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パリ・オペラ座の日々1993~1994:1月12、13日 パリ・オペラ座「オマージュ・ア・ニコライ」①


1月12日

一人でオペラ座にチケットの買い出し。くるみ割りのチケット争奪戦はどんどん過熱していて、どうにも良い席が手に入らない。
その後ショワズールの中の中華を一人でボソボソ食べて、ソシエテ・ジェネラルで銀行振込。カフェで一休みしてからマリオの床屋さんに行く。ちょっとパーマかけた。

(雪)にTelしてAmexのところで待ち合わせしてオペラ座界隈をうろうろ。意外と生活臭がする場所が多くて楽しかった。北のサン・ラザール駅方向は庶民的だな。

オペラ座チケット 120F 
昼の中華 30F
カフェ 10F
トイレ 2F
床屋 390F
カフェ 18F
プリズニック 175F
手帳 20F


1月13日

左岸探訪の一日。バスでサンジェルマンへ。Creeksのセールを覗いてセーターとか買う。リュクサンブール公園→クリュニー修道院へ行く。公園は寒々しくて人もまばらで寂しい。クリュニーのタピストリーは美しかった。

手帳を買ったり、マックを食べたりして、夕方はオペラ座へ。オマージュ・ア・ニコライのプログラムを観た。あまりに現代的すぎてよく分からない。デュポン&ピエトラガラが踊った演目はなんとなく良かったが、他は意味不明。電子音楽が終始ピーピー鳴っていて、衣装も振りも奇妙キテレツで笑える。二人でお腹が痛くなるくらい笑った。客席も空いていた。

Creeks 140F
ポム・ド・パン 47F
クリュニー修道院 36F
絵葉書 20F
マック 73F
カルネ 10F
水 18F
ガムテープ 10F
カフェ 24F


さてさて、13日にガルニエで観た「オマージュ・ア・ニコライ」。”意味不明”とか書いてますけど、これはまったく若気の至りの無知蒙昧のコンコンチキでオレのばか~~って感じです(笑) 知識が無いのって本当に恥ずかしいです。ニコライさんは、じつはすごい人物なのです!(と言っても、今回この記事を書くためにググってみて、ようやく真実を知りました)


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アルヴィン・ニコライ(Alwin Nikolais 1910-1993)は、1950年代にそれまでの概念を覆すような新しい現代舞踏を生み出した米国の振付師、作曲家、衣装デザイナーです。

米国ではイザドラ・ダンカンや、ジョージ・バランシンなどの優れた才能が、それまでのヨーロッパ中心のバレエ文化では考えられなかったような革新的な舞台を生み出していましたが、このニコライさんも凄いんです。何がすごいかって、彼はひとりで三役!振付・曲・衣装のすべてにイニシアチブを発揮して独創的な(本当に独創的…独創的すぎて…笑)舞台を創り上げました。


You Tubeには様々な動画がアップされてます。伝記的な内容の映像もあって、英語が大丈夫な人でしたら楽しめると思います。

これは1987年のケネディー・センターでの表彰式(?)の様子。後半に舞台映像を含むニコライの歩みが紹介される映像が流れます。このサムネイル画像のパイプで繋がったダンサーたちを見てください!踊りも衣装も音楽も、全てがこのテイストで貫かれた舞台です。未来的でスペーシーで抽象的。


“Tensile Involvement”  1955年の作品。これ50年代は早すぎでしょ!


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アルヴィン・ニコライが1993年に亡くなったことを受けてのオマージュ公演でした。基本的にはニコライのカンパニーが出演し、この13日の第2プログラムには、パリ・オペラ座エトワールダンサーのパトリック・デュポン、マリー・クロード・ピエトラガラが参加しています。


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Tensile Involvementは、↑に貼ったYou Tubeの映像の作品。ヒモでこんがらかっちゃってる舞台。振付、音楽、衣装、美術が混然一体となったすごい世界観です。

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ピエトラガラが踊った「Don't look back」は、ニコライに影響を受けて自身の創作を発展させた振付家カロリン・カールソンの作品。カールソンは、1970年代にパリ・オペラ座のダンス・モデルヌ(モダンダンス)の教師に就任し、ダンス・コンタンポレンヌ(コンテンポラリー・ダンス)の発展に貢献したということです。

↓こちらの論文に詳しいお話があります。お茶の水女子大学の方の論文。


本当に二度と出会えないような素晴らしい舞台に遭遇しているんですけど、当時の自分にはまったくチンプンカンプンで、猫に小判とはまさにこのことですね~。




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