社会不適合者、【性別の必要性】を語る
こんにちは、社会不適合者です。
この記事では、僕が思う性別の必要性ついて語りたいと思います。
これを書こうと思ったきっかけは、昨年末、妻とシャワーを浴びている時にした、こんなやり取りでした。
「性別が無い…って、あるのかな?」
「あるよ。 芸能人にもいるし」
「あるの?!」
その後、色々な偶然が重なり、僕は性別という概念そのものについて、頭を抱える事になります。
性行為、虐待の要素が含まれるのと、それなりに長い話になると思うので、無理して読まないでください。
これでもかなり割愛したほうなのですが、そのせいか自分で読み直しても内容が歯抜けになっていると感じたので、時間泥棒になる可能性が高いです。
【僕の恋愛遍歴】
まずは僕の恋愛遍歴から。
身体は男、交際対象は基本的に女性、男性も3回だけ交際した事がありました。
幼稚園児の頃はバレンタインに2桁近いチョコを貰っていたそうですが、いわゆる“けっこんのおやくそく”は誰ともせず、先生や男の子とばかり過ごしていたそうで、僕自身も意図的に女の子を避けていた記憶があります。
小〜中学生の頃はよくないとわかっていながら、友人が好きだと言っている女の子、あるいは既に友人と交際している女の子に近づき、横から取るような恋愛をしていました。
取るのが目的で、付き合いだしてからはデートなんてほとんど行かず、隣に座ってくっつかれると悪寒と動悸がし、手を握られでもしたら、即座に別れ話を切り出していた程です。
社会人になってからは、基本的に入れ食い状態で、自分から誰かにアプローチをかけた事はほとんどありません。
仕事は真面目、プライベートはヤンキー、でも中性的な雰囲気で物腰穏やか…という評価をよく受けていて、そういった様々なギャップが、勝手に魅力的だと勘違いさせていたようです。
男性と交際したのも、社会人になりたての頃、最初は肉体を超越した真実の愛を求めて、次は宿欲しさ、最後は特に理由を考えずに…でした。
18歳になると、ただでさえ薄かった異性への関心が、性欲も含めて急激に萎みきってしまい、僕はその後23歳になるまで、ほぼ誰とも交際せずに過ごす事に。
今は23歳の頃に出会ったパートナーと4年間、事実婚状態での同棲を続けています。
【僕の異性との性的体験】
僕の産まれて初めての性体験は、たしか4歳頃、急激に胸が出てきた中学生の従姉妹の胸に関心を持ち、真偽を確かめたいと考えた事でした。
性欲ではなく、強烈な興味を持ったことが原因だったのですが、結果だけ見れば同じ事かと。
寝ている時にこっそり触らせてもらおうとして、やっぱり断念した、という経験です。
次に性的なものに触れたのは、両親の離婚前なので、たしか5歳頃。
母親と浴室に居た時、股間から紐がぶら下がっているのを指摘すると、「誰にも内緒だよ」と言って、タンポンを出し入れするところを見せられました。
単純に気持ち悪い記憶ですし、この母親は後にも性的体験のひとつとして再登場します。
次が小学一年生頃、年の離れた姉に性器や足の裏を舐めさせられた時でした。
これは何年か続き、性器は鉄の味がして、足の裏は洗ってなくて酸っぱい上、砂埃がじゃりじゃりしたり、何故か髪が口の中に入ってきて、非常に不愉快だったのを覚えています。
姉以外だと小学5年生の頃、3つ歳下の親戚の女の子に手コキとフェラをされたこと。
彼女はクォーターだかで発育が良く、教会に通っていたので、そこで何かを仕込まれたんだと推測。
夕方17時頃になると、仕事を中抜けした父が中学生の姉を浴室に連れ込み、いつも喘ぎ声がしていた時間が、小学一年生頃〜姉が家を出るまで続いていたこと。
12歳の年末に、くすぐりあって遊ぶ内、気づいたら馬乗りをされるような形になり、そのまま16歳の女性優位で初体験が終わったこと。
以降は手当り次第に性行為をこなせるだけこなすようになるのですが、部屋は真っ暗、愛撫や前戯は無し、騎乗位で手短に済ませてもらう、というのが、ほぼ一貫して同じだったかと記憶しています。
それ以外にも共通点があって、僕は性行為が終わると、無性に胸の内が冷たくなってきて、すぐにその人と二度と関わりたくなくなってしまうんです。
酷い時は嘔吐したり、そもそも行為の途中で性欲が無くなってしまい、中途半端に終わるなんて事も、少なくありませんでした。
17歳の頃、精神的な理由でいつも寝てばかりいた出戻りの姉と、その娘である姪と暮らし始め、彼女と誰よりも長く一緒の時間を過ごすようになると、18歳になる頃に1つの変化を迎えます。
今まで、使い捨てるように性欲を向けてきた女性達にも、こんな時期があったのか…と考えるようになったんです。
本人、それからその親達の気持ちを想像した時、ただでさえ突発的にしか感じなかった異性への性的関心が、一気に無くなってしまいました。
異性との性行為はそれっきりほぼ無くなり、23歳の頃にイレギュラーが起きるまで、僕は誰とも交際さえしませんでした。
時系列が遡りますが、ぼくが20歳の頃の話です。
母の家に泊まりに行っていると、あの人は下着姿で僕に添い寝をし、足をからませてきました。
そして言うんです。
「ママ、今なら妊娠しないよ」
聞こえないふりをして、涙目になりながら、泣くのを堪えて眠るフリをしました。
動悸が止まらなくて、吐き気がするのを必死に堪えて、朝になると、家まで送ってもらいます。
笑顔で「またね」と別れた後、それっきり、母とは連絡さえ取っていません。
【僕の同性との性的体験】
初めは小学一年生の頃、弟で、姉からお互いに愛撫しあう姿を見せろ、と命じられ、指示されたことをそのまましましたが、あまり覚えていません。
幸いそれは一回きりです。
次が小学四年生くらいの頃、近所の女の子に”悪戯”をするという噂があるお兄さんの家に泊まり込みで遊びに行くことになったのですが、何人かの男の子が居た中で、何故か僕だけが寝込みを襲われました。
みんなで雑魚寝をしていると、下着を脱がされ、何かをお尻に当てられたんです。
当時は何をしているのか意味がわかりませんでしたが、噂に聞いている“悪戯”に近いな、と思いながら、ドキドキして何も出来ずにいました。
幸いそれはすぐに終わったのですが、僕はその時から、その夜の事ばかり考えて過ごすようになっていました。
小学五年生の頃に従姉妹にされたことがきっかけで自慰行為を身につけると、当時に事を思い出してはドキドキし、すぐにそれを頭の中で振り払って、架空のボーイッシュな女の子を作り出し、その子が性的な目にあうのを妄想して性欲を処理する事に。
学校生活で性的な体験をしたのは、それと同じ時期です。
男の子が最初で、彼はクラスの色々な男子生徒の頬に「外国の挨拶!」と言って、キスをして回っていました。
仲はかなり良かったのですが、僕だけそれをしてもらえず、なんだか仲間外れみたいで寂しかった覚えがあります。
そんな時期が少しだけ続いたある日の夕方、2人だけで教室に残っている時があり、僕は自分だけ頬にキスされないのが不満だったので、すぐに教室を出ようとしました。
そんな僕の手を掴み、彼は僕の口にキスをすると、何も言わずに教室を走り去ってしまったんです。
多分、彼は僕のことが好きだったんだろうな、と、初めて男性と性行為をした時に、ふと思い出しました。
彼との思い出は良くも悪くも本当にたくさんあるのですが、長いのと、本題からかなり逸れてしまうので、割愛します。
以降は彼を自慰行為の妄想に使うようになり、よく架空のボーイッシュな女の子と、彼がキスをするのを想像しました。
また同じ時期になるのですが、クラスに転校生がやって来ます。
僕はその転校生ともすぐに仲良くなり、女の子みたいな顔で溌剌とした性格の彼の事を、なんだか特別な存在だと錯覚し始めました。
ついには胸の内に抱えていた家での虐待の事を彼だけに相談してしまったのですが、それを聞いた彼は「誰にも言わないでおいてやるから、お前の姉貴にやらされたこと、俺にもやって」と言い、3回ほど、僕を呼び出してはフェラを強要し、射精までして1人でスッキリしていました。
挿入までされかけたことがあったのですが、「お前のチンコが見えるのが嫌だ。 あと泣くな」と言われ、ギリギリのところで終わったのが、そのまま2人の関係の終わりです。
これだけは本当に誰にも話したことがないトラウマのひとつだったのですが、これを思い出さないようにしていた理由の一つに、思い出すと何故か自分が勃起するから、というのがありました。
彼が女の子みたいな顔をしているからだ、と、脳裏によぎる度に振り払い、この間、妻にある事を相談するその時までは、必死に忘れようとしていたんです。
これもまた同じ時期なのですが、寝て起きたら弟にいわゆる亀合わせ?というのをやられていた事もあります。
これはシンプルに気持ち悪いので今までまったく覚えていませんでした、また忘れようと思います。
中学生の時もそれなりに色々あったのですが、ほぼ似たようなものなのと、相手がキスの彼ばかりだったので、割愛します。
次が15歳〜16際の頃です。
一年半ほどの長期の家出と流浪生活をしていたのですが、初めての相手は、そんな僕を無条件で家に泊めてくれる、友人に紹介された素性不明の社会人でした。
何日かは普通に過ごし、僕は主夫のように献身的に家事をこなしていただけだったのですが、ある夜に彼から交際を迫られます。
同性愛の存在は知っていましたが、彼は「俺はゲイじゃない。 でも一緒に生活してたら、君が好きになった。 別に肉体関係はいらないから、俺の彼女みたいになって欲しい」と言い、これは性別も性欲も超越した本当の愛だと、僕は嬉しくなって了承しました。
その次の日くらいにはそれが嘘だったとわかります。
一緒にシャワーを浴びて洗いっこをしていると、「もしかしたら将来的に肉体関係になるかもしれないから」と言い、僕の肛門を洗いたがりだしたんです。
渋々了承したのですが、それは何日か続き、最初は指が1本、何日か目に2本、最後は3本、即座に4本と指の数が増え、4本入った日には、そのまま風呂上がりにベッドで押し倒されていました。
いわゆるネコというやつに従事したのですが、その時に思っていたのは、「彼はゲイだ」「ゲイは男の人が好きだと聞いていたけど、俺を男としてじゃなく、女の代わりみたいに扱ってる」「これは性別も性欲も超越した本当の愛なんかじゃなく、俺の性別と性欲を無視した、彼の押しつけだったんだ」ということ。
幸い挿入からピストンまで、こまめに痛みの有無を問われ、最後まで痛くはされる事はほとんどありませんでしたが、行為が終わる時、僕はすぐ背後で腰を降っていた彼の事じゃなく、別の人の事を考えていました。
小学生の時、僕にキスをして逃げ去った友人の事と、その気持ちです。
彼は、自分の気持ちを抑えきれなかったけど、あくまで僕を尊重しようとして、苦しんでいたのかもしれないな、なんて…あくまで想像ですけどね。
男性との交際はその後も2回だけありましたが、3回目の時に怖い思いをしたので、それっきり。
怖い思いというのは、ローション無しに石鹸の泡だけで挿入までされて、行為中に何故か泡が無くなってその後何年も切れ痔に悩まされたこと、それからその彼に行為後、「お前、男でもやらせてくれるノンケだって、界隈で有名だよ。 お前が知らないだけで、俺もお前の元カレ2人も顔見知りだし」なんて事を言われ、ゾッとしたことです。
ゲイに界隈があることにも驚きましたし、自分が回されているような状態だった事にも驚き、それ以降は絶対に男と交際することはしないと誓いました。
以降も何度か男性に交際を申し込まれたことがあり、中にはその土地から離れ、一切界隈などを危惧する必要の無い申し出もあったのですが、どれもハッキリと断っています。
力の強い人の性欲が、僕は苦手です。
【僕にとっての女性と男性】
手短に言うと、これはどっちも同じです。
ただ、男性は基本的に僕を異性として扱うことがないので、気兼ねなく一緒に過ごせて安心します。
女性は親しくし過ぎると誰だろうが異性としての次の段階をチラつかせるので、幼稚園に通っていた頃から苦手です。
でも、話していて気が楽だと感じるのは女性だし、男性のノリに合わせて過ごす事は、いつも無理をしなきゃいけなくて疲れてしまう為、1人になると後で憂鬱になります。
外見そのものはそこまで意識せず、僕は“におい”で人の外側の情報的価値を決めます。
顔や服装はわりとどうでもよくて、最低限の清潔感は大前提として、いい匂いがする人はそれだけで懐きたくなるほど素敵な人だし、柔軟剤や香水の匂いがする人は何かに気を使っている人だと思うし、臭い人の前では息を止めて笑う以外に何もしなくなります。
においは僕にとって、人の外見の代わりなんです。
一時期、どうしようもなく人の顔が覚えられない時期があったのですが、それでもにおいによる判別だけは可能でした。
いい匂い、臭いにおい、それぞれ一概に何がどう良い、悪いということはなくて、例えば汗やオイルまみれの作業着のにおいが、僕は嫌いどころか、むしろ好きだったりします。
反対に、香水がついていればいいのかと聞かれると、中には数メートル離れていてもそのにおいに気づいてしまい、鼻を隠すほど苦手だと感じるものもあって…。
なんにせよ、僕は昔から鼻がよくて、これが目で見る事以上に、人の第一印象を判断する基準になっているんです。
妻以外に話したことはないんですけどね、我ながら気持ち悪いですし。
僕は男の子もスカートを着ればいいし、女の子もズボンを着ればいいし、髪の毛の長さも、メイクやネイルも、みんなが好きにすればいいと考えています。
フェミニストの言うことは基本的に、日本語での理解は出来ても腑に落ちることはほとんど無いし、男らしさ、女らしさというのも、本人が好きで選んでいることなら、なんでも良いという考えです。
僕にとって大事なのは、においと、その内側です。
もちろん聖人ではないので、外見がどうでもいいからと言って、誰でもいい訳じゃありません。
特に苦手なのは、どこかで酸っぱいにおいがする人。
加齢臭とは違います、むしろ加齢臭は好きな場合が多いです。
反対に、思い浮かべるだけで心がやすらぐほどに大好きなのが、太った人に多く見られる、なんだか甘いと感じる不思議なにおいです。
内側に関して言えば、正直、男も女も変わりません。
仲良くなっていくと、一見お淑やかな女の子でも粗暴な面はあるし、その逆だって全然います。
僕が好きなのは、誰が相手でも人の話をちゃんと聞ける人、他人に対してありがとうやごめんなさいがちゃんと言える人、学歴関係無しに話していて頭が良いと思える人です。
嫌いなのは人の話を聞かない人で、それ以外はわりと、どんな欠点があっても許容出来ます。
人間的要素として、動物好きとか、料理上手とか、その辺の事はどうでもよくて、そもそもそんなものは生き方次第でどうとでも変わるものだと思っています。
僕が大事にしたいのは、その人がどういう生き方を選んでいるのか、ただそれだけです。
僕は通りすがりの野良猫でも、目が合えば会釈しますし、例え相手が小さな子供でも、敬意をもって接します。
男、女、年齢、国、種類、正直どれも気にしませんし、気にすると情報の理解が曇るので、相手がわざわざ自分で前提にするまでは、ほとんど意識さえしません。
ハムスター相手でさえ触っていいか許可を得ながら指を差し出し、向こうが自分から触れてきてくれたら、「ひゃーーーん!!! ありがとうございますぅぅうううう!!!!!!」と礼を言って少し抱っこさせてもらうくらいです。
男も女もハムスターもみんな一緒で、大事なのはその人の他人との接し方、それだけ。
相手が殺人犯だとしても、まずは動機を聞いてから対処を考えます。
でも世の中にはそうじゃない人も沢山いて、それが僕には辛かった。
そんな時、パターナリズムという言葉と、無性愛という言葉を知れたんです。
【異性として妻と過ごした4年間】
そんな僕ですが、色々あって、4年前に今の妻と同棲を始めました。
交際と同棲がほぼ同時期で、それが始まって3ヶ月くらいした時点で、僕は妻に「もしSEXできなくなったら別れる?」と問い、無視されたのでバイアグラを買い始めました。
妻はSEXによって自分の存在価値を感じられる人間であり、僕はSEXはむしろ苦手で、それ以外の人としての触れ合いを求めるタイプだったんです。
時間が合う時には何かを一緒に楽しんで、その感想を話し合って、互いの理解を深めあったり。
普段からSEX無しで触れ合って、そのあたたかみを感じながら、安心して過ごしたり。
そういった相互理解と、性欲の関係無い家族的な温もりが、僕はすきなんです。
妻は真逆で、基本的に普段はスマホをいじる以外に何も興味が無く、かと思えば突然性器に触れてきたり、信頼関係を築く前から人のスマホの中を隅々まで監視したり、とにかく距離感のおかしな人だなぁ、という印象でした。
僕は性欲はありますが、SEXは好きじゃありません。
3次元の他人を自慰行為のお伴に使うことはほとんど無く、あるとしても、性器を注視しては、自分には存在しない膣の感覚を想像するくらいです。
そもそもSEXは、子供を授かりたい時以外は、ただの性欲処理の共同作業だと思っています。
そこを日頃の触れ合いなくして突然行うというのが、僕は理解出来ないまま、何度それを指摘しても無視されて、一方的に彼女に合わせる生活が続きました。
3年目あたりから一気に回数が減ると、彼女は不安に駆られ、僕のiPadをへし折ったり、僕が文章のネタを考えるのに没頭するのを責めたり、とにかく暇さえあれば僕に対し、物理的にも精神的にも、危害を加えてくるようになりました。
元々彼女は、僕に暴力を振るうことで言うことを聞かせるタイプの人種でしたが、SEXが週に一度程度になったことで、それが悪化したんです。
毎日スマホをいじるだけ、家事もしない、話も聞かない、勝手に不機嫌になって暴れたり、家から締め出されたりする。
3年間それが続いた上で、更には僕の人間性を否定しだした彼女に、僕は初めて怒りました。
「君にとっては、何もかもが僕のせい、ということでいいんだね?」
「うん」
「あれをした件、これをした件、全てが僕のせいだと?」
「うん」
「出会った時点で僕の過去は聞かせた。 その時に何度も別れるか聞いた。 別れないことになった後は、君が理不尽に怒るたびに謝り続けて、穏やかに暮らすために合わせ続けてきた。 その上で、更には趣味もやめろ、何もするな、と言うんだね?」
「うん」
「うーん、本当にそれが答えでいいんだね? 聞くのはこれが最後だから、よく考えてね」
「うん」
「そのうんは、どの、うん?」
「全部お前のせい」
「わかった殺す」
そうして揉めたのが半年前、それから警察沙汰にもなり、少しだけ互いに距離を置いた後、また同棲を再開しましたが、おそらくSEXは10回程度しかしていません。
僕は妻と結婚する時に、鏡に映る自分を見て、「これからはもう、男として生きるんだ」と、強い誓いを立てた過去がありました。
髪を伸ばすのはやめ、せめてもの男らしさにツーブロックの範囲を広くしてみたり、可愛くて気に入っていた左耳のピアスをつけるのをやめたり、色々な物理的な変化を自分に与えたんです。
その時、僕は何のために自分がそれをしたのか、自分でもよくわかっていませんでした。
めちゃくちゃ気持ち悪くて申し訳ないのですが、これから、僕の写真を見てもらいたいと思います。
画質が悪かったり、変な文字があったり、色々気になるとは思いますが、一度、見てみてください。
15際の頃、家出をしていた時、不良仲間のワンルームアパートに居た時の、満面の笑みの写真です。
誰に見せても「これ社会不適合者さん?!」と言われます。
次は20歳頃、姪のためにしっかり社会人をやるぞ!という時期の写真。
働く時は大体こうです。
これが妻と同棲を始めた後の写真。
毎日身体を求められ、それに応じていました。
これがその少し後、24歳の頃、こっそり自分で撮った写真。
鬱の悪化で働けなくなりだしていました。
これが25歳、結婚を誓って髪を切る前、最後に…と思って撮った写真。
誰にも、もちろん妻にも見せていない、自分でも直視しづらい写真です。
見苦しいかと思いますが、僕は先日これらの写真を見返していて、なんだか泣けてきたんです。
僕は昔から自分の顔が嫌いで、写真を撮られると顔がこわばるくせがあり、お前は冗談みたいに写真映りが悪いと、よく笑われてきました。
一枚目の写真の時期でさえ、普段は周りからよく女の子みたいな顔だと言われていたのに、実際に撮られることになると、あの目つきです。
睨んでないのに、ですよ。
僕は昔から、男らしく生きなくては、と思っていました。
なのでプリキュアは絶対に見ない、甘いお菓子や可愛いスイーツはケーキやチョコでさえ食べない、小学生の時からレディーファーストを意識し、常に筋トレをしては、力強くあり続けることを求めていました。
そんな僕がこっそり撮った自撮りが、最後の2枚です。
そこに、僕の本心での訴えが、全て詰まっているように思いました。
本当は人形遊びが好きで、可愛いぬいぐるみやピンクの服が好きで、でも、ガンダムだって好きだし、男らしい格好も好き。
大きなバイクにも好きで乗ってるし、男らしく振る舞うことも、苦痛というほどじゃない。
ただ、そういった、“男として”だけに囚われる事に、疲れきった自分の本心が、そこに垣間見えた気がするんです。
【男らしさ、いらねえーーーーー!!!!】
年末、妻とシャワーを浴びながら話していた時、僕はしばらくまともにしていないSEXについて、彼女に提案をしていました。
「何度も言っているけど、僕は君が好きだよ。 でも身体目的で惚れた訳じゃないし、なんなら知っての通り、SEXは苦手だ」
「うん」
「だからSEXがしたいなら、日頃から触れ合って欲しい。 心も体も」
「うん…気をつける」
「もう君に合わせて無理はしたくない。 でも君が嫌いなわけじゃない。 でも僕は、性的に君を見るわけじゃないし、女の子になりたい訳でもない。 大きなおっぱいには惹かれるけど、それで性的な興奮はしないし、女性器もトラウマがあるからか苦手。 かと言って、男が好きという訳でもなくて…。 これ…どういうことなんだろう?」
「まぁ色々あったもんね。 しょうがないんじゃない? 今まで無理させてごめんね」
「うん…。 いや、というか、それ以前の悩みな気がして…。 ねえ」
「ん?」
「性別が無い…って、あるのかな?」
「あるよ。 芸能人にもいるし」
「あるの?!」
その時はそれで終わりましたが、その後、年が明けてパターナリズムという概念を知り、それを調べる過程で、社会全体に根づく押しつけや思い込みの多さを知りました。
男らしさ、女らしさもパターナリズムなのでは?と考え、LGBTなどについて調べようとした時、ふと、「性別が無い」と検索する気になって、無性愛者という言葉に辿り着いたんです。
これを少し調べただけで、僕はピンと来ました。
男として生きるのは息苦しい、でもだからといって、女の子だけになりたい訳でもない。
男でも女でも、他の誰も彼もが自分と違う動物に見える、不安ばかりの人生。
ゲイに親近感を感じては女代わりにされ、レズに人として惹かれるけど、やっぱり避けようと思ってきた人生。
どれだけ惚れた、好きだと言われても、異性として好意を向けられることそのものに嫌悪感を感じる、人の無邪気な好意に罪悪感さえ感じる人生。
ゲイじゃない…トランスジェンダーじゃない…なら、身体が男だから、男として生きる。
それだけの人生が、それだけで、もう辛かった。
無性愛者。
簡潔に言えば、性別を持たない者。
めちゃくちゃしっくり来る。
でも、これがしっくり来てしまったら、僕は今までの自分の人生をほとんど裏切ることになるし、僕を男性として愛してくれる彼女の事も、裏切ることになる。
まだ断定はできない…したくない。
そう思うと、喜び以上に不安や悲しさが膨らんで、調べるのが辛くなり、気づく頃にはスマホ自体から手を離していました。
でも、どうしても抱えきれなくて、妻に相談を試みます。
「ね、ねえ、妻」
「んー?」
「あのさ、無性愛者って知ってる? 中山咲月って人とかの」
「知ってるよー」
「なんか…僕さ、調べてたら、心当たりがあって」
妻が無視して、“何も聞かないオーラ”を出したので、その日は断念。
次の日も同じ相談をしたのですが、また無視でした。
僕は耐えきれなくなり、「ねえ、大事な話だから! ちゃんと聞いてよ!」と、つい声を荒らげてしまいます。
すると彼女は泣き出して、僕はまだ断定も何もしていないのに、「社会不適合者くんが無性愛者だったら、これから恋愛対象として一緒にいられないね」とこぼしたんです。
僕は苛立ち、彼女に強く当たります。
「まだわからないし、わかりたくもなかった! だからいつもと違って1人で結論に辿り着くんじゃなく、君に相談して、2人で結論に辿り着きたかったのに! それを無視した挙句、僕の意見も参考にせず1人で勝手に僕の結論を出して、あろうことかそんなことを言うの?!」
そのあとは本当に、揉めに揉めました。
僕が彼女を責め、彼女の何気ない一言が僕の性別の悩みを刺激し、更に僕が責めるという繰り返しです。
もし本当に無性愛者だったら、という、強い不安と罪悪感はありました。
でも、まさか頭ごなしから、4年間一緒に暮らし続けてきた気持ちの事まで、一方的に否定されるなんて。
泣きそうになりますが、女々しいので堪えます。
でも右目だけが、勝手にポロポロと涙をこぼし続けるんです。
僕は怒りながら、4年間の気持ちを伝え、そこにはそもそも性別なんて関係ない事を訴えかけました。
やがて2人揃って冷戦状態のようになり、少しした後、僕がぽつりと問いかけます。
「何か…聞きたいことある? 本当はそうやって、少しずつ、話し合いがしたかったんだけど」
「ごめん」
「謝罪はいらない。 それにもし謝るなら僕のほうだし。 それで…何か、気になることは?」
「えっと…」
彼女がひとつ聞き、僕が3つ答えます。
きっと彼女にとってはうるさいでしょうが、その時の僕にとっては、とても必要な事でした。
それを何度か繰り返す内、質問はだんだんと、一緒に過ごしていて僕が無意識のうちにさらけ出していた、数々な女性的な面の答え合わせなっていきます。
そうして出た最終的な結論は、こうでした。
「社会不適合者くんが無性愛者だとしても、パートナーとして一緒にいたい」
「ありがとう。 でも、僕は無性愛者というより、男も、女も、どっちも楽しみたい人間なんだと自認してる。 男性的、女性的と言うより、男らしい楽しいことも、女らしい楽しいことも、全部やりたいんだよね」
「うん」
「だから男として君を守ることもできるし、女友達みたいに女の子の楽しいことも教えて欲しい。 それから、人として愛し続けるよ」
「ふふ。 そういえば指輪のおもちゃを買ってプロポーズごっこをする時、私につけるより先に、自分でつけてたもんね」
「マジで?! え、そこまで女の子への憧れが出てたのは自覚してなかった…。 嫌だったよね、ごめんね、きしょいね僕」
「はは。 じゃあ…今度は私がプロポーズして、指輪をつけてあげようか?」
「え? え、ええー、へへ、へ、へへ…。い…いいんすか?」
「うん。 ほら。 社会不適合者くん、結婚してください」
「よ、よろこんで。 よろしくお願いします…へへへ」
彼女には難しい決断を強いたと思います。
僕にとっても難しいし、揉め続けた6時間近く、質問と答え合わせを繰り返す2時間近くも、とても苦しい時間でした。
でも、その瞬間、少しだけ肩の荷が降りた気がしたんです。
それを妻に背負わせた可能性があるので、その負担はせめて少しずつ、分け合えたらな、と思います。
以上、”社会不適合者、【性別の必要性】を語る”でした。
僕にとって、性別という考え方は、わかりやすさ以外になんの利点も無いように思います。
わかりやすいから女の子はスカートを着てメイクをして、わかりやすいから男の子はズボンを着て髪を短くする。
どっちもくだらないパターナリズムです。
好きな人が好きなようにできるのが、一番良いんだと思います。
めちゃくちゃ長くなってしまい、申し訳ないです。
ここまでお付き合いくださった猛者が、果たしてどれだけいることやら…。
もしいらっしゃれば、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございました。
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