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勉強のゲーム化

 昨日の記事で、親が旅行に行った話をした(メインではないけど)。

 我が家では留守番の時に、親がいないと寂しい、または何かやらかす前にという理由から子供がゲームをやりまくってよいというルールがある。前にも話したが、ふだんゲームは 1 日 30 分までしか許可されていなかったから、僕が小学生の時はいつも出来ないぶん存分にゲームをしていた。

 今、僕は子供と大人の間の存在だが、下に弟がいる。ちょうどあいつを同じくらいの年齢のときは常にゲームのことしか頭になくて、親が宿泊を伴う旅行に行っているときはなんと平日にオール(徹夜)して、学校の授業でかくんかくんと頭をロックのように振ってしまったことがある。それから少しは休む(寝る!)ようになり、成長してゲームの時間制限がなくなり、今に至る。

 勉強をゲーム化すれば皆成績が上がるのではないかと、大人は色々と工夫しているらしい。妹の英語の週末課題はオンラインで監視されることになったと聞いた。何分かけてどの時間にやったかがすぐ分かる仕組みなので、いつも日曜日(今回は月曜日)の夜にしている人はやっていることがバレてしまい、恥ずかしくなるに違いない。

 僕は、いくら勉強をゲーム化しても成績はあまり伸びないと思う。ゲームはしていて楽しいが、上達しようと思うかどうかは人それぞれだからだ。プレイそのものが楽しい「エンジョイ勢」、難問に挑戦する「ガチ勢」、そしてゲームをやめる、つまり登校しない人、などに分かれてくる。

 ゲームをやめるのは、ストーリー(教科書)が面白くなかったり、アイテム回収イベント(暗記)が面倒だからだ。ゲームを義務化させるのは何か違う気もするが、どうしてもやらせなければならない時には、その人を引き寄せる何かが必要だ。音楽、それともグラフィックだろうか。

 例えば、かわいい絵が好きだから、それ関連の広告を見かけるとつい立ち止まってしまう人がいたとする。かわいい絵でゲームを飾っても、一部の人はそれを公共の場には相応しくないと反論することもある。どうすればよいか。

 最近巷で話題の「テトリス99」にはスキンが実装されている。スキン(skin)は「肌」の意味。人それぞれに合わせて、適切なものをフィットさせるものだ。見た目も変わり、心を入れ替えて同じゲームをプレイすることが出来る機能だ。

 だから、勉強をさせるには、特に苦手な人のケアを大切に行わなければならない。授業のペースが遅れるからといってそのまま進んでいると、その子の息の根を止めることとなってしまう。これが民主主義かと思うと冷や汗ものだが、幸い多くの学校で TT ――複数人の先生が授業に来て指導を行う――が行われている。そうすれば、先生の一人は分からなそうにしている子たちを巡回して手助けし、もうひとりは全体に授業をすればよいのではないか。

 だが、授業をデジタル化するのは現状良くないと思う。まだ未熟な AI が、きめ細やかな指導を行えるとは思えないし、これこそプロの目を活かす所だと思うからだ。先生も楽をしたいのは分かるが、ツケは誰に回ってくるのやら。