K-127 アポロ胸像
石膏像サイズ: H.79×W.57×D.32cm(原作サイズ)
制作年代 : 130年頃(原作は紀元前330年のブロンズ像)
収蔵美術館 : ローマ・ヴァティカン美術館
原作者 : レオカレス(Leochales)
出土地・年 : ローマ近郊・アンツィオ(Anzio) 1489年
古代ギリシャ神話上のオリンポス12神の一人、アポロンの彫像です。予言、芸術、音楽、弓、医術、疫病・・・などを司る神。アルテミス(ダイアナ)とは双子の兄弟です。
紀元前4世紀の古代ギリシャの彫刻家レオカレスのブロンズ作品を、古代ローマ・ハドリアヌス帝の時代に大理石で複製したものです。1489年にローマ近郊の海岸の街アンツィオ(Anzio)で発掘されたと推定されています(Grottaferrataとする説もあるようです)。15世紀末にギルランダイオの弟子が、この彫像のスケッチを残していますので、発見の年代については確かなようです。左腕、右手は発見されず、Giovanni Angelo Motorsoli(1506-1563年)というミケランジェロの弟子だった人物が補足、修復を行いました。
発掘された彫像は、枢機卿ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(Giuliano della Rovere 後に教皇ユリウス2世となる ミケランジェロ、ラファエルを庇護)の所有物となり、彼の有名な古代彫刻コレクションの一部となりました。1503年に教皇に選出されたユリウス2世は、ヴァティカン宮殿内の”ヴェルヴェデーレの中庭”に、アポロン像を含む自身の古代彫刻コレクションを展示しました。”ヴェルヴェデーレのアポロン”というその名は、この展示された中庭の名に由来するものです。
発掘当初から評価の高かったこのアポロン像ですが、18世紀になるとドイツの考古学者ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン(1717-1768年)が称揚したことで、さらに古代ギリシャ世界を象徴するような存在となります(彼の時代、この彫像がローマンコピーであるとは分からず、古代ギリシャのオリジナル作品であると信じられていた)。ヴィンケルマンが、アポロン像などの古代ギリシャ文明への熱狂をその著作で歌い上げたことで(もちろんそれだけが原因というわけではないですが)、19世紀初頭のヨーロッパには新古典主義、グランドツアーの一大ムーヴメントが巻き起こり、近代国家としての体裁を整えつつあったヨーロッパの国々は、イタリア半島、ギリシャ、トルコなどでの古代文明の発掘に邁進してゆくこととなりました。
1794年には、ナポレオンがイタリア半島を征服したことで、ヴァティカン美術館収蔵の美術品が大量に略奪され、このアポロン像もパリに移動されました。1815年にナポレオンが失脚し、ヴァティカンに返却されるまでの期間、このアポロン像はルーブル美術館(ナポレオン美術館)に展示されていました。
<展示場所のヴェルヴェデーレの中庭について>
ヴェルヴェデーレ(Belvedere)という名は、「見晴らしの良い場所、展望台」という意です。15世紀末にイノケンティウス8世がサンピエトロ大聖堂を見下ろす高台に、ヴェルヴェデーレ宮の建設を開始したことに由来しています。その後1506年からはブランマンテの設計によって、ヴェルヴェデーレの中庭(Cortile del Belvedere,Courtyard of Belvedere)の建造が始まり、現在のヴァティカン美術館の建物の一部となりました)。この場所は「八角形の中庭」とも呼ばれていて、ヴァティカンの巨大なコレクション群の中でも白眉と言える作品がズラリと並んでいます。
ヴァティカン美術館収蔵 「ヴェルヴェデーレのアポロン像」 130~140年頃制作ローマンコピー
(写真はWikimedia commonsより)
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