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ベトナム・マクロビオティックの夜明け ~ヒットラー・ドイツの栄養学と自然医学~

 またまた前回の投稿⇒ベトナム・マクロビオティックの夜明け ~“戦前のワクチンの話”~から6カ月も経っていました。。😅😅😅 

 実は、このシリーズの関連史料が日本とベトナムに分散してしまっているので一か所で落ち着いて書く環境が出来ず、いずれゆっくり纏めて書こうと思ってます。今日は前回、前々回の記事で取り上げた戦前のナチス・ドイツの流れから、偶々手元に関連本があったので取り上げます。。

 ”えっ? ナチス・ヒットラーとマクロビオティックに何の関係があるのさ?” と驚きますでしょうか。。。しかし私は元々ベトナムに来る迄『食養法(マクロビオティック)』の存在自体を知らず、ベトナム語翻訳本が入門編だった為か、変わった情報が頭に入って居ります。。(笑)

 マクロビオティックの創始者、櫻澤如一(さくらざわ ゆきかず)氏の著書『戦争に勝つ食物』(大日本法令出版社、昭和15年)の序文にこんなことが書いてあります。⇩

 
 青年は時代の推進力とならねばならない。新しき時代は青年によってつくられねばならない。次の時代は青年によって背負って立ってもらわねばならない。
 然るに現代の青年に素直に是を望むことが出来るだろうかと疑いを抱かざるを得ないのは筆者一人のみではあるまい。…
 …では青年をしてかかる環境に追い込んだものは何かと言えば、単的にいって、その食生活であるといえることだ。勿論功利的な立身出世熱や個人的な享楽欲も観取されよう。しかし青年を無気力ならしめた最大の根因は、甘味飽食を自由に為し得る生活自体にあるのだ。

  昭和15(1940)年は支那事変が始まって既に3年、そして日本軍の仏印進駐の年です。”さあ、大東亜の戦いはこれから!!”と言うときに、実は日本国内で日本国民の健康問題が大きな悩みになって居たのです。。

 明治維新後に輸入された西洋式栄養学による食事様式の変化で、それまで日本では珍しかった病気-胃弱、腸カタル、結核、精神病、冷え性や婦人病、貧血、ガンなどに罹る病人が急増してました。国民総虚弱体質で戦争に勝てる訳が無い。。焦った政府と軍部が注目したのが『食養健康法』だったのです。
 この頃、食養会の櫻澤如一氏は彼方此方の講演会に引っ張りだこで、食改善に関する沢山の書籍を出版してましたが、その内の一つが上⇧の『戦争に勝つ食物』です。そして、この本の前半メイン・テーマは、、、
 
 『新生ナチス・ドイツは如何にこの問題を克服したか。』です。。。⇩

 …そもそも栄養学の元祖はドイツ系ユダヤ人リービッヒである。彼は1840年頃に食べ物が血液の中で燃えるらしいという事を発見し、遂に大家と見られる様になったのである。その教則は正しかろうがなかろうが、もう一種の信仰の様になって普及した。これが例のユダヤ人独特の宣伝上手というものである。(中略)
 今度の世界大戦も勿論、あらゆる戦争と革命の影にユダヤ人がいる如く、ユダヤ人の計算、シナリオ通りに進んでいる。…
 ヒットラーはうまくこの罠を抜けられるだろうか?
 英国、米国、仏国、ソビエトは、全く上から下までユダヤ人で固められている。殊に、ヒットラー以前のドイツはスゴイものであった。それをヒットラーは、或る程度まで打ち破ったのであるが、何所まで成功するか、まだ疑問である。何しろ今までにユダヤ人と戦って勝ったものはないのだから。
  
 ユダヤ人リービッヒに始まる西洋栄養学は他の全ての西洋学問、芸術、経済、商工業、政治革命等に於けると同様、偉大な宣伝上手なユダヤ人達によって益々強化され発展した。リービッヒに次いで出たのは有名なユダヤ人モレショットである。彼はドイツで極力肉食を礼賛し、肉食の流行を大いに広めた。それまではドイツ人も世界第一の肉食人ではなかったのである。分かり切った事でも、七面倒な学者の言葉と恐い様な法則と数字の魔法にかかると忽ち分からないことになり、間違った考えが流行するようになるものであるといういい見本である。かくて肉食を重んずる信仰がドイツ国民の頭に深く深く金槌で打ち込まれた。

 

『戦争に勝つ食物』より

 こんな状態だったドイツが第一次欧州大戦で敗北し、どうなったのでしょうか?

 第一次欧州大戦以前に於けるドイツは世界第一の肉食国であり、その栄養は肉食至上主義的、人間機械論的、唯物的、原子論的、個人主義的であった。英仏は当時ドイツよりは肉食が少なかった。

 …元来食物の少ない国であったから、四方みな敵に閉鎖されるや、とうとう食物不足のために内乱は起こるし、兵隊は弱るしで残念ながら4ヵ年の苦戦も水の泡となり、惨敗した。この時の食物不足を救うことが出来なかったばかりか、却って食物不足を早めたのがルブナアやフォイトの栄養学であったので、『ドイツを惨敗せしめたものは栄養学である』とまで言われているのである。(この栄養学は動物の肉を最低一人一日70瓦取らねばならないと云う。)

 第一次欧州大戦に於いてドイツのカイゼルの雄図は空しく挫折し、国民の健康は極度に痛め傷けられ無残にも惨敗した。その後ドイツは軍備をむしり取られ、莫大なる償金を課せられ、革命派勃発し、悲惨なる大インフレは起こり、物資は欠乏し、爾来20有余年というもの国民はつぶさに敗戦国民の辛酸をなめた。
 …そうして残されたドイツ人は前より一層惨めな物資不足、とりわけ食物不足のヒドイ状態に置かれた。そしてそれが5年、10年、20年と続くうちに、追々その難局を切り開き、…廃墟の中から再び立ち上がった復興ドイツの国民の力-体力と精神力-は、以前の栄養学、肉食第一の栄養学の指導のもとに養われたものでなく、肉食の足りない、動物性蛋白質の少ない食物によって鍛え上げられているのである。(中略)
 新興ドイツは、一般に肉食が少なく、ことにその総統ヒットラーは有名な菜食主義者である。

『戦争に勝つ食物』より

 ヒットラーが完全菜食主義者だったのは有名ですが、、、
 
 ところで、この第一次欧州大戦(1914ー1918)の最中、欧州で開かれた『国際食料科学委員会』に置いて、こんな決議が採択されていたそうです。⇩

 『動物性食品の最低量を決定することは無意味である。何となれば獣肉の蛋白質は牛乳やチーズや玉子の如きものの含む蛋白質によっても、又あらゆる植物に含まれる蛋白質によっても十分に交換され得るものである以上、獣肉が生理学的に絶対必要品であると断定する根拠がないからである。』

 ここ⇧から想像するに、、その頃の欧州は、行き過ぎた肉食礼賛の宣伝が広く蔓延し、食料問題が大混乱していたのでしょうかね。。。その影響もあったのか、敗戦国のドイツでヒットラーは、『生涯肉食を禁断する』決意をして同志7人とナチス党を結党、そしてとうとう政権を獲得しました。⇩

 ドイツではヒットラーが政権を獲得して以来、リービッヒ、フォイト、ルブナアらのユダヤ式旧式肉食第一栄養学を尻目にかけ、堂々と正反対の菜食主義を奨励し始めた。先ずヒットラー自ら厳格なる菜食主義を実行している。又、エールリッヒ、コッホ等のユダヤ医学者によって打ち立てられ、世界に流行したドイツ医学にも一大鉄槌を加え、民間療法、自然療法を推奨し始めた。それが為に色々法律を作ったものである。その中にも『医師は全て民間療法医に協力すべし』というのがある、(中略)
 …民間療法や自然医学も国民の為に大いに貢献しているのだから、何も継子扱いにしてイジメつけると云う手はあるべき筈がない。
 
 

『戦争に勝つ食物』より

 この、『民間療法、自然療法を推奨し始めた』ことの一例に、1930年代頃のドイツ小学生読本に書いて有った内容の一部がこちら。⇩
 

自然の療治

 『自然』が療治の力を持っているという、これらの例は『自然』がわれわれにとって、どれほど行き届いた守り神であるかを示すに十分なものです。だから、医術のかんじんな問題はまず『自然』療治の筋道をよく守って、病気のもとを取り除けるにあります。
 人々が療治と名づけているのは、病気そのものを取り除けることではなく、病気のもとを取り除けることにあります。医術は決して『自然』を支配する事は出来ません。ただ忠実に之に従う事が出来るだけなのです。」

 昔から日本にも『自然医学』や『民間療法』がありましたね。もぐさを使ったお灸とか、野草を煎じたり生姜や根菜類を加工して解熱剤に使ったり。私は子供時代に風邪引けば『卵酒』でした。薬は殆ど飲まなかったです。

 科学的大発明の連続に湧いていたあの当時のヨーロッパで、時代に逆らうかの如くに最新科学、最新医学・医療に背を向け、ヒットラーとドイツは『自然』と『伝統』に回帰しようとしていた。。。? 

 えー、このことの、更に奥深いことが、亀井貫一郎氏によって語られてます。(多分。。😅)⇩              

…唯一つ申し上げて置きますが、何故ナチスの学問は仏教的東洋的の影響を受けて居るかと言うと、ナチスの学者はこう言って居る。『この吾々の発見した真理というものは、以来数千年も経て証明されたのである。だがルクレチウスが出て来る500年前に十法世界盡未来在無盡蔵の世界から生者必滅会者定離のエネルギー不滅の原則を説いたのがお釈迦様である。』之をもっと申し上げると、この話だけでも一時間や二時間掛かりますから、ドイツの新哲学が東洋的色彩を有するヒントだけ申し上げます。 

『亀井貫一郎氏講演』より

 ヒントしか書いてないので、更に先のもっと深い『新哲学』が何なのか解かりませんが、、、😀😀
 亀井氏が言っていたように、⇩

 ナチスの幹部はよく日本を調べております。(ナチスは)日本よりも早く日本精神から得たものを産業の組織、政治の組織に実現しておりまする
  ハウスホーハー先生が育てたあの次世代のドイツ青年達は。。。
 
 ”彼等は、明治日本の精神の中に、自分達の祖先が、西洋が遥か昔に忘れてしまった哲学を発見し、そして蘇ってた”
 
ということでしょうか。。

 そして、そんな彼等を見たマクロビオティック(食養会)の櫻澤如一氏が、ヒットラー・ドイツを見習え!”と日本国民に向けて食改善を訴えていた。。。 
 戦前・日本って、、ますます興味深いと思いませんか。。。😅😅

 えー、、、題名が『ベトナム・マクロビオティックの夜明け』ですが、今回ベトナムが出て来ないのでお隣カンボジアの話をオマケに。。。😅

 カンボジア在住30年以上の友人がおりまして、彼は仕事で外国人や観光客が殆ど行かない田舎の村へ長期間通ったり滞在しています。その彼が以前、私にこんな話をしてくれたことがあります。⇩

 ”あのねぇ、日本人の誰に言っても信じないから誰にも話さないけど、カンボジアのね田舎の方に行くと、『ポル・ポト』のことを悪く言う人は全く居ないんだよ。『あの人は国の為に良いことをした人だ』と子供に口伝している家庭さえある。それはねぇ、、僕は多分テレビとかメディアが少ないせいだと思う。そして、誰に何を言われても、祖国の為に戦った人の事を、後から悪く言うような人達じゃないんだ、カンボジア人は。”

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 。。。ワタシは、世界の本当の姿が知りたいです。😑😑😑
 

 

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