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合理的に生きることは、本当に豊かさにつながるのか?
久しぶりにキャバクラの「さしすせそ」の話を聞いた。
さすが~、
知らなかった、
すごい、
センスいいですね、
そうなんだ!
キャバクラでキャストの女性は男性の自慢話を聞きながら「さしすせそ」で褒める。そうすると男性は気持ちよくお金を落とす。
なぜ人は客観視しないのだろう。
主観 自慢話をすると気持ちいい。
客観 自慢話をしている人は軽蔑することはあっても好きにはならない。
そんな事はちょっと考えたらわかるし、何回も気をつけようとしているのに
はっと気づくと、上手に自慢話を組み込んで話をして褒められて、鼻の穴が緩む自分に気づく。
「快の罠」とでも名付けてみよう。
客観視という思考を深めずに、気持ちよく(快)やっていると、まわりから嫌われたり、見限られたり。
尊敬や感謝をもらうこともある。でもそれはいざという時に真っ先にいなくなる人のうすっぺらい表面的な言葉である。
「快の罠」は、人間の成長に伴って巧妙になっていく。
各段階を象徴する快の罠を、考えてみると。
1,自慢したい
2,教えたい(2年目社員は1年目社員を見て目を輝かせる)
3,合理的に生きたい(ex金儲け、正解)
どれも、そうしていることで本人は気持ち良い。だけどまわりから見てそれで信頼や尊敬を集めることは難しい。集まってくるのは薄っぺらい、偽の共感と尊敬だけだと思うのです。
「合理的に生きて、教えて、自慢する。」
きっと、フジテレビの偉い人もこうやって生きてきた。自慢しないふりはしたかもしれないけど。
じゃあどうしたらいいのか?
これがとっても難しい気がする。
自慢しないでどうしたら良い?気持ちいいのに。
教えないでどうしたら良い?優越感に浸れるのに。
合理的じゃなきゃどう生きる?安心できるのに。
気持ちの良い自慢を会社で抑圧するから、キャバクラに行って開放してお金を払う。
我慢してると反作用が出ちゃうからおすすめできない。
つまり、どうしていいか分からないw
先日バリ、ウブドのアースカンパニーという法人を経営しているご夫妻と、その作られている世界観に触れてきた。
その中でヒントを感じたので書いてみます。
アースカンパニーという社名から想像できるように、ご夫妻は地球環境の未来にポジティブな変化を及ぼす具体的な活動を様々に行っている。
「学生時代にサモアに行って、温暖化によって海面上昇が続き先進国のツケを払う現地の人に対する深い同情」という原体験から、様々なキャリアを経て今に至る。
ご夫妻ふたりとも、自然と一体化する無人島暮らしの体験が今までで一番楽しかった。自然と調和する人間としての生き方。
みたいな話を嬉々とお話されていた。
バリの水を飲んだせいか、帰国後1週間お腹をくだした僕は、彼らの生活をうらやましいとか、深い共感はなかった。無人島生活なんて御免であるw
でも、「豊かだな」と思った。
みずからの人生に誇りと満足を持っている感じがひしひしと伝わってくる。
これってなんでだろうと、御本人の話を聞きながら考えていた。
あー合理的でないからか。
合理的でないから、教えることはできない。体験を伝える事はできても、合理的な正解がないから教えるということが成り立たない。
合理的でないから、自慢することもできない。
自慢は人との比較の話だけど、合理性がなければ人と比較することもできない。
違う快で生きている。
彼らに共通しているのは「大切にしたいこと」だと思った。
「私達の子孫に残す地球環境」
これを本当に大切に生きているだけ。その為に自分たちがやるべき事が、自覚できている。
合理的でないけど、自分の体感覚で一番大切だと感じる事に自分を従わせて生きる。
自分にとっていちばん大切な事に自分の命を使うことができているという「快」
豊かに生きるということは、合理性から離れること。
そして、合理的ではないけど自分にとって大切なことに気づくことかもしれない。
ただ、きっとそれが1番難しい。怖い事なんだと思う。
AIで合理性の中に人間の存在価値を見出すことが難しい今、豊かな未来に一筋の光を感じた話でした。
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