Blank’n’Drunk, without knives #1

Blank’n’Drunk, without knives #1


◆1◆

益体のない、聞きかじった例え話なのですが。

ある男が不運にも突然雷に打たれて死んだとして。

同時にもうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちたとします。

なんということでしょう、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一の物体を生み出してしまいました。

原子レベルで同一の構造を持ち、見かけも脳の状態も完全なるコピーだった場合、記憶も知識も全く同一となることでしょう。

スタスタ歩いてお家に帰り、泥が男の生活の「続き」を始めたとき。

それは一体何なのでしょう。


◆2◆

緊急事態の1時間と、トレーニングの1時間と、事務仕事の1時間というのは、果たして本当に同じ長さなのでしょうか!果たして!

高次元物理学会はこういう問題をこそ扱ってほしいものです。

環境課は一般的な姿ではないもののいわば役人であり、役人には非常に雑多な申請や書類がつきものである。
庁舎外の業務が主となる筈の処理係においても例外はない。

一般的な語彙で言ってみれば、「外回り」。当然雑多な事務処理がある。業務報告書、作戦起案、改善提案、火器使用申請、封鎖統制状況書、共用おやつの注文リクエスト、備品耐久試験報告書。ちなみに極堅おやつビスケット(こつぶ)にした。
聞きかじりだが、主となる業務より雑務に時間がかかるのは世の常であるらしい。
段平を振るってすべてが片付けばいいのに。

詮無いことを考えると少し落ち着くものだ。困った性である。
窓の外では一際夏の気配がする。外へ出られるのならば、心地よい暑さを感じられることだろう。
手元のコンソールで係の業務記録と報告書、そして後輩への指導記録が折り重なっている。
申請物が多い。一仕事進めるたびに毎回この様子なのは、前職でも見た風景だ。どこの役人も同じことをしているというのは、因果か何かの収束なのだろうか。どうせ収束するなら関連性の強い書類の形式を一枚に収束させるのはどうだろうか。罪ではないと思うのだが。

こういうときは片付くものから片付けるのが大変よいというのが持論だ。モチベーションが維持しやすい。私も、めげるときはめげる。

ガメザさんの指導記録。この辺りは書きやすい方だ。事実と、日頃思う事柄を書けばよい。
斃してから考える。
過去に提出した記録を軽く参照し、今回の要点を洗い出す。

今回は単純な模擬戦闘訓練だった。
彼の(彼と言うと一部の顰蹙を買う)単純な戦闘能力は既に高い次元にある。一言で言えば短期決戦。まだ体が出来上がっていない年頃の分持久力に欠けるが、ありあまる手数で即座に状況を終わらせる。
特にリアムさん謹製の籠手を得てからは目を見張るものがある。
あの爪は今後の運用は装着に課長の承認を要す、とするらしい。尤もだ。あれはややもすれば対峙する相手のみならずその場の状況を一度に破壊する。「殺せすぎる」のだ。

まあしかして、爪を十全に振るえる状況は限られるとはいえ……破壊力×回転数。白兵戦において、これは概ね真理だ。
基礎トレーニングの徹底だけで今の長所はよく伸ばしたまま短所を補えるだろう。

惜しい、実に惜しい。本当は武術を修めてほしい。
私の修める流派では、指導しても基礎を学べる程度だろう。根本的な拳の性質が噛み合っていないのだ。

あとの課題は。

「あとの課題、は、実戦いごい、以外、だけである、と」

「想定より高評価だな」

うわ、いた。

スルリと視界に入ってきたのは、環境課課長、皇純香。
このひとは何故か、いつも足音が薄い。
足元はだいたいサンダル履きなのに。

「お疲れ様です、課長」

ひとが普通にしているだけなのにびっくりするのは失礼な気がするので、色々押し殺して声を出す。

「お疲れ様。ガメザか。軽く所感を聞かせてもらってもいいか?」

ちゅーるの封を切りつつ持ち出す。
人の目を気にせず嗜好品を摂れるのは正直羨ましいところがある。社会正義として分煙を叫ばれる昨今、煙草ではそうはいかない。
所感か。そうだな。

「戦闘任務に関してはけちの付けどころはありません。伸び盛りと言ってよいでしょう。
情に厚いのは美徳ですが、一方義憤に駆られて動く姿も見かけます。今後はそれを客観視できるようになると尚よいですね」

軽く、というならこんなところだろうか。
状況が立て込むと壊滅的になる報告書の話はしない。今はいいだろう。

寡黙な上司は指揮棒のように赤いチューブと尾を揺らして聞いている。

ちゅーるは私には少々味が濃い。酒と一緒なら嬉しい具合だが、片手に酒、片手にあのチューブとなると、コンビニの前で時折見かける壮年男性のようになる。なかなかインスタントにキツい。
一方猫科は物を食べているだけで愛らしい。ずるい話だ。

「……そうか。採用してからさして経っていないように感じていたがな。どうしても荒いところが目立つ」

「その通りです。まだまだ改善の余地はあります」

彼の真の強みは身体能力やトクイ式判定で測れないところにある。実際の状況に置かれた時、最適解を探り出す力を持つ。五感ならざる嗅覚といってもいい。

「ガメザさんはすでに与えられた業務を十全にこなす力を持つと考えます。有能な部下に仕事を任せないのは……そうですね、“勿体ない”かと」

「“怠慢”というわけか。厳しいな」

「言葉を選ばなければそうなります」

少々嫌味だっただろうか。しかしそこに翻す要素はない。と、思う。

「……そうか。いいだろう。お前の判断で教育終了申請を出しておいてくれ。今後の課題と一緒に読ませてもらう」

「ありがとうございます」

よし、報告書を清書できる人員が増える。

ふらりと現れた様子のまま、間食のゴミを屑籠に入れ、虚空をチラと眺めた後……一つ頷いて去っていった。
なにやら嬉しそうにも……見える。何か思うところでもあったのかもしれない。
多少だが肩の荷が降りたような気になる。報告書は未だ山積みなのに。

変なタイミングで入ってこられた。もうだいぶ机にかじりつきだ。一度煙草休憩でも入れよう。軽く伸びをすると日頃凝りっぱなしの肩がメキメキという。
ライター、煙草、シガーホルダーといつものように位置を確認しながら立ち上がり、
ふと。
いつのまにか、デスクの一角に茶封筒が置いてある。

わざわざ課長から赴いたのはこれか。他の用事はすべてついでだろう。さもありなんというところだ。

なぜ確信しているか。
この変哲のない封筒は、定期的に渡されるものであり、極めて厳重な窃視防止策がとられており、開けてみればいつも通り「異常なし。経過観察」の字が綴ってあり、その横に次回検診の日程と[再]の印が押してあることだろう。

簡素なものだ。

Blank’n’Drunk, without knives #1
Finished

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