わかりあえる?
ネット大炎上、シェアハウス盗難、相模原事件…「つながり」とは何か
↑↑この記事が面白かったので載せてみる。
『めぞん刻の湯』著者小野 美由紀さんの記事。
この記事を読んでいて、市村、杉田教授共著の『社会の喪失』や、どこか伊藤計劃の『ハーモニー』を彷彿とさせる。
「お互い分かり合うことができる」、とそもそも思うことが傲慢で人を傷つけ、また自分も傷つくのかもしれない。
「分かり合うことができる」のではなく、「そもそもお互いは全ては分かり合えない。だから、『どこまで分かり合うことができるのか』理解していこう」、という、「そもそもわからない」という所から理解しようと向かうそのプロセスこそが大切なのではないでしょうか。 心は本当に複雑ですね。
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