《撒いて煙の錆油》

画像1

事務処理は苦手だ。周囲に人影が無いことを確認してからため息をつく。
長期に及ぶD案件。環境課を取り巻く緊張状態に耐えかね、人員は減る一方。当然だ、常人は”そのように”出来ていない。
そこそこの頑健さはあるものと自負しているが、やはり疲弊はする。立場がある以上、他の課員の前で茫とするわけにも行かない。

会計の言うところによれば、この急場で採用に回せる予算は。
「帳簿外のナンかでもないと無理ですねー、か」
眉を寄せた淵目の、間延びした声を思い出す。
少し空気を変えよう。甘い缶コーヒーでも啜って。

◆ ◆ ◆

人数の割に、課員に喫煙者は少ない。時代性と言ってしまえばそれだけだが、ありがたいことに喫煙所は人知れず息をつくには良条件だ。
……しかしながら、例外はあるようだ。剣呑な雰囲気の、見慣れない大男が暇そうにしている。
たわむベンチ。薄い体臭。……全身義体。

「お疲れ様です」
「お?あんたが狼森か。お疲れさん、オヤジに聞いてるぜ」

草薙警備保障を名乗る、袖ヶ浦准将の懐刀の一人。名は確か、“馬唐”。
D案件に係る調整のため、来庁するという話は聞いていたが。

「対応室長を務めています、狼森です。司令にはお世話になっています」
「空軍のメディックから街の管理職だろ?大変だな」
「性に合ってるとは言い難いですね」
「ましてやキ特だろ?公務員にもいろいろあらあなあ」

「お答えできません」

相手が内情を熟知していたとしてもだ。

「おう。それでいいよ、勝手に話すから。メンツにエビナっていたろ。あれ、レンジャーの同期でな」
「……お答えできません」
「そうか。忘れられてないだけでもありがてえよ。俺らは何ンも残せねえからな」
痕跡っつうの? 小さくぼやきながら二本目の煙草を取り出す。

「そうだ、お前さんも言われたことあるんじゃねえの、『軍人は体が資本だろよォ』だの『煙草吸う女はヤバいて』だの。全身義体のくせによ、嗅覚センサー切れっての」
「そういう人もいますよね」

独特の妙な節回し。似ている。

「あの野郎、乳のでかい女ばっか追っかけててよ。絶対コナかけられてたろ」
「変な人なんですね」
「そうだな。図体のわりにしょうもねえビビリでよ。ホントに変な野郎だったよな」
「……なんだかいい人そうですね」
「なンだあ?脈あったんじゃねーの、あいつ」

けけけ、とひとしきり笑うと……視線を落とす。義眼で判別のつかない視線を落とした。それがわかる。

「アホばっかしてて、しかしレンジャー最強の男すら死んだ」
「……」

みしり、と手元が鳴る。数本残った中身ごと、煙草の箱が握り潰されていた。

「よく生き延びたな」
「……よくわかりませんが、自分の力ではないのでは、ないですかね」
「そうかもしれんがな。“未曽有の事態”を単独自力で生き残れるヤツはそうそういねえよ」

運がいいのも実力だろ。言い聞かせるように一言もらした。
では運が悪ければ?いや、返す言葉はない。返せる言葉はない。

「うし、時間だ。じゃあな。……そっちの、あと慣れてんのは雲類鷲のせがれくれぇだろ。頼むぜ」
「はい、滞りなく……あ、一点よろしいですか?」
「おん?」
「……陸のレンジャーさんって、なんで皆ガサツなんですか?」
「へっ、一緒にすンな」

ひらひらと手を振ってドアの奥へ、階下へ去って――

おいなんだ、大丈夫か。や、なん、なんでもねっす。

おや、この匂いは。出入り口でかち合ったか。
大男と入れ替わるように現れたのはリアムだ――ひどく疲れた様子の。
「お疲れ様です」
「お、冴子さんじゃん。ラッキー」
「何がですか」
まあ、アンラッキーでないならいいか。

「いいのいいの……そういや、こっから軍用丸出しのオッサン出てきたけど、何あれ」
何あれと。何だろう。ああ。
「戦友の戦友です」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?