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「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」5

お久しぶりです。2ヵ月ぶりの更新になります。
大学一年生、後期が始まりました!
慣れもあってか、前期より大学を楽しめています。
あと、自分の身体状況を理由に臆するのではなく、少しずつ踏み出せるようになってきました。
もともと挑戦することが好きなので、"できなくなってしまったこと"に
とてもストレスを感じていましたが(もちろん今もありますが……)、
ちょっぴり軽減された気がします。
寒さに敏感な私の身体、よりトイレが近くになったり、より脚に痙性が入りやすくなったりで、まあストレスを感じております。(苦笑)
今年の冬もまた、慣れるまで辛抱強くかな~。
近況報告(?)はこの辺までにしておきます。


通常病棟に移動することになったのは、
ICUに入院してから2週間程経った頃だったと思う。
とにかく騒々しい部屋だったため、騒音から脱出できる解放感を感じたのを覚えている。
とはいえ、免疫グロブリン療法後も右手が少し動くようになったくらいで、当たり前かもしれないが、大きな変化は得られなかった。
相変わらず紙パンツに導尿だし、ご飯を食べるのも歯を磨くのも全て看護師さんにやってもらっていた
携帯をテーブルに置き、ギリ操作できるレベルであった気がする。
そのような状態でも、
「あと数週間で退院できるかな。」
「英語の勉強しないとな。」「世界史やらないとまずいな。」
受験のことが頭をよぎっていた。
ギラン・バレー症候群について、自分自身で携帯で調べていたし、軽度の場合のことも、重度の場合のことも調べていた。
どこか希望があったのだろう。
私の中で「浪人する」という手段は一切存在していなかった。
そもそも、”病気・入院を理由に浪人になる”という過程を全くと言っていいほど考えていなかった。手段とかの話ではない。
……いや、考えようとしなかっただけかもしれないが...........…。

しかし、通常病棟に移動後、研修医さんのお話で私の思考が変わり始める。
転院先のお話をされたのだ。
もう12月、入試本番まで残り1~2ヶ月。
まだ続くの...........…?
あ、無理かもしれない、浪人?私は浪人生になるのか?

何事もスムーズに進むことを良かれとしていた視野の狭い当時の私にとって、浪人することは一番避けたいことであり、浪人はダサいとまで思っていた。そんな固定観念ガチガチの私は、身体的ストレスだけでなく、精神的にもよりストレスを覚えた。

にも関わらず、毎日30分でもと、英語をやってみたり、世界史をやってみたりと勉強を続けていた。
入試を受ける方向で、母にも担任にも主治医にも進めてもらっていた。
今思えば、計り知れない程に虚しい出来事である。
受験をできる可能性がほぼない中で、母にはたくさん動いてもらっていた。
私は、自分で自分を洗脳していたのかもしれない。
受験にとらわれすぎていた。
もちろんこれらのことは、”今だからこそ”気づけることであるが..........


本回もココまで読んでいただき、ありがとうございます。
受験する方向で事を進めてくれた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
今では申し訳なさでいっぱいですが…。(特に母)
今日は11/17ですね。
3年前の同じくらいの時期に、ギラン・バレー症候群を発症しました。
毎年考えさせられますね、この時期は。
….........…あ、そうだ、浪人に対して謎の強烈な拒否反応を示していた18歳の私にこう言いたいです。
結局2年も浪人したよー!でも浪人して良かったー!
遠回りもいいものだよー!って。
ギラン・バレー症候群体験談だけじゃなくて、2浪体験談(宅浪)も需要あるのかな?いや、需要の問題じゃないか。書きたいか書きたくないかか。
病気のことに触れつつ浪人体験談を書くのもありかもしれない。
たまーーーーーにの番外編感覚で。(笑)


次回は、12月中の出来事について綴ります。

それでは。







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