ほぼ脳死の子への尊厳死は国内でも可能(中)

治療差控えによる看取りの実現方法

尊厳死の対象か否か

 延命か尊厳死か迷う子供を持った場合、「重篤な疾患を持つ子供の医療をめぐる話し合いのガイドライン」に沿って議論となる。なのに、このガイドラインに沿わない、患者家族に提示しない医療者がいる。その場合は、患者家族から提示しよう。提示しても無視する医療者もいるが、結局は当ガイドラインに戻って来る。その中の基本方針にもある通り、子供の終末期や治療差控えの基準など様々なことが、意図的に具体的に書いていない。子供の置かれた状況や症状は多岐に渡るので、子供を中心に患者とその家族と医療者が十分に議論し切らせる為だ。つまり、子供を中心に議論し切れば、様々な選択が可能なのだ。とにかく、尊厳死の対象か否か判断に迷えば、当ガイドラインを持って医療者に相談だ。ほぼ脳死の子を持った場合、延命と尊厳死どちらも選択可能だ。

尊厳死の合意形成の難しさ

 では、子供を中心に考え抜き、尊厳死を選んだとする。その場合、理解ある医療者なら問題ない。問題は、尊厳死に理解乏しい医療者に当たった時だ。医療者の仕事は、救命。救命は誰から見ても正義で、自分の行いは全て正しいと疑うことが少ない。延命こそが唯一の正しい道と信じてやまず、延命一択だという誤りに気付けない。医療ネグレクトだとか、親権を病院に預けないかだとか、児童相談所に通報するだとか、何で必要な処置ができないんだと大声で迫ってくることがある。親としての務めを果たしていないとの脅迫だ。しかし、安心してほしい。いずれも間違いで、彼らの事実確認不足だ。ただ、2つの異なる価値観が対立すると、死生観の殴り合いとなり膠着状態になる。そこでは、事実での議論が解決手段となる。尊厳死の事例を拾い集め、こちらの主張を通すしかない。
 だが、延命の事例はwebや資料検索で見つかるが、尊厳死は見つからない。これが2つ目の難しさだ。医者、看護師、ソーシャルワーカ三者揃って尊厳死は不可能と言う。専門家に繰り返し聞いても不可能だと言うのだ。素人である患者家族は心細く三面楚歌になる。また、このつらい状況を家族や友人に話せず孤立しているから四面楚歌になり、持続的に冷静な判断が難しくなる。自分だけが尊厳死を主張するひどい親なのだと自身の卑下に陥ることがある。そこでついつい医療者の主張を受け入れてしまいそうになる。
 しかし、尊厳死の事例はここにある。当事例を引き合いに出して尊厳死を合意して次の方針作成に進もう。

方針の作成

 尊厳死実現の方針は、医療知識が必要で難しい。医療者が教えてくれない場合がある。または、延命に知識があっても、尊厳死の実現方法を知らない場合もある。私はセカンドオピニオンで集めた事例を元に、次を提案して合意した。

 以下から、肺炎や感染症をきっかけに看取る
 1. 人工呼吸器の設定を変えない
 2.点滴・強心剤を投与しない
 3.抗生物質を投与しない

 但し、これはあくまで方針で抽象的。つまり、解釈に個人差が発生するし、グレーな場合に迷う。
 まず、看取りの機会は、そんな分かりやすく訪れない。微熱などで血中酸素濃度90%前後の推移が断続的に続くことがある。90%を切ると、呼吸器とナースステーションで警報が鳴る。姿勢を変えたりマッサージをして、痰の吸引に努めるが、どうしても取れないものもある。すると、ずっと警報が鳴るので、酸素濃度を数%上げないか打診が医療者からくる。更に、空気流量を増減しないかと。フットインザドアだ、次々方針が崩されていく。
 次に、看取りの機会にはバタバタ混乱して助けてしまう。例えば、いざ急に尿が出なくなり看取りの機会が来た。すると、水分不足になり体内に毒が溜まり、急死となる。水分補給と同じだから点滴できないかと、深夜でも医療者が慌てて打診にくる。病院にいる妻と自宅にいる夫と電話で緊急相談し、判断を急ぎ迫られているので点滴を許容してしまう。後の検査結果で感染症の1つでとても危機的状況だったと知らされる。想定と違う看取りが急に訪れると、バタバタ混乱して急な判断を求められて結果助けてしまう。
そうならない様に、具体的な手順・基準も作成しなければならない。

基準・手順の作成

では、具体的な手順・基準とはどんなものだろう。以下に例を示す。

  1. 血中酸素濃度が90%を切った時、人口呼吸器呼吸から1分間だけ酸素100%を供給し、姿勢変換とマッサージを施して痰吸引。

  2. 上記1の後も血中酸素濃度が90%を切った下がるなら医師を呼ぶ。

  3. 上記2と同時に家族に連絡し、何も治療を行わない。

ここまで決定してやっと、尊厳死を高い確率で実現できる。しかし、子供の年齢が上がると体力がついて、機会は大きく減っていく。私の場合、4歳を超えると大きく看取りの機会が減った。よって、それまでにここまで決定しておかなければならない。しかし、このおかげで7歳半の時に、ようやっと尊厳死を実現できた。

下巻へ続く


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