頼まれた家事が100回を超えた。
人になにかを頼んでもいいらしい。
コミュニケーションと心の話でよく耳に残っていたのだけれど、頼らなすぎはたしかに閉じちゃっている感じがする。
上手く頼めることは心身ともに楽になるひとつのように思えてきている。
家事代行を始めてから、始めたよ、行っているよ、というのを友人に話す機会がすこしずつあるのだけれど、自分は頼むかどうかがまず浮かぶみたい。
頼む頼めないを聴いていると、接しているユーザーの方々の反応や要望と結びついて、バリエーションがあるなぁと思う。
結果的に依頼される方は、依頼分を任せてくれた方なので、そういう部分にいることが分かっているのは、心地がよい。
確認を行ってから始めるので、たしかにコミュニケーションというか、距離感とゆるせる箇所の確かめがあるかもしれない。
必要のない場合はまったく問題がないから、頼みづらいとかであれば、頼めるようになったらいいだろうなと思っている。
片づいたリビングや出来上がった料理を見て、ほっとされている気持ちが伝染すると、こちらも安らかになるので嬉しい。
なんとなく家事代行という名前を多く目にするだけでも、選択肢が増えたりしないかな。
頼まないけど、これなら頼めるとかもよい。
自然に楽になっていきたいがある。
(できないことを伝えるのも、似たところにありそう。派生。)
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引き続きやっています。