パリ・オペラ座の日々1993~1994:2月12日 S女史宅へお呼ばれ
2月12日
お昼食べてからS女史のお宅へ遊びに行った。13区のアパートへお花とケーキを持って行った。さっそく自慢のビデオコレクション上映大会で盛り上がる。
・マッツ・エック「白鳥~」
・モニクルディエール物語
・エマニュエル・チボーのコンクール出場時の映像
・ローラン・プティ「マ・パブロワ」
・パリ・オペラ座「白鳥~92年」
・パトリック・デュポンのあれこれ
・「ディアギレフの夕べ」のテレビ放映版
などなど、他にも”幻の!”映像が続々と登場。レストランの話とかも面白い。トゥール・ダルジャンでサラダは…とか(笑) 夕食を用意してくれたんだけど、これも素晴らしく美味しかった。
昔のプログラム、雑誌も山のようにあってあっという間に時間が過ぎてしまって、気が付いたら午前1時( ゚Д゚) 結局タクシーを呼んでもらって帰った。
花束 65F
ケーキ 40F
タクシー 80F
この日記にはしょっちゅう登場してますが、オペラ座のチケット購入列で仲良くなったS女史の13区のお宅に遊びに行きました。オペラ座公演に行けば毎晩必ずといってよいほど会うので、すっかり良い友達関係になりました。
彼女は、この時すでにヨーロッパ滞在歴が13年くらいと言ってました。もちろんフランス語はペラペラ。働いた時期もあったようですけど、ほぼバレエ鑑賞のためだけにパリに住んでいると。どうやったらそんなことが出来るのか?と思いましたけど、世の中にはいろんな人がいるものですね。
バレエに関しての知識、フランス語、パリでの人脈など、本当にすごい人だったんですけど、じつに気さくな人柄で、僕達ともずいぶん仲良くしてくれました。みんなで写真でも撮れば良かったんだけど、今みたいに気楽になんでも写す時代ではないですからね。
この日は、なんてことなく学生の友達付き合いみたいな感じで、ビデオ大会になりました。あれもあるよ、これもあるよ!って感じで次から次へとバレエのビデオを観て、ワイワイ言いたい放題(笑) YouTubeなんて一切存在しない時代ですから、映像の価値って今とは比べ物にならないくらい貴重だったんです。
マッツ・エックの白鳥の湖。今は検索すればすぐに出てくるものね~。
S女史とは、その後もずっと手紙のやり取りが続いていて、たしか5年後くらいに銀座で一度食事をしました。その頃にはもうヨーロッパの住まいを引き払って帰国していました。パトリック・デュポンの大ファンだったので、デュポンがオペラ座を追われて、だんだん表舞台から姿を消してしまったので日本に戻る気になったようでした。年賀状でもずっとバレエの話題で、それはつい最近まで続いてました。変わらず元気にしてるかな?またみんなで会いたいですね。
帰国後にS女史が送ってくれた絵葉書。裏にいろんなことが書いてある(笑)