災害ユートピア

先日12月17日に放送された「やりすぎ都市伝説2021冬」の中で、Mr.都市伝説こと関暁夫が、例の預言者ぶった口調で首都直下型地震の可能性について語りつつ、こんなことを言っていた。

「極限状態に置かれた人間ていうのは、人じゃ無くなるからね」と。

つまり、略奪や暴力が溢れて、今までの日本とは全く違った世界になると。なるほど、番組名に「ウソかホントかわからない」と冠するのも伊達ではない。なぜなら、こういった一般的によく言われるホッブズ的な世界観は、今では真実ではないことがはっきりわかっているからだ。折しもレベッカ・ソルニット『災害ユートピア』を読んでいる最中だったために、彼がさらっと嘘をつく瞬間をはっきりと見極めることができた。

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都市伝説というなら、「人は極限状態に置かれると人では無くなる」という、まさにそれこそが都市伝説である。

もちろん一部には人でなしのような非道な行いをする者たちもいる。だがそれは、ほとんどが軍隊や警察といった、権力の側で秩序を守るはずの人間たちだ。彼らエリートたちは災害に際してパニックを起こし、罪のない一般市民を略奪者と決めつけ、弾圧したり殺害したりする。彼らの人々に対する誤った思い込みが二次災害を招くのだ。マスコミはマスコミで、レイプや殺人という、噂レベルでしかない話を堂々とメディアで垂れ流す。そして、後日になってそれは誤報であったとひっそり訂正するのだ。そして、その時点でそれに注目する者はほとんどいない。

災害現場で実際に起きるのは、普通の人々の助け合いの連鎖である。彼らは利他のの精神を発揮し、無償で近所の人たちや見知らぬ人々を助け、自発的に秩序を作り、即時的な対応で必要な救助を行う。それは本来救助を行うべきプロフェッショナルたちが遅々として動かず、手をこまねいているのとはまったく対照的である。

こうして災害現場は一種のパラダイスと化す。災害によって、ヒエラルキーや秩序といった檻に閉じ込められた日常にもたらされた裂け目が、人間の可能性、社会のもうひとつのあり方を垣間見せてくれるのだ。災害がエリートにとって脅威なのは、災害現場において権力が瞬間的に市井の人々に移ることによって、自分たちが無用の存在であることが明るみになってしまうことを彼らが恐れるからに他ならない。災害が図らずも、中央集権ではない分散型の意思決定システムも有効に働くことを証明してしまうのである。そしてそれは、民主主義が常に約束しながら、めったに人々に手渡してくれなかったものだ。

思えば、東日本大震災の時に日本で見られた、冷静で我慢強く、秩序立った行動をする被災者というのはまさにこれである(ああいった現象を見てもなお、極限状態に置かれた人間は人では無くなるなどとどうして言えるのだろうか?)。当時は「日本人は民度が高い」などと、ありがちな「日本スゲー」的な言説が幅をきかせていたが、なんのことはない、これは世界中の災害現場であまねく見られる現象だったのである。何も日本人だけが特別だったわけではない(そういった点においてもマスコミは多くの場合有害である)。

こうした考察は非常に興味深い。できれば多くの人に浸透してほしい考え方だが、今後もマスコミはこういったことはめったに言わないだろうし、人々の誤った見方は今後も根強く残ることだろう。

私にできることは、本を紹介することぐらいである。珠玉のノンフィクションである『災害ユートピア』、今こそ読んでみることをぜひともおすすめしたい。なんといっても「真理はわれらを自由にする」のだから。

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