面に問い合わせてみたものの、就学・就職を前提としていない長期滞在はNGということで、正規のビザは断念。事情をよく知っている方に相談したところ「3か月おきに英国とかイタリアに旅行すればいいんだよ。戻れば再入国だから」とのことで、ちょっとグレーな感じながらも納得して前に進むことになりましたが、結局これはほとんど問題になりませんでした。
⑤お金の手配
上記の航空券、鉄道チケット、アパートの家賃など、事前に日本国内で支払い済みのものも多かったのですが、それでも一年分の生活費の数百万をどのような形で安全に移動・保管するのか。あれこれ悩んだ末に以下のような配分に。
・フラン現金
・トラベラーズチェック
・シティ・バンク銀行
・クレジットカード引落の日本の口座
(結果的にパリの場合は、シティバンクのATMからフラン現金を引き出せたため、T/Cは無駄だったかもしれない)
⑥国際運転免許証
レンタカーに乗る機会があるかもと思い。結果的に一度も車は運転しませんでした。
ということで1月末~3月初旬まで、すでに「失業者」であるにも関わらず、毎日やることが山積みで時間があっという間にすぎていきました。
つづく。
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