【古語会話】あさまし・いみじ etc.|生きるんだ、真根子 !!!
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▶▶▶ 🔶 Part2 🔶 飛び入り出演する役を選ぶ
上の物語について、自分の感想に一番近いと思うものを選びましょう。そこから配役を決めます。
A 弟くん、肉親裏切ったらうまくはいかんだろ → 甘美内宿禰(弟)の配下
B 応神天皇、いきなり弟くんの言うこと信じるのはどうなの → 天皇の側近
C 筑紫人の真根子さんが、体張らなくても → 武内宿禰(兄)の配下
D こういう話って、そのままうのみには出来ないよね → 編者の助手
▶▶▶ 🔶 Part3 🔶 ダイアログ
Part2 で選んだ記号に進み、「古語で」登場人物と会話してみましょう。(D は、「登場」人物ではないですけど ^_^; )
A 弟くんの配下編
予想に反してお兄ちゃんが生還し、最後は盟神探湯という不合理な判定で干されてしまった弟くん。捨て身の真根子さんの登場は想定外だったわけで、本人なりには勝算があったのでしょう。
まあでも、手は大ヤケドするわ、朝廷から追い出されるわ、さんざんなことになる前に、腹心の配下として彼を止めましょう。
☆ 現代語 Ver. ☆
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★ 古語 Ver. ★
弟くんも武内さんも、数世代前は天皇という高貴なお人。そういう人の場合、乳母(めのと)つながりで、乳母の子が兄弟同然に育ってそのまま配下になる、というのがよくあるパターンです。なので、配下だけど無二の親友でもある、という役柄にしました。
では、会話を活字で振り返りましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
弟くん:僕の兄は、王位を狙って、朝廷を滅ぼそうとしているんだ!
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「我が兄、王位を心にかけ、公を傾け奉らんとす」
あなた:情けねぇヤツだなー。
間違っても陛下に、んなこと言うんじゃねぇぞ。
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「いとあさましきことなり。然ること、ゆめゆめ奏し給ふな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
💡 ポイント 1|高貴な人は、親しい間柄でも敬語を使う
養育係である乳母も、そこそこの身分の人でしょうから、二人の会話はそれなりにお育ちのよい方々のそれになるかと。現代語 Ver. でかなりくだけた間柄でも、古文の当人同士の会話では、ふんだんに敬語表現が使われます。なので、「~奏すな」ではなく、「~奏し給ふな」としています。
💡 ポイント 2|あさまし
現代語の「浅ましい」は、ネガティブな意味で、かつ、卑賎なというイメージもつきまとう、かなり限定的な使われ方をします。
しかし、古語の「あさまし」は「驚くほど意外だ」という、程度の甚だしさが核にあり、その程度だけを示すニュートラルな使い方、そして、「驚くほど意外に良い」「驚くほど意外にひどい」と良し悪しの判断が加わる使い方、の三通りがあります。
ここは、「お前がそんなことを言い出すなんて、驚くほど意外にひどい」というネガティブな方向で、こんな場合には「情けない」という現代語とぴったりです。
💡 ポイント 3|「奏す」相手は、天皇(かつて天皇だった人含む)
「奏す」は「言ふ」の謙譲語。つまり、「言う」相手が敬うべき人のときに使うわけですが、それが天皇(かつて天皇の人も含む)に限定される特別なもの。絶対敬語というやつです。
そのため、「ゆめゆめ奏し給ふな」とだけで「誰に」とは言わなくても、「天皇に」なんだということがわかります。
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B 応神天皇の側近編
お話では、弟くんの言うことを真に受けてしまった応神天皇を諫(いさ)める人がいませんでした。ここはひとつ、
「諫言(かんげん)= 目上の人に、その過ちについて意見すること」
ができる有能な臣下として、天皇に「公平な」判断を促しましょう。
☆ 現代語 Ver. ☆
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★ 古語 Ver. ★
一方の意見だけを聞いて判断するのは、公平とはいえません。まずは「生きた」武内さんを連れて帰り、両者の言い分を聞こうということです。
では、会話を活字で振り返りましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
応神天皇:すぐさま、武内を討て!
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「武内をば、速に討つべし」
あなた:私を筑紫へお遣わしください。武内の大臣を連れて参りましょう。
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「我を筑紫に遣はし給へ。かの大臣、具して参らん」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
💡 ポイント|具す
現代語では「具す」と動詞で使うことはありませんが、「おみそ汁の具」という言い方はします。「具」とは、おみそ汁「と一緒にあるもの」です。
そのイメージで、「具してきましょう」とは「一緒に連れてきましょう」ということです。
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C お兄ちゃんの配下編
本当なら、お兄ちゃん(=武内さん)自身に、なんとかしてもらいたいところです。しかし、弟に裏切られたことがショックだったのか、天皇に信じてもらえなかったことで絶望したのか、お兄ちゃんは嘆いているばかり。
そんなこんなのうちに、真根子さん、言うだけ言って死んじゃうし。
ここは、その場で唯一冷静な人物として、真根子さんを止めましょう。
☆ 現代語 Ver. ☆
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★ 古語 Ver. ★
天皇が送ったのは「使者」で、軍隊ではありません。筑紫の権力者が朝廷に従順であれば、使者の命令に従って武内さんを討つでしょう。あるいは、真根子さんが地元にあって朝廷寄りなので邪魔なのであれば、真根子さんが死ぬのであっても、構わないのかもしれません。
武内さんの配下としては、体を張って主を守ってくれるほどの支持者は大事なはず。まずは真根子さんを思い留まらせ、武内さんを殺さない方がいいという利を説いて筑紫の権力者を味方につける。そうして天皇からの使者が孤立化すれば、「裁きは京に戻ってから」という流れに持っていけそうです。
では、会話を活字で振り返りましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
真根子:私が、大臣の身代わりとなりましょう。
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「我、大臣に代り奉らん」
あなた:このようなお振る舞いは、すばらしいことです。
しかし、他にも方法はあるでしょう。
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「かかる御もてなし、いみじきことに侍れど、手立ては他にも侍りなむ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
💡ポイント 1|もてなし
現代語では「おもてなし」として、他者を・丁寧に・取り扱うということに特化して使われます。
しかし、この言葉の骨格は「取り扱う」なので、古語では、
自分を取り扱う = 振る舞う
という意味もあることが要注意です。
💡 ポイント 2|いみじ
現代語の「忌まわしい」ということばに、この「忌む」の意味が見られます。非常にネガティブで、祟りという意味合いも含む使われ方です。
つまり「忌む」には神仏が意識されていて、「神仏の怒りに触れぬように避ける」ということです。そこから生まれたとされる「いみじ」なので、「神仏の怒りを買いそうだから、それを避けなければならないほどの」という、程度の甚だしさが核にあります。
そのため、A の「あさまし」と同様に、その程度だけを示すニュートラルな使い方、「それほどに良い」「それほどにひどい」と良し悪しの判断が加わる使い方、の三通りがあります。
良い場合にも「忌む」のがポイントで、それほどにすばらしいものは「神がかっている」ので、並の人間が触れたら怒りを買うということでしょう。
自分の命を捨てて、武内さんを救う真根子さんの行動は、まさに「いみじきこと」だと思います。
💡 ポイント 3|丁寧語「侍り」
これを使うと、「~だ、である」(常体)ではなく、「~です、ます」(敬体)調でしゃべっている、ということになります。
中央政府の大臣の配下 vs. 地方豪族 だと、常体でもいいのかな、とも思いますが、真根子さんに思い留まって欲しいので、口調も丁寧にしました。
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D この物語の編集者の助手編
このお話は『水鏡』で知ったのですが、それ以前に編纂(へんさん)された『日本書紀』にも載っているものです。
であれば、疑問は『日本書紀』を作った人にぶつけた方がよさそうです。
『日本書紀』の編纂の中心人物は、舎人親王(とねりしんのう)。第40代天武天皇の皇子(みこ)です。
☆ 現代語 Ver. ☆
⇩
★ 古語 Ver. ★
舎人親王は、お父さんが天武天皇で、おじいさんが天智天皇という人です。同じような生まれの皇子も含め、天武天皇には皇子が多いので、政治的には非常に難儀な立ち位置の人だったのかな、と思います。
だからこそ、文化活動は心の拠り所でもあったのだろうと、原稿から目をそらさぬほど没頭しつつも、さりげなく下っ端の発言も受け止めてくれる、風雅な人にしてみました。(絵柄、海賊にも見えますけど ^^;)
では、会話を活字で振り返りましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あなた:このお話って、ほんとなんですか?
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「この物語、僻事には侍らずや」
舎人親王:そう思うなら、お前の考えを言ってみよ。
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「然らば、汝の思ひ見るところを語るべし」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
💡 ポイント|僻事(ひがこと)= 間違い
現代語の通り「まことにや侍らむ」でもいいのですが、「僻事」を覚えるべく、「間違いじゃないんですか?」という表現にしました。
「僻事」ということばは現代では用いませんが、「僻む」とは言います。どちらかというと、その場合の「ものの見方」の方より「精神の状態」に重きが置かれているような使われ方をしていますが。
「僻」= 偏っている
が骨格なので、「ものの見方が偏っているゆえに起こる」間違いが、僻事ということになるでしょう。
物語を読んで、「これってちょっと、武内さんサイドで見過ぎなんじゃない?」と言いたいので、僻事、ぴったりかなと思います。
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以上で、古語会話「生きるんだ、真根子 !!!」は終了です。全体として長いものになりましたので、ご自分の選んだ配役以外のダイヤログは、気が向いたときにでも、またご覧頂けますと幸いです。
このお話は、4 世紀 ~ 5 世紀頃のものですが、その頃により近い古語となると、記紀の変な漢文調の古語になります。
また、鎌倉以降の武家の時代になりますと、やたらと「侍り」「候ふ」が多用される文体になり、またちょっと変わってきます。
比較的読みやすいのは、平安時代中期~末期くらいの古語だと思いますので、そのあたりの古語で表現しました。(『水鏡』から使える表現は借りていますが、飛び入り出演役のセリフなどは「古作文」しています。)
私も、古語のネイティブスピーカーではないので、誤りもあるかと思いますが、お気づきの点はご教示頂ければ、と思います。
ともあれ、ブロークン古語であっても、コミュニケーションを取ろうという気持ちが大事!
その気概があれば、1000 年前に行っても大丈夫 !!!
さらば、また相見えん (^^)ノ
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【参考サイト・文献】
● 『水鏡』国立国会図書館ウェブサイト 上巻 コマ番号 286・287
● 『六国史 巻一 日本書紀』国立国会図書館ウェブサイト 上巻 コマ番号 133
● 宇治谷 孟『日本書紀』上 講談社学術文庫, 1988 年, p.210-224
● 次田真幸『古事記』中 講談社学術文庫, 1980 年, p.69-74
● 「応神天皇」の頁など Wikipedia