「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」7
あけましておめでとうございます!(2ヶ月遅れて失礼します…)
2024年。
"興味ある事や好きな事に正直になって積極的に行動する"年にしたいです。
今回は、リハビリテーション病院(K病院とします)への転院前後の出来事について綴ります。
K病院への転院日。
長く担当してくださった主治医から受験勉強のアドバイスを貰った。
病気に対しても、受験に対しても、
いつでも前向きで、当時の私に的確な言葉を投げかけてくれた。
この病気になったことで失われたものは沢山あるけれど、
この主治医に出会えたことは、
患者としても、一人の人間としても、
私の中で大きいものであった。
K病院には介護タクシーで連れていってもらった。
6人部屋の窓側のベットに運ばれる。
太陽の光がまぶしかった。
私を担当することになったPT・OTの方々が傍にやってきた。
「.........…卒業式に出たいです。」
今まで抑えていた涙が突然溢れ出した。
卒業式に出たいという気持ちが強くあった。
しかし、出れないんじゃないかとも思っていた。分かっていた。
出たいけど、たぶん、出られない。
葛藤。
いや、出られるわけがないのである、
あまりにも現実的ではない。
手も脚も動かせず、車いすにやっと乗っていられるようになったばかり。
バルーンカテーテルもつけていた。
約2か月後の卒業式までに完治など難しすぎる。
その後の昼食時間も泣きながら過ごした。
車いすに乗って、スプーンを右手に持ち、何の役にも立たない左手をとりあえず皿に寄せて.........…
惨めだった。惨めで仕方がなかった。
つい2ヵ月ほど前まで学校に通っていたのである。
毎日毎日受験勉強に追われて、
なかなか伸びない成績に悩まされながらも、
あと少しだからと気合を入れて頑張っていたつもりだった。
一瞬にして全てが変わってしまった。
浪人する覚悟がつき、ちょっとスッキリしたなと思った。
でも、、、、、、やっぱり胸が苦しかった。
夜になっては泣いていた気がする。
久しぶりの更新となってしまいました。
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。
短めだったな…(笑)
1月から3月にかけてのこと、正直あまり覚えていないです。
あまりに立て続けに色々なことが起こりすぎて。
脳も忘れたがっていたのかな…?(笑)
ということで!
次回は、覚えている出来事を箇条書きで綴りたいと思います。
沢山泣いたけど、その分前向きに過ごせるようになったのも
このK病院での出来事。
一番思い入れのある約4ヵ月の入院期間。
つらつら書くのが少し楽しみです。
それでは。