社会不適合者、【自分が無性愛者だと自覚してからの話】を語る

こんばんは、社会不適合者です。

前回の記事にある通り、自分は無性愛者という言葉がぴったり合うことに気がつきました。

その後、起きた変化の話です。


【気が楽になった】


これが一番大きいです。

僕は元々、かなりの撫肩だったり、この歳でも女の子座りが出来たり、笑う時に思わず手で口元を押さえたりと、骨格や、ちょっとした癖レベルで女性的な部分がありました。

それらは人によく馬鹿にされてきた、あるいは馬鹿にされると自分で予想出来る要素である為、妻との同棲が始まり、自分の部屋が無くなって以降は、1秒として油断出来ないまま、隠したり誤魔化したりする生活が続いていました。

ミニスカートに憧れがある訳ではありませんが、フランスなどで流行した事があったと言われているズボン&スカートの組み合わせには強い関心があったり、本当はネイルアートにも興味があったりもしたのですが、そういったもの全部に長らく目を背けてきました。

ただ、妻への無性愛のカミングアウトをきっかけに、堂々とそういった女性向けのものに関連する興味を、口に出来るようになったんです。

一番気が楽なのは、SEXに関してです。

僕は性的なコンテンツそのものには関心があるものの、自分がSEXをする、という事実が苦手なので、妻と出会う以前は裸の女性と向き合ってもインポ全開で、何も出来ないまま終わることが多かったです。

妻と一緒になってからは、朝勃ちや疲れマラを活用してSEXに挑戦するのですが、よく途中で萎れて困る事がありました。

そこに理由がつき、もう今まで以上に気にしなくていいという事実が、一番嬉しいのかもしれません。

”不可解なタイミングで起きる男性的な能力の欠如”という不安が、“本当は心が嫌がっていた”という理由が判明した事で、取り除かれたんだと思います。


【そもそもの妻との馴初め】


僕には突発的な性欲が度々あり、そこに関してだけ言えば、ほとんど対象を選びません。

妻と出会い、同棲するようになったきっかけは、僕の突発的な性欲のタイミングと、彼女の発情が重なった事が大きいです。

出会ったきっかけ自体はそんなものとは無縁で、初めて会った時も、ただシンプルに彼女の相談に乗る為でした。

ただその時期、僕は関東へ単身で引っ越し、仕事、家族、当時居た浮気性で屁理屈ばかりの恋人と、悩みが尽きず、ストレスも多かったんです。

出会ってすぐに性行為、ということはなく、僕らは普通に話し合い、慰め合い、触れ合って過ごしました。

その時に僕の敏感な嗅覚が、彼女の性的興奮を察知したのですが、僕の身体は全く反応せず、ただ謝り、お互いに眠ります。

夜中に目が覚めた時、僕の身体はちょうど突発的な性欲(及び朝勃ち&疲れマラ)に襲われ、その勢いのまま彼女の同意を経て、5年ぶり近くの性交に及びました。

彼女との交際は、その時の性行為に対する責任感が大きかったんだと思います。

それに加えて、暴力を振るっていない時の彼女は、とても優しかったんです。

関東で独りだった僕にとって、彼女は天使のように思えました。

その後、苛立った彼女によって、LINEやSNS上に居た女性の友人は、皆黙って一方的に縁を切らされる事になってしまった訳で、全然天使なんかじゃない事が発覚した訳ですが。

でも、外面だけ取り繕って野良犬のように生きてきた僕に、人間的な色々な楽しさを教えてくれたのも、ひとつの事実です。

そういった点にはたくさんの感謝があるので、彼女とお互いに一緒に居たいと思い合い続けられる限りは、これからも一緒に居るんだと思います。


【身体の問題】


いつかはホルモン注射で女性的な部分を強くする、という選択肢が、頭を過りました。

僕は自分に髭が生えること、体毛がしっかり生えることが耐えられなくて、よく剃ったり、10代の時はZIPPOオイルで焼き払ったり、今でも長袖で隠したりしています。

でも同時に、髭だけは男らしく伸ばして、男性ならではのファッションを楽しむ事も、別に嫌いじゃありません。

僕は綺麗になりたいのですが、男らしさも楽しみたいです。

日によって強く憧れる対象は異なるのですが、トータルで見ればどちらも楽しみたいということなので、身体はこのままでいいのかな、と思っています。

自分に胸がついてたらいいな、と思ったり、出産をしたいと思ったことは、今まで何度もありましたけどね。

いや、ほんと、その時点で妻か自分が気づいてやれてればよかったんですけどね。

まぁ過ぎたことはなんでもいいので、これからも今の身体と上手く向き合っていきたいと思います。

ただやっぱり、僕は昔から髭が綺麗に生え揃わないので、脱毛だけはしたいかもしれません。

女性的過ぎる格好に惹かれたことはありませんが、中性的な格好は好きなので、そういうのが似合う自分になりたいな、と思うことはあります。

人からメイク映えする顔だと言われる機会も多かったので、あくまで見た人がびっくりしないよう、男性的な魅力を引き立てるような、そんなメイクにもいつかは挑戦したいですね。

こういうの、本当はずっと思っていたんですけど、その度に胸の内にしまい込んでいました。

まだ文字にするだけでも自分でゾワゾワして、くすぐったさと悪寒の間にある感覚に襲われるのですが、もう怖がらなくていいと考えれば、そんな自分も笑い飛ばせます。


【知人への無性愛の公表】


これは少し考えましたが、わざわざする事は無いんじゃないか、と思いました。

聞かれることがあれば答える、くらいの感覚で良いかと思っています。

幼馴染のLINEグループで打ち明けようか考えたりもしましたが、別に打ち明けなくても困らないので、しないです。

僕は無性愛と言うより、男らしさや女らしさに縛られず、楽しみたい時に楽しみたい方を選べるなら、それでいいという考えの人間です。

正直今まで男らしさに囚われ過ぎていた反動か、女の子らしい要素に強い関心を持ってはいるのですが、女の子の身体になりたいのかと聞かれると、一度経験はしてみたいものの、それだけに囚われるのは嫌だな、と考えています。

なんかこう、アタッチメントでその日毎に、気軽に性器を交換出来たら良いんですけどね。

個人的にはそれが良いです。

見慣れたチンコとも、昔何度か切り落とそうか悩んだ時はありましたが、今はお別れする気はありません。

これまで、普通に生きていて女性と間違われることが、成人してからも何度かありました。

その度に「もっと男らしくならないと…」という強迫観念に襲われていたのですが、これからはもう、「大丈夫だよ。 ぼくはぼくだよ」という風に自分を慰めることができるので、それも嬉しいです。

僕はやや女の子寄りの無性愛です。

男の部分も楽しみたいし、女の子の部分も楽しみたい。

ただ、現実の異性に性的関心は持てない。

性欲はあるけど、トラウマのせいか、無性愛のせいか、何かとはっきりしない理由で、3次元の人間には反応しない。

一人称は俺、僕、それからよく使っていたのは、自分。

これからは、私、も言いたいな、と思う事もあります。

これもまた、性別に囚われない一人称だと思いますが、僕は何度か使おうとしては、やっぱり断念していました。

自分の中から女の部分を少しでも多く弾き出す人生だったので。

こうやって色々考えていると、無性愛者以外のトランスジェンダーの方は、自分の性自認が身体と一致しない時、とても大変なんだろうなと思いました。

自分の家族とは縁が切れていますが、義両親の事などを考えると、僕は僕でちょっと気が重い時がありますけどね。

そういった意味でも、やっぱり公表はしないです。

周りを混乱させない程度に、受け入れてくれた妻と居る時だけは、性別に囚われない自分を楽しみたいな、と思っています。


【思い返すと】


思い返すと、僕はずっと女性的な感性で生きてきました。

最後に買ったバイクを選んだ理由も、「顔が可愛いから」。

好んで着る服も、全部が「誰かに可愛いと褒められたから」。

妻と2人だけで居る時の口癖が「可愛い」、「キュンキュンきちゃう」、「可愛いって言って欲しい」…。

他にも色々あるんですけど、思い出すと何故か涙が出るので、ここで終わりにします。

僕は今まで生きてきて、時折他人がしてくれる女性扱いが、どれも嬉しかったです。

わざわざ書きませんが、どれも覚えています。

その気持ちを、今までは「されて嫌だったからよく覚えてる」と自分に言い聞かせてきましたが、それもしなくて良くなりそうです。

それも、やっぱり嬉しいです。

ああ、もっとどっちも楽しみてー!!!

そんな風に叫びたい気分が、今は一番強いですね。


以上、“社会不適合者、【自分が無性愛者だと自覚してからの話】を語る”でした。


やっぱり、妻には酷な事を強いている気がします。

御礼という訳ではありませんが、僕が男性を楽しみたい気分の時、彼女が僕に異性として甘えたい時なんかは、しっかり男扱いをしてくれて構わない、と伝えました。

ここに書いていないような不安は沢山あるのですが、ちょっとした不幸にはいくらでも耐えてきた人生なので、これからも何とかやっていきたいです。

ただ、もう我慢はしたくないですが。

色々楽しみたいです。

ここまでお読みくださった方、そうでなくともこのページに飛んできてくださった方、その両方に感謝します。

本当に、ありがとうございました!

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