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自分の人生の主人公になれない

やぁみんな、自分の人生生きてる??

私はなんやかんや大病や大怪我などがなく、身体への不調によって生命を脅かされることがない人生をこれまで送っている。充分ラッキーな方だ。やっぴー。

だが自分の人生を振り返ったときに度々思うことがある。

『俺、主人公じゃなくね???』

学生時代クラスの人気者になった記憶もない。何か突出した才能があったわけでもない。決して頭も良いわけでもないし運動神経はない。容姿が特別優れていることもなければ天性の歌声など持ち合わせてもいない。

天は二物を与えずという言葉があるが、自分には一物もないような気がしてならないのだ。大〜きな〜イチモツを〜ください〜!!

正直人生2周目だったらもうちょいうまく立ち回れると思うのだが、初見にはなかなか辛いところがあるのだ。ベリーハードとまではいかないとも思うが、それなりな難易度。初見のバイオハザードのノーマル一周目くらい。あ、でもナンバリングによるか…。バイオ5にしときます。

ゲームの例えをしてしまうとゲームには必ず主人公がいるのでややこしくなってしまった。まぁ要するにこれといった才能がなく、自分の人生で自分にスポットライトを当てるタイミングがま〜見当たらないのだ。

さらに私がこういう思考になってしまうのは、過去の経験も影響している。

中学生の時、仲の良かった友人Tはとても絵が上手だった。何かの話の流れでふと私はその友人に言った。

「お前は絵が上手くて羨ましいな〜」

するとTはすぐにこう返してきた。

「何言ってんだ!小学生のとき君が絵とか漫画とか見せてきて、それで楽しそうにしてるのが羨ましくて練習したんだぞ!?」

唖然とした。私は確かに小学生の時よく絵や漫画を描いていた。ただそれは好きな漫画の模写だったり、ギャグ漫画好きだったため、ただ勢いだけの4コマ漫画とかを描いたりしてケタケタ笑っていただけだ。もちろん絵はめちゃくちゃ下手くそだった。

自分が人に憧れられるような存在だと思っていなかった私は、大きく動揺したのを今でも鮮明に覚えている。

さらに時は進み、つい最近のことだ。ミュージシャンを志す友人Oの家に遊びに行ったときのこと。

Oは高校のときから付き合いのある友人なのだが、とにかく歌が上手いやつだった。独特な感性を持ち、色々なことに興味を持つ、よく言えば多趣味、悪く言えば飽きっぽいやつだった。

話の流れで、ふとこんなことをOに言われた。

「俺は昔お前に"一緒にカラオケに行きたくない"って言われて、それで歌を猛練習したんだよな〜」

愕然とした。当時私が言った言葉と全く意味合いが変わっていた。私は、Oの歌が上手いので、一緒にカラオケに行くと恥ずかしくなるというか負けた気になるみたいなことを言ったと記憶している。要するに歌の上手いやつが羨ましかっただけだ。

Oにはそのように改めて説明した。認識の相違があったのだろう。ただ事実として残ったのは、歌の技術をより高めたOと何も変わってない私という現実だった。

こういった事例は他にもまだまだある。つまり私は、知らず知らずのうちに他人に何かしらの影響を与えていたのだ。そしてことごとく皆、私より成長していた。

そして取り残された私はというと、仕事も続かず、家庭も上手く築くことができず、今この文章をダラダラと打ち込んでいる。追いかける夢も、守るべき存在も特にない。

つまり私は、親しい人間を知らない間に成長させ、その後自分は、その人間の人生からフェードアウトしていくだけの存在ではないかと考えてしまうようになった。

なんだこれは!!私はポケモンを進化させるための石のような存在になってしまっている!!

自分の人生を振り返ったとき、ふとそのように思った。私を成長させてくれたり、見守ってくれたりする存在とは、まだまだ出会ってないらしい。

私が自分の人生の主人公としてスポットライトを浴びるには、まだまだ道のりが遠いようだ。

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