『クオン・デ 革命の生涯(CUỘC ĐỜI CÁCH MẠNG CƯỜNG ĐỂ )』(Saigon Vietnam,1957) ~第11章 北京虚話 ~
ロンドンに滞在していたクオン・デ候は、北京に居たベトナム人同志から、
『中国総統袁世凱(えん・せがい)と陸軍総長段祺瑞(だん・きずい)が、ベトナム革命支援の意思があるので急ぎ北京に来て欲しい』
と言う内容の手紙を受け取りました。
急ぎロンドンを立ち、1914年6月中旬、北京で陸軍省の手厚い迎えを受けたクオン・デ候は、段祺瑞(だん・きずい)の部下、曲(きょく)中将の別邸に案内されます。この別邸の場所が、『磁器胡同(Từ Khí Hồ Đồng )』。
『胡同』は、中国語で『ほーとん』。紫禁城周りの小路のことを昔から『胡同』と呼ぶそうで、北京市通州区内に現存しています。ハノイ旧市街のHàng Bông (綿通り)やHàng Bạc(銀通り)と同様に、古来同業者の店が集まってたためにその名がついたそうです。
この『磁器』専門店通りに、当時最も武威あった袁世凱(えん・せがい)配下の北洋軍閥の武将が別邸を構えていた理由は如何に。。。?
クオン・デ候の自伝は、何か意を含んで言及している時いつも必ず深い意味があるため、いつか解明したいですけど、今のところ全然判りません。。😅
クオン・デ候の北京到着の少し前に、中仏借款が成立した袁世凱は、すでにベトナム援助の意欲を失っていました。
散々待たされた挙句、日本政府から突如届いた『対華21ヶ条の要求』への対応のためにベトナム援助の話は流れてしまい、失意のクオン・デ候は北京を離れました。
(1914年4月〜1915年5月)
** 第11章 北京虚話 **
私がロンドンに滞在していることが、フランスに知られました。イギリスとフランスは親善国同士だから、常に警戒せねばなりません。
その為、サロー側の誘惑を拒絶してからは、何も目立った活動はせずに一か所に留まり、只ひたすら文書研究に没頭しました。機を伺って、機会を得てから活動を再開する考えでした。
その時、予期せずに、北京に居る古い同志達、胡学覧(ホ・ゴック・ラム)、林光忠(ラム・クアン・チュン)、丁済民(ディン・テ・ザン)、潘伯玉(ファン・バー・ ゴック)から手紙を受け取ります。
手紙には、『中国総統袁世凱(えん・せがい)と陸軍総長段祺瑞(だん・きずい)が、ベトナム革命支援の意思があるので急ぎ北京に来て欲しい』旨が書いてありました。
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