世代によって価値観は変わる。けれど、お互いが歩み寄ろうとする姿勢は変わって欲しくない。
本ブログは2019年7月16日に公開した記事のバックナンバーです。
こんにちは!新卒一年目の中原です。
今は仮配属として編集部に所属しています。
編集部に所属した理由の1つは文章が好きなこと。
自分は毎日欠かさず日報を書いていますが、
その文章"量"は間違いなくGCで一番多いです笑。(質が伴っているかはさておき)
さて、これまで色んな日報を書いてきましたが、
GCの中で一番反響の大きかった文章をそのまま公開します。
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2019/05/30
【君、臣を使うに礼を以てし、臣、君を事うるに忠を以てす】
昔のGCの記事を見て考えたこと。
今のGCの「やさしさ」ある文化は、僕らゆとり世代の価値観に合わせて
つくってくださったものである。
上の世代は、厳しい環境のほうが慣れていて居心地がよく仕事もしやすいはずなのに、
わざわざその価値観を捨ててこちらへ歩み寄ってくださった。
自分たちは、先輩方のことを考えて、
上の世代の価値観に歩み寄ろうとしなくていいのだろうか。
論語に
「君、臣を使うに礼を以てし、臣、君を事うるに忠を以てす」
という一文がある。
主君が臣下を使うには礼によるべきで、臣下が主君に仕えるには忠(誠実)によるべきという意味だ。
どんなに時代が変わっても、社会を健全に回すためには変えてはいけない美徳がある。
「思いやり」や「誠意」は、その類だと確信している。
では、その基本的な普遍の美徳の観点から考えた時、自分ら後輩世代は先輩方の価値観に歩み寄ろうとする姿勢はなくてもいいのだろうか。
そもそも、「やさしさ」ってなんだろう。
「やさしさ」の反対は「きびしさ」だ。
上の世代は「きびしさ」がありがたいと思っていた。
下の世代は「やさしさ」にありがたいと思いがち。
なにやら「やさしさ」や「きびしさ」に込められている何か別の精神の有無が大切な気がする。
やさしさやきびしさは手段であり、結果である。
「愛」から端を発して、相手のことを「思いやった」結果、
結果的に現れたものに「やさしい」とか「きびしい」とか、そういう名前がつけられているだけ。
だから、やさしさときびしさは表裏一体。
真正なそれらは同じコインの裏表である。
やさしさは「自由」「平等」「友愛」「感情」を育て
きびしさは「秩序」「格差」「競争」「合理」を育てる。
両方あって「活力」「公正」「節度」「良識」とバランスの取れた美徳を見出す。
人によって得意な教え方があるし、人によって適した教わり方がある。
組織にとって適切な配分があるし、時代によって必要な資質は変わる。
だからこそ、ただ「価値観は変わる」という価値観の元、
自分たちの価値観だけで仕事をするのではなく、先輩方の価値観に敬意を払い、歩み寄ろうとしたい。
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