山水郷チャンネル #10 ゲスト:加藤紗栄さん(岩手県西和賀町/ユキノチカラプロジェクトブランドマネージャー)[後編]
山水郷チャンネル第10回目は、加藤紗栄さん後編です。
Profile: 加藤紗栄 岩手県西和賀町/ユキノチカラプロジェクトブランドマネージャー
1977年東京生まれ。日本デザイン振興会にてグッドデザイン賞事務局や広報を担当ののち、国内地域振興事業を担当。東日本大震災被災地域の経済と産業の復興を応援する「復興支援デザインセンター」、中小企業とデザイナーのマッチング事業「東京ビジネスデザインアワード」、デザインを活用した全国の地域活動をリサーチし紹介する「地域×デザイン展」などの企画運営をおこなう。2015年から開始した地域ブランドづくり「ユキノチカラ」プロジェクトをきっかけに岩手県西和賀町を訪れ、仕事で通ううち沼にハマる。
2018年に振興会退職後、出産を経て、2019年4月に岩手県西和賀町へ移住。産休明けの今年5月よりユキノチカラプロジェクト事務局に復帰。
後編では、ユキノチカラプロジェクトの活動や商品のお話を具体的にお聞きしていきます。
西和賀町に移住するまで
私は東京生まれで、今まで東北と全然ご縁がなかったんですけども、今は(岩手県)西和賀町という山奥の町に住んでいます。
元々は女子美(女子美術大学)の工芸科で織をやっていまして、羊の毛刈りをして、それを紡いで織ったりするような牧歌的な生活をしていました。
日本デザイン振興会には大学卒業後にアルバイトでお仕事をさせていただくうちにのめり込んで、職員になったんですけれども、その後30歳くらいの時に働きながら社会人学生をしました。
勉強したいという欲が出てきて、これまでずっと走ってきたけれども、すごくインプットしたいという時がきて、法政大学のデザイン工学部の大学院に社会人学生として行かせてもらって。大島礼治先生の社会システムデザインの研究室で、社会の仕組みをデザインするとか、環境に配慮した仕組みをデザインするとか、そういう事にすごく興味を持ったのが、きっかけとしてもあるのかなと思います。
その時期と同時に、サステナブルデザインの考え方を広めた、東京造形大学にいらっしゃった益田文和先生が開かれていた「サステナブルデザイン国際会議」にも参加させていただきました。タイとかインドネシアへのトラベリングワークショップで、現地へ行って、東南アジアの農村で行われている村おこしや自然と共生した地域づくりを見て、すごく関心が高まった。そういう事も西和賀町に移住した事に繋がってるのかなと思っています。
東日本大震災の後、2011年から日本デザイン振興会で東北地方のデザインのリサーチを担当させてもらって、その流れで東北六県をまわることになったんですけど、そこで工業技術センターの方々と知り合ったり、デザイナーや職人さんと知り合ったりしながら、東北にどんどんハマっていくという事になりました。
「ユキノチカラプロジェクト」は2015年から開始したんですけど、私がここ西和賀町に来たのはその流れです。
東京から西和賀町に月に一回出張で行き来しながら仕事をしていたんですけれども、その中で西和賀の方とご縁ができ結婚する事になりまして、西和賀町に嫁に行くことになりました。
でも結婚だけでは来れなかったと思っていて、結婚と、仕事=ユキノチカラプロジェクトへの熱い思いがあった。それだけではなくて、プロジェクトを一緒にやっている仲間が西和賀町にいたから来れた。その三本の柱がひとつでも欠けたら西和賀町には来ていなかったんじゃないかなと思います。
ユキノチカラプロジェクトの始まり
西和賀町の地域ブランドを作ってきたんですけど、西和賀町は岩手と秋田の県境で、ものすごく豪雪地帯なんですね。さらに過疎で、“岩手県内で一番最初に消滅する町“と2014年の日本創生会議で名指しされてしまったんです。
私にはすごくショックで、ショックであると同時にちょっと燃えるというか。これは何とかしなきゃいけないという気持ちになり、地域の課題を知って解決したい、とすごく思いました。
本当に良い町で、良い温泉もたくさんありますし、山菜とかキノコも美味しい。酪農もやっているから牛乳も美味しい。郷土料理としてはどぶろく。あとは納豆汁とか、ビスケットに衣をつけて揚げるおやつ、ビス天って言うんですけど、それも昔は簡単におやつが調達できなかった雪国の暮らしならではの知恵です。
岩手で恥ずかしがりとか、控えめとかの事を“おしょす”って言うんですけど、皆さんアピールが下手なところがあるんですよね。だからすごく良いものを作っているんだけれども、あまり知られていない状況があって。
広く知ってもらって、食べてくだされば、すごく美味しいとわかるので、まず手に取ってもらう事がすごく重要だなと思って、この西和賀町の魅力づくりのデザインプロジェクトを立ち上げたっていうのが起点なんです。
町の事業者さんは家族経営や小規模の事業者さんが多いので、1社では販売会とか商談会に出ていけない。それでみんなで力を合わせて出ていこうと。元からあるものを生かして、売り方を変えるということを主にやってきました。
ユキノチカラプロジェクト事業紹介
前回お話しした(「信金プロジェクト」の)枠組みの図です。
地域の事業者と地域のデザイナーが魅力的な商品開発をし、その商品を通じて町のPRするという取り組みで、そのバックアップとしてビジネス面のサポートを信金中央金庫と地域の信用金庫、デザイン面でのサポートを地域の工業技術センターと日本デザイン振興会がやっていくという仕組みをまず考えて、それにまずやってみたいと最初に手を挙げてくださったのが西和賀町とその相談役である北上信金でした。
つまり、西和賀町と西和賀町事業者が商品開発をし、北上信金さんと岩手県工業技術センターさんがサポートする、という体制でスタートしました。
デザインチームがこの6名です。一番背が低いのが私で、後ろに立ってくださってるのがデザイナーの方々です。
皆さん盛岡に事務所を構えていらっしゃるんですけど、今回はパッケージデザインとブランド作りがありましたので、主にグラフィックデザインの方々を技術センターに紹介していただきました。この6名がチームになって、プロデュースや全体の監修、それぞれのデザインへのアドバイスもしあいながら、担当してもらいました。チームで、というのは皆さんと話し合って自然にそうなっていったんですが、元々地域での6名の繋がりがすごくあって、岩手県のデザイナーでイベントを立ち上げたりしていらっしゃったんですね。だからチームワークでやっていくのは自然に行われていました。
地元のデザイナーを起用した理由としては、ひとつは地域リサーチの時間を短縮できる。リサーチって何ヶ月も何年もかかったりすると思うんですけど、西和賀町の事をなんとなく知ってたり、遊びに行った事があるとか、既に私よりも知識が入ってらっしゃる方々だったので、すごく頼りにさせていただきました。
西和賀の事業者さんって、これまでデザイナーに会った事ない方ばかりだったんです。パッケージを変えたい時は印刷所にお願いして、印刷所の営業さん経由でデザインあがってきて、じゃあこれにするか、って決まっていく。デザイナーに会った事もないし話した事もない。
自分達の本当に作りたい商品を作っていくとか、未来の事業を考えるとか、会社を商品で伝えていく場合、デザイナーの力が入るとすごく強いんじゃないかなと。近い距離で西和賀町に来てくださるデザイナーの方と、その後も経営や商品に関して相談できる間柄になったら未来に繋がるなと思いました。
ユキノチカラプロジェクト商品紹介
具体的な商品の紹介をしていきたいと思います。これは新規商品だったんですけども、ユキノチカラを代表するような商品になっている、「どぶろく」です。
地域に潜在している資源の見える化もこのプロジェクトでやってきています。「どぶろく特区」を西和賀町が取ったたばかりで、これから商品化していこう、っていう時にユキノチカラの看板商品にして売り出していきました。
次の“南部かしわ“もそうで、西和賀町でつくる地鶏を「銀雪」というブランド化して。かしわでもいろんな地域でつくっているんですけど、西和賀町の雪解け水を飲んで広い大地でストレスなく育った南部かしわ、という事で雪の名前をつけました。
次の商品はリデザインなんですけれども(左上:リニューアル前)。こういう道の駅によくあるようなものを少しずつ、西和賀町の特徴を出していくように変えていき、美味しそうと自然に手に取りたくなるような商品に変えていきました。
次もリニューアル商品です。元々和菓子屋さんで、ご主人が洋菓子も得意で売り出しているんです。掛け紙も銀色で和菓子な感じだったのを、洋菓子を押し出していこうと。このフィナンシェも一番の人気商品です。
西和賀町はすごく美味しいお菓子屋さんがたくさんあって。温泉街だったので、お土産物需要だったり、旅館で食べていただくお菓子とか、老舗のお菓子屋さんが何軒が残っているんですよね。
次は“ほろりん”です。リニューアル前はカゴに入れたクッキーだったんですけど、包装材にかかる費用も高かったので、ユキノチカラというブランドで統一する時に、商品を雪玉に見立てて、商品の大きさ自体も小粒にして食べやすくしたり。そういう買いやすさ、食べやすさも一緒にデザイナーと提案して作っていきました。
こちらはわらび餅の中にクリームが入っているような商品で、リニューアル前の商品には「雪ほたる」って書いてあるんですけれど、冷凍されているのを解凍して食べる商品なんです。元々は12個とか20個くらいの入箱。それを個食に対応するという事で、3個入りで味を分けました。
ネーミングも、「雪ほたる」という商品が他社で商標を取得されていたので、「雪のようせい」にリニューアルしました。
「ぽんせん」はお米を熱で爆ぜたお煎餅なんですけど、リニューアル前はPPの袋にシールが貼ってあるようなもの。ラベルのデザインも、味が違うだけなのにデザインがバラバラだったので、味で色を変えて表現していたり、湿気やすい商品なので、パッケージをジップタイプにして保存できるようにしました。
西和賀町の観光や文化の魅力も伝えていく
PRにも力を入れていて、「ユキノチカラ新聞」を毎年作って、商品だけではなくて西和賀町の観光の魅力も伝えていく、という事をやってきました。
この新聞は、参加していただいているデザイナーさんの中で、女性の木村さんに担当していただいています。木村さんは盛岡でミニコミ紙の「てくり」という15年続いている、地域の雑誌としてはお手本のような雑誌を作ってらっしゃる方で、それの西和賀町バージョンの新聞を作ってもらいました。
女性ばかりの編集部なんですけど、すごく丁寧に取材して記事も面白可愛く作っていただいています。町内にも全戸配布しているんですけど、まず地域の方に知ってもらう、内側のPRもしていきました。
販売の仕方もデザイナーの皆さんと一緒に考えていって、催事などで販売させていただく際のディスプレイもブランドのイメージを表現したものにしてきました。
次がユキノチカラツアー。商品や新聞だけでなく、ツアーを開催する事でもプロモーションに繋げようと。すごい豪雪地だけど、首都圏や県外の皆さんに豪雪を味わってもらって、まさに雪の力を体験してもらおうというツアーを2年間やりました。
盛岡駅までは新幹線で来てもらって、盛岡からはバスで西和賀町に入る。行く道中どんどん山深い所に入っていく感じが現実からファンタジーの世界に入っていくみたいな感じがあって。
あけび蔓のカゴを作っているおばあちゃん達のところに行って体験してもらったり、おばあちゃん達が持ってくる漬物を味見させてもらったり。
雪道を「かんじき」で歩く体験。
氷瀑と言って滝が凍ってる状態なんですけど、現地をよく知っている自然ガイドの方に、秘密の花園的な知られざる名所を見せていただきました。
2年目は「雪国の発酵」というテーマで、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんにゲストで来ていただいて、小倉さんと一緒に発酵の現場をリサーチしていく、ワークショップツアーにしました。
これは雪納豆をみんなで作ろうとしているところ。藁苞に蒸した豆を入れて、雪室の中に納豆を入れていくんですね。西和賀町で昔作っていた方法を復活させた農家さんで体験させてもらいました。
昔は家の中よりも雪室の方が暖かかったという事で、雪室の中にお湯が入ったヤカンを一緒に入れて、3日間くらいゆっくり発酵させて納豆を作っていたそうです。
これは郷土料理の納豆汁をみんなで作って食べる体験。教えてくださっているのは地域のおばあちゃん達で、自分達のところで作った煮物とかそういうものも一緒に食べさせてくれたり。
大根の一本漬けという西和賀町の名物があるんですけど、樽に塩と大根だけで発酵させて漬ける。作り方は同じでもご家庭ごとに味が違うんですよね。だから家々のおばあちゃん達が持ち寄ってくれた大根漬けの食べ比べをしたりして。そういうスタディツアーもやったりしました。
西和賀町への恋は継続中
まず西和賀町の美味しいものを食べてもらって、ユキノチカラ新聞を読んで、西和賀町に行きたいなって思ってもらう。そして、西和賀町に来てもらうという流れにしたいと思って計画してきました。ツアーは定員を毎年オーバーする申し込みが来まして、すごく反響は大きかったと思います。
地域の人は、最初は地域ブランドってなんだ、デザインプロジェクトってなんだって思っていたと思うんですけど、そうやって自分達が参加したり、県外からいろんな人が来て交流していく事でだんだん理解も深まってきたのかなと思います。
ユキノチカラのおかげで私の人生が180度変わった気がしていて。ずっと東京にいるものだと思っていましたから、まさか自分が岩手に行くとは全く思っていませんでしたし、ユキノチカラを通じていろんな人と関わったり、地域の事を知っていく事で価値観が全く変わっちゃったんですよね。
それまでは東京至上主義だったんですけど、その考えがガラガラと崩れましたね。東京でもらっていたお金、使っていたお金とここでのお金は違うんですけど、心としてはものすごく豊かだなあと。東京では地下鉄で六本木に通ってたんですけど、今は車で本当に毎日びっくりするような美しい景色に出会えるんですよ。そういう事がすごく豊か、贅沢だなあと思います。西和賀町への恋は継続中ですね。
ユキノチカラプロジェクトはまだ課題はたくさんあって、今も町からの支援をもらって活動しているんですけど、ユキノチカラとしてのオリジナル商品とか価値のあるサービスをつくって販売していくとか、自立して継続していくプロジェクトにしていかなくてはと、それが今一番の課題です。
前編と後編に渡り、西和賀町への移住までのお話、ユキノチカラプロジェクトの実際の活動と商品についてじっくりお聞きしました。
プロジェクトのお話だけではなく、恋をした西和賀町にかける想いもうかがえました。
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