卒業は失恋に近い
卒業は失恋に近いのではないかと思った。だとしたら、あんなにそばにいたのにと、あとで絶対苦しむ。失恋に近いのだとしたら、悲しみは途方も無い。
(いつのまにか、ここにいる)
卒業は失恋に近い。
これはファンにとってのアイドルの卒業を表す言葉ではない。
同じグループに所属するアイドルにとっての、仲間の卒業を表す言葉だ。
彼女たちは泣く。
最愛の仲間が卒業する度に。
その中でも、卒業するメンバーとより関係の深かった者は、ファンからみても胸が張り裂けそうなほど、悲痛な表情をする。
白石麻衣は、橋本奈々未の卒業に際し、「橋本奈々未という一人の女の子に出会えたこと、それは人生最高の自慢です。」と言葉を贈った。
桜井玲香は、若月佑美の卒業コンサート最後の曲で声も出せないほど放心状態。それに笑う若月。
そして今年の2月、西野七瀬が卒業。
「卒業は受け止めきれてない。」
と、たかせまるの愛称で親しまれた西野の相方、高山一実は語った。
ずっと一緒にいるのだと自分は思っていたのに、相手はそう思っていなかった。
それがどれほど悲しいだろうか。
私達一般人にも、卒業はある。
学校という共通のコミュニティで、2〜6年の間同じ顔ぶれの仲間と過ごし、そして別れる。
この卒業制度は決まりきったもので、そこに「卒業を受け止めきれない」という、どこか置いていかれたような気持ちは存在しない。
アイドルには通常、決められた卒業目安は無い。だからだろうか。
いつの間にか一緒にいて、いつの間にかそれが当たり前の日常になる。
卒業が、一緒にいることが当たり前の日常を、非日常に変える選択となってしまう。
ドキュメンタリー作中で、「卒業は失恋に近い」という言葉を聞いた瞬間、モーニング娘。のまーどぅーの関係性が思い浮かんだ。
(モーニング娘。10期の佐藤優樹と工藤遥のコンビ)
工藤遥は、2017年を最後にモーニング娘。を卒業した。
佐藤: 一緒に卒業するんじゃなかったの?嘘つき!
工藤:そうそう、まーちゃんが卒業するまでは自分が先に卒業できないって、3〜4年前に思っていて、実際に言ったことがあったんだよね。
でも、このどぅーがいなくなるということは一生引きずっていくと思う。
もうね、別れるくらいなら最初から同じグループのメンバーじゃなくて、どぅーがお姉ちゃんだったらよかったのにって思う。双子として生まれたかったです。まーにはどぅーが必要なんですけど、そのことをどぅーには今まで言えなかった。(Top yell/佐藤)
相方の卒業、それは、アイドルに「一生引きずる」と言わせるほどの影響があった。
別れるくらいなら、最初から同じグループじゃなくて〜
この言葉は、失恋に近いのだとしたら、あんなにそばにいたのにと絶対に苦しむ。という言葉と重なる。
メンバーが卒業する度に、卒業する人よりも焦燥し見送る相方。その人たちは、何を思って送り出してるのだろうかと何度も考えた。
卒業すると言えど、会おうと思えば会えるだろうしな、なんて考えたこともあった。
けれど今なら、そんな簡単な話でないとわかる。
残される者は、相方が自分とその人とを繋ぐ居場所から去る決断をしたことを知らされるのだ。
相方のその決断を、笑顔で見送らねばならないのだ。
過去を振り返っても寂しい、未来を考えても寂しい。(いつのまにか、ここにいる/高山)
アイドルの卒業は、単純な別れではない。
所属する場所が変わるという、外見的なことではない。
アイドルの卒業。
残された者は、どんな気持ちを抱え、その決断を見送るのだろうか。
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